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頭痛肩こり樋口一葉  こまつ座第100回記念公演 紀伊國屋サザンシアター  [演劇]

こまつ座の第1回公演にして、第100回公演を飾る『頭痛肩こり樋口一葉』を紀伊国屋サザンシアターで観た。演出は栗山民也、出演者は小泉今日子など若返っての再出発である。かつては日比谷の芸術座で商業演劇としても上演されるなど、井上ひさしの作品の中では商業的にも成功した作品の一つである。

今回の舞台は、平舞台の上に座敷となる長方形の空間が据えられ、柱だけが立てられているという能舞台を思わせるような簡素さ。松羽目ならぬ原稿用紙が背景を彩るというのが趣向。ホタルの光はt緑のレーザー光線で表現されるなど、ハイテクの機能もさりげなく取り入れられているようである。ところが進歩したものもあれば劣化したものもあるようで、登場する6人の着物の着方が何ともおかしいのである。自分で着たのか、着付けてもらったのか、着崩れてしまったのか。愛華みれは特に酷くて見ているのが辛かった。舞台で普通に着こなしている歌舞伎や新派の役者の凄さを再認識した。

毎年、盂蘭盆会の7月16日が舞台となるのが、作者井上ひさしらしい思いつきなのだが、前半は意外に舞台が弾まず、笑える部分も少なく、下手くそなコントを延々と見せられている気分だった。一葉の小泉今日子が主役とはいえ、それほど重要な役でも実はないからである。俄然舞台が面白くなるのは、かつて新橋耐子が演じた花蛍の幽霊が登場し、売春婦にまで身を落とした熊谷真実らが活躍しだすからである。

男達の横暴な振る舞いに翻弄されていく女性達が死んでもなお、懸命に生きて行こうと仏壇を背負って歩き出す末娘を温かく身守る幕切れは感動的である。もっとも、自ら伴侶に暴力をふるったなどと暴露された井上ひさしの作品であるとうのも、今となっては複雑な想いを抱かざるを得ない。

見直したのは、舞台女優としての小泉今日子。アイドルとして出発し、映像作品でも活躍していたのは知っていたが、舞台の上での存在感もなかなかのものである。天海祐希や宮沢りえなどの立ち位置で十分やてるのではないだろうか。そして三田和代。老けてからの身体の扱い方が素晴らしい。劇団四季を退団して30年。かつてはミュージカルにも出演していて歌える女優だったはずだが、ちゃんと芝居も普通にできている。滑舌の滑らかさだけで、感情の入らない劇団四季のメソードとは無縁の人になっているようである。

2013年8月3日(土)

■作   井上ひさし

■演出  栗山民也

■出演
小泉今日子 三田和代 熊谷真実
愛華みれ 深谷美歩 若村麻由美

■ストーリー
明治の半ば、樋口の家は貧しかった。
父や兄に先立たれ、仕方なく樋口家の戸主となった樋口家の長女・夏子(樋口一葉)は、母・多喜の期待や妹・邦子の優しさに応えようと、孤立奮闘する日々を送る。
和歌で自活できないことを知り、小説で身をたてる以外に道はないと悟った夏子はただひたすら筆を走らせる。
「ただ筆を走らせるためだけに身体をこの世におく」とそう心に決めた時、夏子の前に現れたのは、彷徨える幽霊の花螢だった・・・。
夏子と花螢のユーモラスな交友、そしてたくましく生きる明治の女性たちの姿を主軸に描かれる井上ひさし版樋口一葉像。

二十二の短編と四十数冊に及ぶ日記と四千首をこえる和歌の詠草を残し、二十四歳六ヶ月で夭折した明治の天才女流作家・樋口一葉と、様々な境遇を背負った五人の女性が織りなす、切なくて、楽しい幽界(あのよ)と明界(このよ)にまたがる物語・・・。
栗山民也の新演出で今、甦る。
一葉十九歳から、死後二年までの盆の十六日に焦点をあて、井上ひさしがこまつ座旗揚げ公演で書き下ろした樋口一葉の評伝劇が、こまつ座第100回記念公演で待望の上演。

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