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火のようにさみしい姉がいて シスカンパニー Bunkamuraシアターコクーン [演劇]

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清水邦夫の作品で初演が1978年12月の紀伊國屋ホールで木冬社第3回公演。配役は山崎努が男、松本典子が男の妻、岸田今日子が中ノ郷の女。演出は秋浜悟史。

再演は1996年12月で紀伊國屋サザンシアターの開場記念公演で清水邦夫自身の演出。配役は蟹江敬三が男、樫山文枝が男の妻、松本典子が中ノ郷の女。

そして18年ぶりの再演の舞台は蜷川幸雄の演出。楽屋と北陸の理髪店を重層的に見せ、移動する鏡の壁面が登場したりと、蜷川らしいなかなかの力技の舞台だった。

物語は下のあらすじの通りだが、主人公の男優が演じていたオテロとデズデモーナの夫婦関係が重なり、宮沢りえが演じる妻との間に埋めがたい亀裂が生じる展開。その二人をとことんいたぶる女・イヤーゴ的な存在が大竹しのぶで、狂気をはらんだ演技が彼女ならではで楽しめる。

その半面、大竹しのぶと宮沢りえの初舞台共演ということで期待された演技合戦も第二幕は意外と盛り上がらずに終わったように思う。なかなか演技が噛み合わず停滞する場面も少々。それでも、最後の見せ場?に観客を導いていく力量は彼らならではのものだと思った。

観客の平均年齢はかなり高め。そうした観客の青春時代に上演された作品であるのと、大竹しのぶと宮沢りえの初顔合わせが話題を呼んだせいだろうと思う。宮沢りえは母親を亡くした直後だったので、健気に舞台を務める姿と、悲劇的な結末を迎える妻の姿が重なって哀れに思えた。

新橋耐子や立石涼子が老け役を嬉々として演じていたのが印象的。ある意味、お婆さんが主役のようなところもあるからだ。


会場:Bunkamuraシアターコクーン
2014年9月27日(土) 13時開演

シスカンパニー
火のようにさみしい姉がいて


演出:蜷川幸雄
演出補:井上尊晶
美術:中越 司
照明:服部 基
音響:高橋克司
衣装:前田文子
ヘアメイク:宮内宏明
舞台監督:小林清隆
プロデューサー:北村明子
企画・製作:シス・カンパニー

出演:大竹しのぶ(中ノ郷の女)
    宮沢りえ(男の妻)
    段田安則(男)
    山崎一(みをたらし)
    平 岳大(スキー帽)
    満島真之介(青年)
    西尾まり(見習)
    中山祐一朗(ゆ)
    市川夏江(しんでん)
    立石涼子(べにや)
    新橋耐子(さんざいみさ)
    さいたまゴールドシアター

【あらすじ】

ある俳優(段田安則)とその妻(宮沢りえ)が20年ぶりに雪国の故郷に戻ってくる。
仕事にも人生にも行き詰まった夫婦の“転地療養”らしいのだが、道を尋ねるために立ち寄った理髪店で、誤って鏡の前にあったシャボンのカップを割ってしまう。
次の瞬間、男の姉と名乗る女主人(大竹しのぶ)や、得体の知れぬ客たちが次々に現れ、強引に男の過去に踏み込み、そして……。  


第1幕 13:00~13:50

休憩  20分

第2幕 14:10~15:15
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ムサシ ロンドン・NYバージョン シアターコクーン [演劇]

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3年目の東日本大震災の日。渋谷のシアターコクーンで井上ひさしの遺作で、蜷川幸雄が演出し、ロンドンやニューヨークでも絶賛されたという『ムサシ ロンドン・NYバージョン』なる公演を観た。15日まで渋谷で上演し、3月21日から23日まで韓国で、その後は広島、長崎、金沢と公演が続くらしい。2009年に埼玉と大阪で初演され、2010年にはロンドン、埼玉、ニューヨークで上演。2013年は埼玉、大阪、シンガポールでの上演を果たし、井上作品には珍しく都内では初上演ということらしい。

芝居が開幕してしばらくは、なんとほとんど台詞が聴き取ることができなかった。日本語を話しているらしく、なんとなく雰囲気は伝わってくるのだが、言葉が明晰ではない上に、言葉に力がこもっていないので、心の動きなど何も伝わってこない。叫んでいるだけの芝居は大の苦手である。どうしたものかと途方に暮れた。

ようやく白石加代子などよく訓練を積んだ役者が登場してくれて何とか芝居らしくなったが、何を言っているか分からないような台詞の技術しかないとは情けない。確かに外国ならば字幕があるから問題なかったかもしれないが、電光掲示板が舞台の上手と下手に設けられていたのだから、日本語の台詞も字幕で出せばよかったのにと憎まれ口をきいてみる。

3時間を越える長い芝居だが、一番感動したのは芝居が終わってのカーテンコールで井上ひさしの笑顔の写真が舞台の上部に掲げられたときである。最後の芝居が、本当にこれでよかったのか。結局、多くの芝居を書いてビジネスとしては成り立ったけれど、世の中を変えるどころか、ますます井上ひさしが望まない方向へ日本は舵をきっているのではないだろうか。さぞ無念に違いないと思ったら泣けてきた。

例によって遅筆ゆえの苦し紛れのような物語展開と、その場しのぎの笑いとしてはレベルの低いものばかりで、どうして海外で評価が高いのか首を傾げたくなるような舞台だった。人力によって移動する竹林と、能舞台を模したような舞台装置、茶道、能、狂言、禅、武道など底の浅い理解で描かれた日本のイメージが高評価につながっているのだろうか。

芝居として楽しめたのは白石加代子の怪演で「蛸」の台詞と動作、演技は彼女にしか出来ない立派な芸である。不気味に動く腕など細部には凝っているものの、役者の魅力に頼りすぎたのか蜷川幸雄の演出も冴えない。音楽も平凡だった。でも一番の問題は脚本で、ここまで引っ張ってきて最後にその展開はないだろうと思った。そしてあの幕切れ。タネが明かされれば、あまりのことにがっかりで脱力した。なんとなく予想通りだったが。

3回ほどのカーテンコール。一部の観客がスタンディングオベーション。お目当ての俳優へ向けてなのか、本当に感動したのか、あるいはスタンディングする自分が素敵と思えるのか…。立つ立たないは自由だけれど、周囲を見回して立っちゃいましたはみっともないと思う。最初から立ち上がった勇敢なお嬢さんは一人だけだった。

スタッフ

作:井上ひさし(吉川英治「宮本武蔵」より)
演出:蜷川幸雄
音楽:宮川彬良
美術:中越 司
照明:勝柴次朗
衣裳:小峰リリー


出演

宮本武蔵 藤原竜也
佐々木小次郎 溝端淳平
筆屋乙女 鈴木杏
沢庵宗彭 六平直政
柳生宗矩 吉田鋼太郎
木屋まい 白石加代子
平心 大石継太
忠助 塚本幸男
浅川甚兵衛 飯田邦博
浅川官兵衛 堀文明
只野友膳 井面猛志

第1幕 13:30~15:00

休憩 20分

第2幕 15:20~16:40
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東海道四谷怪談  劇団俳優座創立70周年記念公演 俳優座劇場開場60周年 [演劇]

今年の成人式も各地で荒れたという。天使の故郷の隣町では模造刀を振り回して逮捕されたバカがいるとか。天使の頃の成人式はどうだったかというと、成人式には出席しないという若者がけっこういたように思う。今のように普段地味な生活を送っている若者が一世一代で目立つといったようか空気ではなく、行かないのが流行だったように思う。

さて、その成人の日に何をしていたかというと、渋谷にあった東横劇場へ劇団俳優座の『マクベス』を観に行ったと記憶している。加藤剛が主演で、確かコーヒーのコマーシャルにもなったような気がする。小田島雄志
=訳、増見利清=演出のシェイクスピア劇は、その頃の俳優座の看板公演だったのだ。

もちろん六本木には俳優座の本拠地ともいえる俳優座劇場があったが、400名ほどの定員の小劇場では観客をさばけるわけもなく、上演中に階下の地下鉄・銀座線の音が響くという信じられない悪条件ながら渋谷の1000名規模の劇場で公演していたわけで、1月の俳優座、2月、7月、12月の文学座、6月の前進座など、まだ勢いのあった新劇の公演会場として利用されていたのだった。

古い俳優座劇場は2階席があり、かつての築地小劇場はこんなかんじだったのではないだろうかと思わせる緊密な劇空間だった。今でいえば、劇団四季の自由劇場を小ぶりにして両翼にバルコニー席をつけたような感じである。その俳優座劇場が取り壊されて新しい劇場に生まれ変わった。六本木という都心の最高の立地ながら、客席数は300ほど、舞台の間口は広くなったものの、高さも奥行も以前に比べて小さくなってしまった。

劇団昴の三百人劇場、前進座の前進座劇場など、劇団の所有する劇場は無くなってしまったが、俳優座はなんとか持ちこたえているようだが、自分達の?劇場で公演するのは年に1度のようである。劇団俳優座の創立70周年記念公演と俳優座劇場開場60周年という節目の公演に『東海道四谷怪談』が取り上げられた。前進座を別にすると松竹の歌舞伎以外で『東海道四谷怪談』を上演したのは俳優座であるという伝統?を意識してのことだろう。シアターコクーンで蜷川幸雄の演出で歌舞伎以外の俳優で上演された例もあり、またコクーン歌舞伎という演出に工夫をこらした試みもあった。

今なぜ『東海道四谷怪談』を上演しなければならないのか最後までわからなかった。歌舞伎の舞台を知っているか、演劇雑誌の「テアトロ」に掲載された上演台本をあらかじめ読んでおかなければ、今は一体どこで何が起っているのか、さっぱり理解できないであろう不親切な上演だったように思う。

客席の1列目は外され舞台が拡張されていたのは、舞台上手に設けられた自走式の回り舞台?のために奥行を稼ぐためだったのだろう。舞台下手には土手?に使われる足場のような装置があって、適時小道具が並べられて多くの場面が構成されていく。

ほぼ原作を忠実になぞっていくのだが休憩を入れて3時間という制限があるため物語の展開が早い早い。それでも「地獄宿」の地獄のお大の部分や「三角屋敷」といった歌舞伎では上演されない部分も取り上げているので、「東海道四谷怪談」という物語の全体像を理解するには役立ったかもしれない。ちょうど歌舞伎で上演されない箇所を文楽の通し上演で確認するような感覚である。

歌舞伎ではないので、役者の芸をみせるという方向ではない。だから髪梳きもアットいう間。戸板返しも下手の土手下から、戸板を滑らせてくるという手法(なんとなくお岩さまが移動式のベッドに乗っているような感じ)
である。怪談といった要素は極力削られて、ねずみはでないし、赤ん坊はお地蔵様に変わらないし、提灯抜けといったようなケレンは一切ない。

役者の至芸もなく、目で楽しめるようなケレン味もないので、面白いかといわれたら、なかなか面白いと言い難い舞台となってしまった。俳優座の役者が掛け合い漫才よろしく、開幕前に携帯電話の電源を切るようにお願いしたりする前説があったり、劇場の通路に出演者全員が並んでパレード?したりするのが、かつての俳優座のイメージからすると考えられないことで新鮮には思えたが。

最も効果をあげたのが、舞台下手に陣取っていた、パーカッションと琴、尺八のアンサンブル。劇的な効果をさらに高めていて、大いに芝居を盛り上げていた。でも、何故『東海道四谷怪談』なのだろう。現代の観客にも理解できやすいように、仮名手本忠臣蔵の世界ではなく、実録の忠臣蔵によっていた。いっそのこと、忠臣蔵もあわせて一日で上演すれば意外に受けたかもしれない。


劇団俳優座創立70周年記念公演 第1弾
俳優座劇場開場60周年
「東海道四谷怪談~強悪にや誰がした~」

2014年1月16日(木)~26日(日)
俳優座劇場(六本木)

民谷伊右衛門・・・・・内田夕夜
お岩・・・・・・・・・井上 薫
お袖・・・・・・・・・佐藤あかり
四谷左門ほか・・・・・伊東達広
直助権兵衛・・・・・・八柳 豪
佐藤与茂七・・・・・・関口晴雄
宅悦・・・・・・・・・児玉泰次
お政ほか・・・・・・・島美布由
奥田庄三郎ほか・・・・齋藤隆介
通人文嘉・・・・・・・中吉卓郎
柏屋彦兵衛・・・・・・中 寛三
灸点のお大・・・・・・小澤英恵
小仏小平・・・・・・・森尻斗南
伊藤喜兵衛・・・・・・河野正明
お弓・・・・・・・・・瑞木和加子
お梅ほか・・・・・・・桂 ゆめ
下男ほか・・・・・・・宮川 崇
医師尾扇・・・・・・・河内 浩
秋山長米兵衛ほか・・・蔵本康文
非人づぶ六・・・・・・島 英臣
願哲・・・・・・・・・林 宏和
非人 目太ほか・・・・小田伸泰
非人 唖女・・・・・・山本祐梨子

作=四世鶴屋南北
脚本・演出=安川修一
音楽=和田啓
美術=宮下卓
照明=石島奈津子
衣装=二宮義夫
振付・所作=河路雅義
殺陣=島英臣
舞台監督=葛西百合子
制作=山崎菊雄 水野陽子


1968年『東海道四谷怪談』★
1968年8月9日~8月30日
国立劇場大劇場

作=鶴屋南北
演出=小沢栄太郎

≪配役≫
四谷左門・・・・・・・・・小沢栄太郎
民谷伊右衛門・・・・・仲代達矢
佐藤与茂七・・・・・・・加藤剛
小仏小平・・・・・・・・・田中邦衛
直助権兵衛・・・・・・・永井智雄
按摩 宅悦・・・・・・・・三島雅夫
お岩・・・・・・・・・・・・・大塚道子
お袖・・・・・・・・・・・・・市原悦子
お梅・・・・・・・・・・・・・栗原小巻   ほか

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さらば八月の大地  新橋演舞場 [演劇]

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新国立劇場の『焼肉ドラゴン』などの舞台が印象深い鄭義信の最新作である『さらば八月の大地』を新橋演舞場で観る。ジャニーズ事務所の今井翼が出演しているので観客動員は余裕の満席かと思えば、予想外に空席の目立つ舞台で意外だった。題材が満州での日本人と中国人の映画マンの友情物語という地味な題材のストレイト・プレイなだけに動員の面で苦しかったのかもしれない。

満州の撮影所が舞台なので、満州出身の山田洋次の演出ということになったのだろうが、やはり映画と舞台の演出は勝手が違ったようで、なかなか舞台が弾んでくれない。第一幕は未整理な上に各人の演技がバラバラで肝心の主役が芝居をしている時に、周囲の人間も無意味に芝居をするものだから集中できないのである。映画の背景として脇役が考え抜いた芝居をするならともかく、舞台上でそれをやられると目障りなだけである。

劇場へ入ると、満州映画協会の建物が書かれた紗幕が緞帳代わりに下がっていた。舞台は撮影所のスタジオの設定で、手際よく映画のセットが組まれ、劇中劇の映画の撮影シーンが演じられたりする。出演者も日本語と中国語が半々で、オペラ公演でおなじみの字幕装置が舞台の上手と下手に置かれ物語が進行していく設定だったが、原語主義?が徹底しない部分もあって、無理して中国語で上演する必要があったかどうかは疑問である。

とかく問題の多い第1幕と違って第2幕は終戦後のシリアスな展開があることもあって、最終場面の別れはさすがに胸に迫るものがあった。その功労者は勘九郎で、単なる親しい人々との別れといったセンチメンタルなものではなく、その後に中国が歩むであろう、すなわち主人公たちも同様なのだが苦難の道をも想像させて上手い幕切れだった。

役者では勘九郎が全体を引っ張っていく求心力のある演技で見事。大陸浪人風の野性味あふれる演技で今井翼もアイドルの域を大きく超えた演技力で感心した。歌舞伎ではあまり目立ったなかったが中村いてうも印象的な演技だった。中村屋の役者は師匠に似てくるのが不思議だった。

その一方で檀 れいは、得意?の歌を披露する場面などもあったが、演技的に未成熟で観客を納得させるレベルに達しているとは言いにくいもので、もっと複雑で陰影に富んだ演技でないと中国人女優が日本人の撮影所長と結ばれていくという過程に説得力を欠いた。相手となる木場勝己も魅力に乏しく単調な演技だった。

第1幕の停滞した部分を練り直さなければ再演は厳しいといわざるを得ない出来だった。日本と中国の関係が冷え切ってしまっている時期に、この作品を取り上げた勇気は讃えるけれど、昨今の中国の暴走ぶりを見るにつけ、満州国の建国など論外の暴挙だったが、その後の中国も希望に満ちた未来があり、正義が行われたとは言いにくいような気がする。今や新京、現代の長春はPM2.5の大気汚染で凄いことになっているらしいからである。

あらすじ

終戦の前年、満州映画協会(満映)撮影所で働く助監督の張凌風(勘九郎)。撮影現場に現れた撮影助手の池田五郎(今井翼)はぶしつけな態度で、最初から凌風と言い争いになります。中国人女優の陳美雨(檀れい)は、ようやくつかんだ主演女優の座とあって、強引な日本人監督の注文にも健気に応えますが、映画監督と脚本家の国慶の意見の相違は、日本人と中国人の諍いに重なり、撮影はストップ。そんななか、五郎は監督の横暴ぶりにたてつき、凌風は懸命にその場を収めます。

 凌風と五郎はその晩、黒澤明や溝口健二の映画について語り合い、国慶を交えた3人は、戦争が終われば皆ただの映画人、いつか一緒に映画を撮ろうと乾杯します。やがて戦況が変わり、それぞれの運命にも深い影を落とし...。

『さらば八月の大地』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■キャスト
中村勘九郎
今井 翼
山口馬木也
田中壮太郎
鴫原 桂
中村いてう
有薗芳記
広岡由里子
関 時男
木場勝己
檀 れい


■スタッフ
演出:山田洋次
脚本:鄭 義信



■上演時間
【昼の部 11:00開演】
第一幕 11:00-12:40
  <休憩  35分>
第二幕 13:15-14:30

【夜の部 16:00開演】
第一幕 16:00-17:40
  <休憩  35分>
第二幕 18:15-19:30


【昼の部 13:00開演】
第一幕 13:00-14:40
  <休憩  35分>
第二幕 15:15-16:30

【夜の部 18:00開演】
第一幕 18:00-19:40
  <休憩  30分>
第二幕 20:10-21:25


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頭痛肩こり樋口一葉  こまつ座第100回記念公演 紀伊國屋サザンシアター  [演劇]

こまつ座の第1回公演にして、第100回公演を飾る『頭痛肩こり樋口一葉』を紀伊国屋サザンシアターで観た。演出は栗山民也、出演者は小泉今日子など若返っての再出発である。かつては日比谷の芸術座で商業演劇としても上演されるなど、井上ひさしの作品の中では商業的にも成功した作品の一つである。

今回の舞台は、平舞台の上に座敷となる長方形の空間が据えられ、柱だけが立てられているという能舞台を思わせるような簡素さ。松羽目ならぬ原稿用紙が背景を彩るというのが趣向。ホタルの光はt緑のレーザー光線で表現されるなど、ハイテクの機能もさりげなく取り入れられているようである。ところが進歩したものもあれば劣化したものもあるようで、登場する6人の着物の着方が何ともおかしいのである。自分で着たのか、着付けてもらったのか、着崩れてしまったのか。愛華みれは特に酷くて見ているのが辛かった。舞台で普通に着こなしている歌舞伎や新派の役者の凄さを再認識した。

毎年、盂蘭盆会の7月16日が舞台となるのが、作者井上ひさしらしい思いつきなのだが、前半は意外に舞台が弾まず、笑える部分も少なく、下手くそなコントを延々と見せられている気分だった。一葉の小泉今日子が主役とはいえ、それほど重要な役でも実はないからである。俄然舞台が面白くなるのは、かつて新橋耐子が演じた花蛍の幽霊が登場し、売春婦にまで身を落とした熊谷真実らが活躍しだすからである。

男達の横暴な振る舞いに翻弄されていく女性達が死んでもなお、懸命に生きて行こうと仏壇を背負って歩き出す末娘を温かく身守る幕切れは感動的である。もっとも、自ら伴侶に暴力をふるったなどと暴露された井上ひさしの作品であるとうのも、今となっては複雑な想いを抱かざるを得ない。

見直したのは、舞台女優としての小泉今日子。アイドルとして出発し、映像作品でも活躍していたのは知っていたが、舞台の上での存在感もなかなかのものである。天海祐希や宮沢りえなどの立ち位置で十分やてるのではないだろうか。そして三田和代。老けてからの身体の扱い方が素晴らしい。劇団四季を退団して30年。かつてはミュージカルにも出演していて歌える女優だったはずだが、ちゃんと芝居も普通にできている。滑舌の滑らかさだけで、感情の入らない劇団四季のメソードとは無縁の人になっているようである。

2013年8月3日(土)

■作   井上ひさし

■演出  栗山民也

■出演
小泉今日子 三田和代 熊谷真実
愛華みれ 深谷美歩 若村麻由美

■ストーリー
明治の半ば、樋口の家は貧しかった。
父や兄に先立たれ、仕方なく樋口家の戸主となった樋口家の長女・夏子(樋口一葉)は、母・多喜の期待や妹・邦子の優しさに応えようと、孤立奮闘する日々を送る。
和歌で自活できないことを知り、小説で身をたてる以外に道はないと悟った夏子はただひたすら筆を走らせる。
「ただ筆を走らせるためだけに身体をこの世におく」とそう心に決めた時、夏子の前に現れたのは、彷徨える幽霊の花螢だった・・・。
夏子と花螢のユーモラスな交友、そしてたくましく生きる明治の女性たちの姿を主軸に描かれる井上ひさし版樋口一葉像。

二十二の短編と四十数冊に及ぶ日記と四千首をこえる和歌の詠草を残し、二十四歳六ヶ月で夭折した明治の天才女流作家・樋口一葉と、様々な境遇を背負った五人の女性が織りなす、切なくて、楽しい幽界(あのよ)と明界(このよ)にまたがる物語・・・。
栗山民也の新演出で今、甦る。
一葉十九歳から、死後二年までの盆の十六日に焦点をあて、井上ひさしがこまつ座旗揚げ公演で書き下ろした樋口一葉の評伝劇が、こまつ座第100回記念公演で待望の上演。

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アマテラス 赤坂ACTシアター [演劇]



歌舞伎座の休場期間中に、新橋演舞場、国立劇場といった東京の大舞台に歌舞伎俳優として立たなかった玉三郎。大幹部がこぞって3ヶ月にわたり出演した杮茸落公演も六月公演には登場しなかった玉三郎。誰もがさよなら公演と同じく團十郎と玉三郎が揃って『助六』に出てくれることを望んでいたはずなのに。海老蔵が代役に立ったとはいえ、玉三郎があえて揚巻で出ないならば歌舞伎座の立女形とはいえない。何のための人間国宝だったのか。六月の歌舞伎座を休んだ理由が『アマテラス』の稽古のためだったというのだろうか。

驚いたことに9月は福岡・博多座で、10月は京都・南座で1ヶ月公演が予定されている。年内は東京に登場する可能性があるのは11月と12月だけということになる。結局12月の『仮名手本忠臣蔵』で、お軽を演じるということになったのだが…。本当にこれでいいのだろうか。歌舞伎以外の舞台に熱心とはいえ『アマテラス』の舞台のレベルの低さに呆れ果てた。何も観るべきものが無かった舞台、それに盛大な拍手喝采を送り続ける観客。あまりの不愉快さにカーテンコールの途中で劇場から逃走した。

鼓童の太鼓と玉三郎が共演する意義が最後まで見出せなかった舞台である。残念ながら玉三郎は全く美しくなくて、むしろ醜悪でさえあった。振り付けとも演技とも思えない横移動を繰返すばかりで、全く何も伝わってこない。それに音楽をつける?鼓童も遠慮があるのか、本来あるであろう太鼓の演奏の楽しさが伝わってこなかった。

結局、第2幕の冒頭の鼓童単独での演奏が素晴しかっただけ。アメノウズメの元宝塚歌劇団男役スター愛音羽麗にいたっては、ひどい振り付けの上に、なんとか正確に振りを覚えましたというレベルで、玉三郎も含めて「本当に踊っていて楽しい?」と聞きたくなるほど何も伝わってこないのである。バレエにしろ、日本舞踊にしろ、踊り手がさらなる高みを目指そうという気がなければ、観客を感動させることなどできないのである。玉三郎を観ることに喜びを感じることのできる観客ならともかく、本物の感動に出会いたいと劇場へ足を運んだ観客にとっては迷惑この上ない舞台だった。
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おのれナポレオン 5月11日19時開演 東京芸術劇場プレイハウス [演劇]

天海祐希が心筋梗塞で降板し、その代役に宮沢りえが立った話題の舞台。宮沢りえは4回の舞台を踏むだけだが、その3回目を観る機会に恵まれた。最初から予定していた観劇なので偶然なのだが、こんな事はなかなか起きる事ではないので興味深々で劇場に向かった。当日券を求める人の列は2階の劇場前から階段を伝わって1階ロビーまで伸びていた。ほとんどが午前中から並んでいたようで、消防法ギリギリ?まで並べた補助席や立見席を販売していたようだった。そんな人気舞台でも、所々に空席があったのは天海祐希ファンの席だったのかもしれない。

宮沢りえは、わずか2日だけの稽古しかしていないとは思えないほど堂々たる演技を披露して立派だった。演技スペースは、舞台奥から客席にまで突き出した長方形の傾斜舞台。しかも上手と下手にステージシートとして観客が座っているので、歌舞伎の様にプロンプターに頼る訳にはいかない。時間や場面が目まぐるしいほどに移動するので、ちょっとしたキッカケを間違えると芝居として成立しなくなってしまう。

登場人物が6人だけで、複雑な心の動きをみせる芝居だけに、単に台詞を覚えるだけ、動きを覚えるだけでは務まらない役である。野田秀樹をはじめとする共演者に負けない個性をも発揮しなければならないので、相当ハードルは高かったはずである。たまたま宮沢りえはスケジュールが空いていたから良かったものの、上演中止になっても可笑しくない状況だった。必死で台詞や演技を覚えても、たった4回しか上演出来ないのである。損得だけなら、引き受けても損ばかりである。万一、舞台で立ち往生でもしたら最後、彼女の女優のキャリアを傷つける恐れもあった。

そんな困難な状況を乗り越えて、宮沢りえは立派に代役を務めた。見事な女優魂と言わなければならない。しかし、それだけの成果のあった舞台かというと微妙だったかもしれない。ナポレオンの死の謎を巡る物語。登場人物の誰もがナポレオンに殺意を抱いていて、死後20年を経て真相を明らかにしようとする試み。チェスの名人で、遥か先の手まで読み切ってしまう能力のあったナポレオン。彼が見通す事の出来たのはチェスだけではなかった。と書いてしまうと単純で勘の良い観客ならば先が読めるような、少々底の浅い芝居だった。

三谷幸喜の作品らしく適度に笑いが散りばめられてはいるが、心に残る様な物は少なく、ひたすら野田秀樹の個性的で珍妙?な台詞回しで観客を翻弄し続けるのを眺める他はなかった。とにかく野田秀樹の存在感に尽きる芝居で、そこへ目を付けた三谷幸喜は流石なのだが、途中から三谷幸喜の作品なのか、野田秀樹の作品なのか分からなくなってしまった。

野田秀樹の作品としては、饒舌さや軽妙さ詩的なイメージが不足しているし、三谷幸喜の作品としては完成度が低かった様に思う。特に野田秀樹が登場するまでの前半が低調で面白くなくて退屈。ようやく野田秀樹が登場して、軽やかな演技を披露してから舞台が弾んだ。

カーテンコールは気の早い観客が最初からスタンディングオベーション。宮沢りえの快演は認めても、野田秀樹はテンションが高すぎて何を言っているのか分からなくないことが多かった。しかも結構老けている事に驚いた。他の共演者も非常事態だからかテンションが高かったが、台詞が不明瞭な役者もチラホラ。一日潰してまで並んで当日券を買った観客は気の毒だったかもしれない。

作・演出 三谷幸喜

ナポレオン・ボナパルト 野田秀樹
アルヴィール・モントン 宮沢りえ

シャルル・モントン 山本耕史
マルシャン 浅利陽介
アントンマルキ 今井朋彦

ハドソン・ロウ 内野聖陽

演奏 高良久美子 芳垣安洋

19:00〜21:20

新版・人生はガタゴト列車に乗って…… 浜木綿子芸能生活60周年記念 シアター1010 [演劇]

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東宝制作の舞台なのに、シアター1010という北千住駅に隣接する丸井の11階にある劇場での公演である。元は日比谷の芸術座で初演された作品であるし、東宝では最後の座長公演が打てる女優・浜木綿子の芸能生活60周年を記念する公演なのだから、シアター・クリエで短期間であっても上演すればいいと思うのだが、満員御礼だったのは何よりである。

丸井のあるビルの11階にあるとはいえ、公共の施設らしく定員700名程度の手頃な大きさの劇場で、都心にあれば人気の出そうな劇場ではある。

客席のパノラマビュー
http://www.t1010.jp/panorama/vr/kyakuseki_tour/kyaku_tour.html

舞台のパノラマビュー
http://www.t1010.jp/panorama/vr/butai_tour/butai_tour.html

東京公演のあとは、名古屋・中日劇場、大阪・新歌舞伎座などの大都市での短期公演のほか、横浜、仙台、甲府、北陸地方、四国、松本、呉などを5月19日まで巡演し、さらに秋には福島と福岡の博多座での短期公演が決定したようである。かつてのように、大劇場での1ケ月公演は望めないにしても、これだけの長期間の地方公演が実現できるのだから、浜木綿子の実力は相当なものである。

香川照之の母親であるということは知っていて、新橋演舞場での襲名披露公演でみかけたが、実際に舞台を観るのは今日が初めてだったのである。観る機会は何度もあったにもかかわらず、山田五十鈴を見逃したという一生の痛恨事を繰返さないためにも是非観ておきたかったのである。

また、森繁久弥、山田五十鈴、森光子といった俳優を支え続けた東宝劇団の脇役の存在にも興味があったからである。東宝の演劇製作がミュージカル中心になってしまい、演じるべき劇場も失ってしまった今となっては復活はありえないので、これが最後になるかもしれないという思いで劇場へ足を運んだという訳である。

脇役で一人あげるとすれば荒木将久ということになるだろうか。今年82歳になるという高齢の俳優だが、初舞台が1955年のエノケンと越路吹雪の『お軽と勘平』だというのだから、浜木綿子と同じくまもなく芸能生活60年という大ベテランである。

年齢を感じさせない若々しさといぶし銀の演技が天使をしびれさせた。第1幕の最後で、浜木綿子の主人公に向かって放つ「それでも、母親か」という台詞の深さは彼でなければ発せられない名台詞だと思った。昭和一ケタの生まれらしく、舞台映えのする顔の大きさと押し出しのよさ、台詞の明快さなど、伊達に東宝の舞台で生き続けてきただけのことはあると感心させられるばかりだった。

さて、物語は井上ひさしの母親である井上マスさんの自叙伝を劇化したもので、今回の四半世紀ぶりの再演にあったて、堀越真によって新たに脚本が書かれたという。資産家の家に嫁ぎながら夫を亡くし、薬事法規試験に独学で合格しての薬局、生理用ナプキンの製造・販売、美容室経営、建設会社の設立、中華料理店に併設の売春宿の経営、最後は屋台店の開店にこぎつけるまでの波乱万丈の人生を描く。

全2幕全11場という多場面の芝居なのだが、旅公演も考慮してのコンパクトでありながら、短時間の舞台転換を可能にした舞台装置のおかげで少しのストレスも感じさせないで、物語を進行させていったのは見事な仕事だったと思う。

そうした多場面をうまく書き分け、よく考えると飛躍がありすぎる舞台なのだが、そうした欠点をいささかも感じさせない脚本の堀越真、手際よく、泣かせて、笑わせて、観客を楽しませる術を熟知した池田政之の演出も浜木綿子の魅力を引き出していて上手い。

中劇場規模の劇場とはいえ、台詞はピンマイクを俳優がつけてPAを通すという方式で、多少客席がうるさくても台詞を聞き逃さないですむという利点があった。それでいて、細やかな心理をもマイクに拾わせるような演技術にも精通している俳優が多かったせいか、破綻なく最後まで芝居が流れていったのは良かった。

さて浜木綿子の演技だが、芸能生活60周年というくらいだから、70歳は超えているはずなのに、驚異的に若いし、台詞のキレのよさもあり、絶妙な間で台詞を繰り出すので、少しも舞台から目が離せなかった。笑わせておいて、泣かせる演技も抜群、これなら最後の女座長として残れるわけである。登場するたびに変えていく衣裳も浜木綿子が着ると、一段と輝きを増しているように思えた。多少、動きに老いを感じさせないこともなくはなかったが、とにかく浜木綿子は見逃してはダメだと思った。

そして左とん平の上手さと軽妙さときたらどうだろ。失礼ながらテレビタレントという見方しかしていなかったので、こんなに芝居が出来る人だとは思っていなかった。ペーソスを感じさせハートのある演技のできる人は他にいないのではないだろうか。そのほか、大空真弓、風間トオル、紺野美紗子、遠藤久美子、逢坂じゅん、小宮孝泰など脇役も好演していて、非常にまとまりのある芝居になっていたと思う。少し前までは、こした芝居が興行として成り立っていたのに、失われつつあるのは非常に残念である。

原作:井上マス 脚本:堀越 真 演出:池田政之

出   演:
浜 木綿子 左 とん平 紺野美沙子 風間トオル 大空眞弓
遠藤久美子 逢坂じゅん 小宮孝泰 荒木将久 臼間香世 他

【公演紹介】

去りゆく町と来る町と
山坂越えてつなぐガタゴト列車。
揺られつつ、
移り変わる風景を眺め思います。
長い長いトンネルにも
必ず出口が開けると。
さあ、ここで途中下車、
どんな出会いがあるかしら…

天国にいるおまえさん!
おまえさんに成り代わり、
三人の息子たちを守り育ててゆきます!
さあ、キリリとたすきがけ、
がんばります、見ていて下さい!

井上ひさしの母・マスの感涙の一代記を痛快に描いた、人間ドラマの真骨頂!
芸能生活60周年。菊田一夫演劇大賞を受賞し、200回以上の上演回数を誇る浜木綿子の代表作が皆様のもとへ帰ってきます。

昭和3年のおわり、東京から山形の資産家の息子の元に嫁いだマスは、3人の子宝に恵まれるが、夫に若くして先立たれてしまう。
未亡人となったマスは3人の子供と共に薬剤師、美容院の経営、土建業の親方、遊郭のおかみと次々仕事を変えながら、小松、一関、釜石と、東北の各地をアイデアと度胸と根性で渡り歩き子供たちを育て上げる。
ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト、としか歩めなかった時代を痛快に生きた日本の母の一代記。悲しくも可笑しい人間模様を、個性豊かな出演陣でお贈り致します。


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小沢昭一『唐来参和』のDVDを観る [演劇]


唐来参和 (とうらいさんな) -出演 小沢昭一- [DVD]

唐来参和 (とうらいさんな) -出演 小沢昭一- [DVD]

  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • メディア: DVD



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観たい観たいと思っていながら、実際に観るチャンスもあったのに、機会を逃してしまった『唐来参和』のDVDが発売されたので早速購入した。

いわゆる一人芝居なのだが、導入部はちょっと助平?な小沢昭一自身として登場して、吉原の事など面白おかしく語っていくうちに芝居に入っていく見事さ。わずか扮装だけで、声音を変えて鮮やかに演じわけ、アッという間に最後までいってしまった。

これはもう小沢昭一以外には、演じられない芝居で、もう二度と見る事ができないだろう貴重な記録である。井上ひさしの原作という事で観なかった事を今は後悔している。迷った時は必ず観るべしなのである。


【追悼企画】 俳優・小沢昭一の真骨頂! 伝説の一人芝居を記録した貴重な映像を初DVD化!

唐来参和 (とうらいさんな) -小沢昭一出演-

2013年3月20日発売■VIBF-5477■4988002645664 ■4,935円(税込)■4,700円(税抜)
■1988年2月26日 新宿・紀伊國屋ホール■4:3■カラー■片面1層■本編約103分 ■ドルビーデジタル ステレオ

唐来三和 とは
2012年12月10日に惜しくもこの世を去った、俳優・小沢昭一が、“引退興行"と称して、
1982年からの18年間にわたって演じ続けた一人芝居。原作は、井上ひさし氏の「戯作者銘々伝」。
公演数は全660回に及び、そのすべてを一人で演じきった。

出演
小沢昭一

スタッフ
原作:井上ひさし「戯作者銘々伝」(中公文庫) 演出:長与孝子

内容
酒に酔うと他人の意見の逆を行く癖があるばかりに、御高家吉良家の用人から妻を吉原の女郎に身売りして長崎じぇ蘭学修行→浮世絵の腕のたつ印刷職人→黄表紙の洒落本作家(戯作者)唐来参和として名を成すが、女郎の年期の明けた恋女房との祝言の席上、酔った挙句の口論から忽ちその場で女房を吉原裏通りの小見世に叩き売って、その足で女郎屋の婿養子となる。すべての行動の原理が“損得"どころか、酒に酔うと他人の意見の逆を、逆をと行く反対癖。あべこべ・ひっくり返し・逆立ち。とにかく逆の方向へ行ってしまい自分の気持ちがどういう仕掛けになっているのか自分でも分からず数奇な運命を辿る男と女の物語。


遠野物語  劇団わらび座 東京芸術劇場 [演劇]

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畑中先生が生前に音楽の友の連載で絶賛していた劇団わらび座の公演をようやく観ることができた。秋田県の田沢湖の近くに本拠地を置き、オリジナルミュージカル公演年間250ステージをおこなうほか、7つの公演チームが国内、海外で年間約1200回の公演を行っているという。さらに愛媛県東温市にも「坊っちゃん劇場」という拠点劇場がある。日本では劇団四季に継ぐ規模を持つ劇団で、伝統芸能を基本に、歌やダンスに和楽器もこなすという集団であるという。劇団の収入だけで生活ができるというのも劇団四季と同じ。

劇団四季が海外ミュージカルの翻訳上演と、お子様向けのミュージカルに時々ストレートプレイを上演していて、観客の平均年齢が低いのが特徴で、日本人の団員の他、韓国籍や中国籍の団員も多い。劇団わらび座は、主に日本を舞台にしたオリジナルミュージカルを上演していて、幅広い年齢層の観客を集めているようだ。

開幕前は温泉施設を周辺に持っている本拠地というのも何やら宝塚のようでもあり、かつて温泉センターに出演していた大衆劇団のような役割もあったのかなあという先入観もあった。東北を中心とする郷土芸能をベースに、よさこいソーラン風の洋楽にのせたダンスも披露し、さらに合唱といった音楽的な面も本格的で、劇団わらび座という素朴な名称の割りには、かなり高度なパフォーマンスを繰り広げる集団で、世界のどこにもないオリジナルな世界を持つ劇団だと思った。

手塚治虫原作の「ブッダ」、スタジオジブリの「おもいでぽろぽろ」、横内謙介の「小野小町」など、挑戦的ともいえる意欲的な作品もレパートリーにもっていて、劇団四季よりも活力を感じる劇団である。劇団四季のような、妙な日本語での台詞もないのもよい。ただ知名度の点では、遠く及ばないのか東京芸術劇場のプレイハウスという格好の規模の劇場を使用しながら、満席とは言い難い動員だったのは残念だった。

第1部は柳田邦男の「遠野物語」の99話に登場する大津波で妻子を失った福二のその後を描いたオリジナルストーリーで、山男と暮らす娘、カッパ、座敷わらしなどが登場し、たどりついた遠野の人々の交流を通じて心の再生を果たすという物語。主題歌が印象的な旋律で、終演後も頭の中から離れなかった。この中では、春の耕作から秋の取り入れまでを取り入れた「田植え踊り」、頭につけたしし頭?をつけて踊る「しし踊り」が披露された。心に傷を持つ主人公が「しし踊り」を踊ることで蘇る姿が感動的だった。

第2幕は翁を狂言回しに、ある時は生演奏の太鼓、合唱、録音の洋楽を伴奏に使い、次々と東北地方の郷土芸能を繰り広げて、ちっとしたお祭り気分で、辛い日々を送る東北の人々に思いをはせることのできる作品となっていた。

鰊漁を題材にした「沖揚げ音頭」は男性中心の力強いものだった。次は女性だけで「雛子剣舞」。太鼓を叩いての「じゃんがら念仏踊り」、勇壮な「虎舞」、最後は「さんさ踊り」が披露され、華やかに幕となる。その間を翁がつないで、笑わせる場面もあって飽きない。最後は短いアンコールもあるが踊りっぱなしの団員は、劇場の出口で見送るサービスまであって満足させてくれた。

出演者のレベルは高く、腰をグンと落とした姿勢に力強さと柔軟性があり、日頃の鍛錬の厳しさを想像させた。元々は左翼系?だったようだが声高に何かを訴えるような主張する演劇とも無縁で、ひたむきに歌と踊りを繰り広げる芸能集団で他の作品も観てみたいと強く思った。

首都圏での公演予定
ミュージカル「ブッダ」

ミュージカル「おもひでぽろぽろ」

「遠野物語」

平野 進一
椿 千代
安達 和平
笹岡 文雄
千葉 真琴
高田 鵬
森下 彰夫
塚越 光
飯野 裕子
末武 あすなろ
吉田 葵
渡邊 真平
小山 雄大
鎌田 千園
山田 愛子
高橋 真里子


第一部 舞踊詩「遠野物語」 台本・演出/ 栗城 宏

作曲/ 甲斐 正人
美術/ 土屋 茂昭
照明/ 塚本 悟
衣裳/ 樋口 藍 
音響/ 小寺 仁
ヘアメイク/ 馮 啓孝
小道具/ 平野 忍

17:30~18:25

休憩 18:25~18:40

第二部 舞踊集「故郷(ふるさと)」 台本・演出/ 安達 和平

振付/ 安達 真理
作曲/ 紫竹 ゆうこ
美術/ 土屋 茂昭
照明/ 塚本 悟
衣裳/ 樋口 藍 
音響/ 小寺 仁
ヘアメイク/ 馮 啓孝
小道具/ 平野 忍
編曲/ 只野 展也

音楽監督/ 甲斐 正人

18:40~19:20


制作にあたって

わらび座61年目の夏、東北に生きるわらび座が、東北に息づく歌と踊りと物語を土台に、勇気とエネルギーの舞踊の舞台をお届けします。大自然に挑む暮らしの中で、心とコミュニティのより所として育んできた東北の民俗芸能と祭、そして昔語り。今回はその代表として「遠野物語」をベースに舞台化致します。

「遠野物語」は、人間はあらゆるものと共存しているという当たり前の事実を突き付けてくると同時に、そんな世界を人々が自らの知恵と想像力で乗り越えてきた証でもあります。山にも里にも人間とは関係なく自由に生き物が暮らし、天変地異が襲い、人間の魂でさえも無事にあの世に行くものもあれば彷徨うものもある。「遠野物語」の人々は予期せぬ事に遭遇するたびに翻弄されます。しかし逞しくどこか大らかに、妖怪や神様の存在を借りながら思い通りにならなかった事も受け入れて、明日に向かってまた歩み出すのです。

わらび座の「遠野物語」は、森羅万象の中で生きるちっぽけな人間達が、知恵と勇気を持って明日に挑み続ける姿をお届け致します。東日本大震災を越えてゆく私達にとって、これらは今まさに強い力を発揮し、魂を奮いたたせてくれるものと確信しています。


第一部 舞踊詩「遠野物語」

自然の神・精霊たちやもののけたちが集い踊る美しいオープニング。そして山の中を彷徨い歩く男・福二が登場します。山に棲む者たち、山男と暮らす娘おひで、座敷わらし、狐の美女、いたずら河童―。あらゆる生命と共存する遠野の里で、人々は実におおらかに逞しく暮らしています。彼らとの出会いの中で福二の心は徐々に解き放たれ、故郷でもう一度生きてゆこうと決意します。

第二部 舞踊集「故郷(ふるさと)」

遠野や三陸をはじめとした東北各地の舞踊を、未来を切り開くエネルギーと誇りに満ちた舞台にしてお届けします。
重厚な鬼剣舞の合唱の中に浮かび上がる翁舞。漁に生きる男たちの姿を描く沖揚げ音頭。ひな子剣舞をモチーフにした可憐な花の精たちの舞い。生者と死者の魂が熱く対話するじゃんがら。虎舞が未来に向かって躍動し、やがて総踊りのフィナーレへ。翁がいざなう故郷には、喜びも悲しみもより合わせ、支え合って生きてゆく人々の姿があります。


劇団わらび座のホームページはこちら
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