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ドリーミング 劇団四季 四季 [ミュージカル]2009-11-08 [ミュージカル アーカイブス]

 今日は夕方からゼミの担当教授の退官を記念したパーティーがあるので、その時間に間に合うようにと劇団四季のミュージカルを選択した。今、東京では「ライオンキング」「アイーダ」「コーラスライン」「ドリーミング」さらに3日後には「キャッツ」が横浜で開幕する。名古屋では「オペラ座の怪人」、京都では「美女と野獣」、大阪では「ウィキッド」、福岡では「ウエストサイド物語」、全国公演として「人間になりたがった猫」、「エルコスの祈り」、「アンデルセン」、さらに近日オープンする作品としては、「劇団四季 ソング&ダンス 55ステップス」、来年には「エビータ」、「サウンド・オブ・ミュージック」などが控えている。

 さすがに東京公演だけでも4公演とあっては、動員部分で勝ち組と負け組に分かれてしまったようである。勝ち組は、ロングランが始まったばかりの「アイーダ」。負け組の筆頭は、この「ドリーミング」ということらしい。かつて日生劇場で上演された「青い鳥」が、青山劇場のこけら落としの際に「ドリーミング」と改題されて大作ミュージカルとして生まれ変わった。ベースとなったのはオリジナルの岩谷時子=作詞、内藤法美=作曲のものだが、イルカや小椋 佳が楽曲を提供し、当時ヒットしていた「キャッツ」よりもダンスシーンのダンサーが多い!という不思議な惹句で大宣伝されて4ヶ月?ぐらいのロングランをしたはずである。

 キャストも日下武史、浜畑賢吉、市村正親、山口祐一郎、野村玲子、保坂知寿、志村幸美といったベストのキャスティングが実現した。大宣伝の甲斐あってか大ヒット。「キャッツ」を後援したフジテレビに対抗してか、「ドリーミング」はTBSが後援し、TBSでゴールデンタイムに舞台中継が放送されたりもした。天使はもちろんビデオを持っているのだが、YouTubeにも映像が出ているようである。

 その時の記憶では、「青い鳥をさがそう」というメインテーマ?と志村幸美の「いつの日か夜が明ける」の熱唱が印象深い。さらに当時の最新鋭の舞台機構を備えた青山劇場の回り舞台を備えたスタイディングステージや舞台全体が大迫りになっていて、さらに小迫りに分割するという日本初の機構を生かした演出がされた。

 今回の上演の特徴は、未来のこどもたちのナンバー「生まれるってどんなこと」が子役によって上演されたこと。チルチルミチルの兄妹が女優によって演じられたこと。上演時間、休憩時間が短縮され合計が2時間20分になったことである。聞くところによると子役をカーテンコールに出演させるには21時を過ぎることができないので、上演時間が2時間5分、休憩時間が15分に短縮されたらしい。

 おかで天使の大好きな「いつの日か夜が明ける」は、光の清が登場するときにだけ歌われ、本来の母の愛の場面での大人の鑑賞にも耐えうる感動的な歌唱はカット。しかもメインテーマもオリジナルの岩谷時子=作詞、内藤法美=作曲の「青い鳥」になってしまってガッカリ。確かに悪くない曲だけれど、リズムの刻み方など、やはり古い曲だなあと思う。元々切り貼りされた作品とはいえ、場面毎の音楽の傾向が変化してしまって落ち着きが悪い。

 最大の問題は、名場面の「生まれるってどんなこと」の子役の登用である。人間になって生まれる前の子供でもない不思議な存在なので、別に子役で演じる必要はないはずである。来年上演される「サウンド・オブ・ミュージック」や噂される映画「リトル・ダンサー」のミュージカル化の作品に備えての自前の子役養成だとしたら、何とも手回しのいいことではある。子役独特の演技が鼻につくし、恋人同士の別れの感情表現など子供には無理である。せっかくの「生まれるってどんなこと」が台無しだった。

 それに比べれば、子供のためのミュージカルで徹底的に鍛えられた女優による子供演技は、チルチルとミチルの兄妹で見事な成果を上げた。歌舞伎の女形が舞台で女性を演じて、実際の女性以上の存在に変身してしまう。ミュージカルでも、子供以上に子供を演じることのできる女優の技術は、本物の子供たちの演技を遙かに越えていて、今さらながら劇団四季の女優陣の子役演技のレベルの高さをみせつけた。今後も、間違ってもチルチルとミチルを子役が演じることのないようにお願いしたい。

 感動的な部分は、亡くなった人を追想する場面、母親の愛の深さを知る場面などなど、観客の情感に訴えるところで、何度も泣かされた。反対に退屈だったのは「森の怒り」のダンスナンバーで、環境破壊など今日的なテーマを内包していながら、単なるテクニック先行の振付で面白みがないし深さにも乏しかった。しかもテクニック的にも見るべきものは少ないし、レベルはけっして高くない。

 古い演出なのに色あせて見えなかったのは第2幕の冒頭の「幸福の国」の場面である。たぶん金森 馨のアイディアが生かされているのではないかと思うが、モダンアートのようなデフォルメされた醜い?幸福の姿が異彩を放っていて、綺麗事ばかりが並んだような平凡な作品の中では、一番衝撃的でありながら芸術的な場面であったと思う。前後の場面とあまりに違いすぎるくらいはあるが名場面だと思う。

 チルチルの大徳朋子、ミチルの岸本美香は、本当に子供に見えて素晴らしい。光の精を歌った沼尾みゆきは、聴かせどころのナンバーが削除されてしまったので、実力が発揮されなかったのではないだろうか。母親チルと母の愛に加えて夜の女王を歌った白木美貴子は、歌唱力とも演技力ともに、このキャストの中では安定していた。かつて前進座の南座の公演で主役級に抜擢された舞台を観た記憶がある。前進座に誕生した久々の大型新人と期待された人である。

 やがて退団して、東宝ミュージカルに出演するようになり、とうとう劇団四季の舞台にも出るようななったのか思うと感慨深い。前進座でも子供向けの時代劇ミュージカルなどを上演するのだし、日本のミュージカル畑を全て体験している人として貴重な存在ではある。さて、それ以外に目立つ資質、才能を持った役者がいたかというと微妙である。スター主義の劇団ではないので難しいのかもしれないが、もっと自分の存在を舞台の上で主張してくれないと面白くなってくれないのだ。

 音程を外さず、正しい振付で踊り、開口で正しい発音で台詞を朗誦しようとも感動を生むとは限らないのである。方法だけでは駄目で、たぶん演出家が忌み嫌うような個性が必要なのだと思う。人畜無害を絵に描いたような劇団四季の男優や女優では無理なのかも。それにこんなに公演数が多くては、才能の分散化は避けられないハズである。

 スター主義の劇団ではないとはいえ、プリンシパル、ソリスト、コールドといったバレエ界の階級制度を導入するなど、自前のスターを養成するような制度つくりがあってもいいのではないだろうか。少なくとも自前の子役養成事業よりも、自前のスターづくり、役者としての最終目標が必要だし、役者のモチベーションを高める方法を考えるべきだと思う。

 上演時間は短くたものの、それを感じさせないほどカットは巧みだった。しかし、短期公演とはいえ、本拠地である東京でカラオケミュージカルはないと思った。全国でミュージカルを上演していても、その多くは本物の音楽を伴わない「偽物のミュージカル」だと自覚していない観客の増殖は恐ろしい現象である。そしてカラオケミュージカルに慣れてしまい当然と思う役者の増殖も同様である。
 
スタッフ
製作・演出:浅利慶太
脚色:劇団四季文芸部
振付:加藤敬二
音楽構成:鎮守めぐみ
作詞(五十音順):イルカ・岩谷時子・小椋 佳・林 光・劇団四季文芸部
作曲(五十音順):イルカ・小椋 佳・渋谷森久・鈴木邦彦・内藤法美・林 光・三木たかし・宮川彬良・宮川奏.
編曲:宮川彬良・寺嶋民哉.
照明:沢田祐二
美術:小林巨和
舞台美術:金森 馨・土屋茂昭・磯野宏夫・高橋常政・小林巨和
衣装:ローズマリー・バーコウ・高橋常政

キャスト
チルチル : 大徳朋子
ミチル : 岸本美香
犬のチロー : 田中彰孝
猫のチレット : 林 香純
パン : 白瀬英典
火 : 本城裕二
水 : 柏谷巴絵
牛乳 : 市村涼子
砂糖 : 塩地 仁
光/隣の娘 : 沼尾みゆき
ベリリューヌ/ベランゴー : 光川 愛
祖母 : 斉藤昭子
祖父/カシの大王/時の老人 : 田島亨祐
母親チル/夜の女王/母の愛 :白木美貴子
父親チル : 田代隆秀

【男性アンサンブル】
小林嘉之
小原哲夫
伊藤綾祐
深堀拓也
嶋野達也
加藤 迪
沢樹陽聖
文永 傑
亀山翔大
沖田 亘

【女性アンサンブル】
山中由貴
河内聡美
中村友香
細見佳代
海野愛理
脇野綾弓
猪爪明子
松尾千歳
加藤あゆ美
鈴木真理子
桜 小雪
木許由梨

【未来の子どもたち】
ジャン  : 相良飛鷹
ポリーヌ : 吉岡花絵
鼻風邪  : 中村浩大
恋人の男の子 : 相良飛鷹
恋人の女の子 : 吉岡花絵
惑星の王 : 山内瑞葵
弟 : 中村浩大
【子どもアンサンブル】
斉藤百南
小金丸陽菜乃
葦澤 咲
佐々木 玲
泉 里晏
松永さとり
木村 想
渡辺崇人

2009-11-08 23:11
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劇団四季 春のめざめ [ミュージカル]2009-05-04 [ミュージカル アーカイブス]

2009年5月3日(日) 自由劇場 13時開演 15時30分終演

ベンドラ : 林 香純
マルタ : 撫佐仁美
イルゼ : 金平真弥
アンナ : 松田佑子
テーア : 有村弥希子
メルヒオール : 柿澤勇人
モリッツ : 三雲 肇
オットー : 加藤 迪
ハンシェン : 一和洋輔
エルンスト : 竹内一樹
ゲオルグ : 白瀬英典
大人の女性 : 中野今日子
大人の男性 : 志村 要

【男性アンサンブル】
伊藤綾祐
玉井晴章
【女性アンサンブル】
岸本美香
浦壁多恵

 四季の会の会報「ラ・アルプ」5月号に浅利慶太が「日経ビジネス」2009年3月23日号に掲載されていたインタビュー記事が転載されていた。ちょっと気になった部分があった。

 劇団四季の舞台に多くのお客様が来てくださる第一の理由は、台詞が明晰に聞こえるからです。演劇の感動の80%は、戯曲です。演出や俳優、音楽、美術など様々な要素は残りの20%の中にあります。台本が良くなければ、俳優がいくら頑張っても良い舞台にはなりません。
 ですから演劇で最も大切なのは、台本の言葉を正確に客席に届けることです。そのための方法論も徹底的に研究しました。ある時、親友の音楽家、小澤征爾君に優れたピアノ演奏の特徴を尋ねたら、「それは音の分離だ」と言われました。音量の大小ではなく、一音一音がしっかり分離していないと美しい演奏にはならない、と言うのです。
 これに啓示を受けました。舞台でも全く同じで、一音一音の分離ならば言葉が確実に客席に届きます。そして日本語の音は母音だけです。子音は口の形に過ぎません。そこで音を司る母音の分離を明晰にするための方法を考え、「母音法」を作り上げたのです。劇団四季の俳優たちは、この方法論で徹底的に鍛えられています。


 四季節と揶揄される四季の朗誦術は、この「母音法」と「折れ」で構成されている。「折れ」は台詞の中にある感情の切れ目まで一息でしゃべる台詞術。台詞には意識の方向が決まっており、それはきっちり「折れ」ていると言う考え方で、千々に乱れる物思いを表すものとしての息継ぎ(ブレスポイント)の取り方は重要だという考え方である。理論はごもっとも。音楽と台詞を同列に語る神経はどうかと思うが、劇団四季の新作ミュージカル「春のめざめ」を観て、改めて劇団四季の「母音法」と呼ばれる朗誦術に失望させられた。

 劇中に同性愛を告白しあい結ばれる場面がある。いわゆるBoys Loveなのだけれど、これほど感情のこもらない言葉が並んだラブ・シーンを観たことがない。いくら言葉が明晰に客席へ伝わったとしても、感情が全く伝わらないのでは、それは「死んだ言葉」でしかない。「死んだ言葉」で何を語ろうと、キリスト教の倫理観に反する同性愛の純粋さなど観客が理解できる訳がない。「愛」すら伝えられない方法論など早く棄ててしまった方がよい。

 『春のめざめ』というミュージカルで感じた不満はこの部分だけである。劇団四季としては冒険ともいえる内容のミュージカルを20代前半の若手俳優らが中心になり上演し、大きな感動をよんだことは賞賛に値する。本当に素晴らしい舞台だった。もう一度どころか、何度も観たくなるような深さがある。きっと何度も通い詰めるリピーターが大量に発生するだろうと思う。一度観ただけではわからない小技な演技が散りばめられていて、カルト的な人気も博しそうである。「えっ、あんなところであんな小芝居を…」というネタが満載である。

 天使が確認できた小芝居の数々。主人公の少年と少女が再会したシーンで、少年が持っている本をさりげなく動かして勃起した様子をさりげなく表現したり。自慰をして自分の手に出してしまった?ザーメンの匂いをかいでしまうとか…。テーマがテーマだけに際どいシーンが満載ではある。自慰行為、SM、近親相姦、同性愛、虐待、自殺、妊娠、堕胎、リストカット未遂、そしてそのものズバリのSEXも、ロープで四方を吊られた戸板?の上で衆人環視の中で演じられる。

 見方を変えれば「空中マナ板ショー」みたいなもので、ヒロインは乳房を露出し、ヒーローは尻を出して腰を動かし、昇天演技までも披露するのである。そしてご丁寧にも第1幕の最後と第2幕の冒頭にもくり返される。しかし、スマートに処理された演出のせいか、少しも嫌らしさを感じさせないで、とっても自然な行為に感じさせた。もっともブロードウエイでは、もっと濃厚な行為だったようで、劇団四季版はだいぶ大人しかったようだけれど…。これが劇団四季の舞台なのかと目が点になった観客もいたのではないだろうか。ちょっと修学旅行の学生達にも見せてあげたい気がした。 全体的に性的な表現は控え目で、性器の呼称もペニスとヴァギナと英語で言ったりする。さすがチンポにマンコとはストレートに言えなかった事が全てを物語っているような気がする。それにしても少年少女のSMシーンで暴力的なシーンは生理的に嫌だった。泉鏡花の「山吹」くらいにいっちゃていると、それはそれで面白いのだけれど…。

 劇場に入ると、舞台前面は階段状になっていて、舞台の上手と下手に観客席がある。ステージシート自体は珍しくはないが、観客に混じって、劇場係員が座っていたり。サプライズなゲストが紛れ込んだりしている。手の込んだことに普通の観客と同様に案内係に案内してもらったりするので、アンサンブルとして突然歌い出したりするのには驚く。ちょっとお洒落な格好と普通の観客とは明らかに雰囲気が違うので目立ってしまっているので直ぐにわかるのだけれど。

 舞台は三方向を煉瓦の壁に囲まれている。教室のようにも、壁のようにも、牢獄のようにも感じる閉塞感のある舞台装置である。壁面には様々なオブジェが飾られていて、さながら現代アートの作品を見るかのようである。これにも、きっと一つ一つの深い意味が隠されているに違いないのだが、丸くて中央にボッチのある照明器具は乳房のように、キャンドルの照明器具はペニスのように見えてくる。そうするとヴァギナは…。なるほどあれか?となかなかお下劣な想像力も刺激してくれる舞台装置である。ブラックライトまで使用した多彩な舞台照明が何もかも美しく照らし出していて素晴らしかった。

 舞台奧には、ピアノ、ギター、ベース、ドラムス、ヴァイオリン、ヴィオラ&ギター、チェロの七人のバンドが陣取る。第1幕と第2幕では床に敷かれたパネルが撤去されるなど大仕掛けではないが工夫があり、俳優が舞台端まで押し出されるワゴンがあったりする。

 芝居は主に中央で演じられ、演じていない俳優は舞台上の観客と一緒に座っていたり、客席で演技したりして飽きさせない。かつて西武劇場で福田善之が演出したストレートプレイの「春のめざめ」を観たことがあるが、ロックミュージカルだと、登場人物達の感情が体感できて興奮と昂揚がある。32年前でも、ちょっと古いと感じたヴェデキントが見事に現代に蘇った感じである。

 とにかく舞台に若さのエネルギーが溢れるのがよい。劇団四季の若手というと、お子様向けのミュージカルでお上品な歌とダンスを披露する優等生達というイメージがあったが、性をテーマにして劇団四季の枠を破った感じでなんとも心地よい。演出協力に浅利慶太とクレジットされているが、一体何をしたのか?濡れ場の監修で際どいシーンに、ストップでもかけたのだろうか。それだけ従来の劇団四季のイメージを打ち砕いた画期的な舞台ではある。

 さて母音法はともかく、若手俳優はいずれも歌が上手く魅力的である。とびきりのイケメンもいないし、とびきりの美人もいない。ヒロインのベンドラを演じた林 香純など、手つかずの素材といった感じで、オボコ娘を演じるにはうってつけの体型で幼いのに成熟した肉体というアンバランスさを上手く醸し出していた。さすがに三人の出演候補者から初日を任されただけあって悪くない。男性も女性も健闘以上の好演で爽やかな感動を呼ぶ。最後の最後で劇団四季が上演するにふさわしい作品だったのが分かる仕掛けで、命の大切さ、自分を支えていてくれる亡き友や愛する人というテーマに泣かされた。

 自由劇場という最適のサイズの劇場を得た幸福なミュージカルの誕生である。センセーショナルな売り方もできるのに正攻法で売っている姿勢も悪くない。二人で何役も大人を演じた中野今日子と志村要も同じ衣裳で、演じ分けるという難しい役で支えた功績も忘れてはならないだろう。何度も観たくなる舞台だと思う。

2009-05-04 00:05
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劇団四季 ウエストサイド物語 全国公演 [ミュージカル]2009-04-24 [ミュージカル アーカイブス]

 今月から劇団四季の『ウエストサイド物語』の全国ツアーが首都圏を手始めにスタートしたが、天使の住む街にもやってきた。劇団四季ということで、小さなお子様連れのお客様も多かったが、さすがに子供向きではなかったようで、天使の後ろの席のご家族連れは第一幕で帰ってしまった。

  何かと不便な全国公演なので仕方がないが、舞台の上手と下手にPA用のスピーカーと舞台のモニター用?のスピーカー、さらに照明用のタワーが立っていて、とっても無粋。さらに舞台転換のたびに大轟音が響き渡り興ざめ。それにPAの音が調整が上手くないのか音源のせいなのか、奥行感がなくて薄っぺらすぎてバーンスタインの音楽が台無し。パーカッションの躍動感や緊張感など皆無。さすがに東京公演では生オケだったので、その落差に唖然とさせられた。それでも奥行きのない舞台をうまく使って、専用劇場同様に上演したのは見事だったとは思う。舞台端ぎりぎりまで演じるエリアとして使うので、けっこう迫力があったのは何よりだった。
 
 50年前に初演された舞台なのだけれど、昨日見た映画「ミルク」に影響されたせいか、この作品に新しい発見があった。保守的なブロードウエイの観客に向けて、SEXに対する拒否反応を和らげる巧妙な伏線がはられていたのに気がついた。ベルナルドの死の後に、トニーはマリアの部屋を訪れてベッドをともにする。今回の演出にはないが、今まではトニーが上半身裸ということもあった。今ならなんでもないことだが、初演当時は未婚の男女がSEXをしたのでは道徳的に大いに問題ありなのだと思い当たった。

 それに先立つ婚礼衣裳店で、二人がほぼ結婚式と同様の所作と誓いの言葉を述べる。単なる洋品店でもよかったはずなのに、婚礼関係の店にしたのは、こういう意味が隠されていたのかと30年以上も見ているはずなのに、初めて気がついた。観客の前で結婚式を挙げたので、SEXしてもOKだったのである。

 毎回何かしら発見があるのは名作であり古典となった証拠であろう。今回も新しい感動があった。その一番の功労者はマリアを演じた花田えりかである。久野綾希子にはじまり、野村玲子、保坂知寿らに引き継がれてきた劇団四季の娘役としては大きな役である。可憐な容姿を強調するためなのか、ちょっと変わった幼い感じの語尾が今回も受け継がれていて苦笑するしかないが、歴代のマリアの中では、最も安定した歌唱力を持った女優である。最高音も無理なく伸びるし、全音域に対してムラなく響かせられるマリアは初めてだった。特に光ったのはアニタに自分のトニーへの愛を切々と訴え、彼女の理解を得ようとするナンバーをこれだけ説得力を持って歌いあげたマリアを知らない。芝居も上手し、すべてが揃ったヒロインといいたいとことろだが、容姿に恵まれていないのが娘役としては苦しい。

 その他の配役は、残念ながら加藤敬二や松原勇気が出演した東京公演とはレベルが落ちるのは仕方がない。それでも、メインの役を演じるものが、あきらかにアンサンブルよりダンス力が落ちてみえては駄目だと思う。冒頭の有名なダンスシーンに緊迫感や迫力が足りないと感じたのは、主にリフの田邊真也とベルナルドの萩原隆匡の非力さによる。特にリフの田邊は、最大の見せ場のクールのナンバーなど、やっと踊っているというレベルで、バックダンサーが切れ味のよいダンスを軽々と披露しているのとは大差があった。

 もちろんアンサンブルにも力量の差があるのだが、高度なテクニック、スピードが必要なナンバーでは、それが如実に現れるのである。技術が今ひとつだけに、一流のダンサーが持っているような芸術的な香気など望むべくもなかった。最もがっかりしたのは、男性の役ではトニーの 阿久津陽一郎で、歌唱はソツないのだが、感動を与えるまでの圧倒的な歌唱力はなく、高音の伸びなど物足りないし、元不良少年という影や兄貴分としての貫禄もない。ちょっと役違いなのだと思う。女性役では、アニタの増本藍は、歌や演技はともかく、ダンス力と色気に乏しいのが致命的だった。全体的に見回しても個性的な出演者が少ないのと、外国人キャストからなのか、劇団四季のバリバリの開口で台詞を発するので、その不自然さに閉口させられた。

 けっして劇団四季の提供するレベルとしては、キャストのバラツキもあって高いものではなかったが、作品の持つ力のおかげで、新しい感動を生んでいた。それはトニーの死を受け入れるマリアの芝居の深さで、日本人が演じるにふさわしい思い入れがこちらにまで伝わってきて、タップリとった間の具合のよさが光っていた。大人の役では、クラプキンの牧野公昭が印象に残った。土地柄か外国人の観客もいたが、どのように受け止めたのか興味がある。

【ジェット団】
リフ          田邊真也
トニー         阿久津陽一郎
アクション      西尾健治
A-ラブ        大塚道人
ベイビー・ジョーン  大空卓鵬
スノーボーイ     澤村明仁
ビッグ・ディール   鎌滝健太
ディーゼル       キム スホ
ジーター        川口雄二
グラジェラ       高倉恵美
ヴェルマ        恒川 愛
クラリス        須田綾乃
ポーリン        蒼井 蘭
エニイ・ボディズ   木内志奈

【シャーク団】
マリア        花田えりか
アニタ        増本 藍
ロザリア       鈴木由佳乃
コンスェーロ     加藤久美子
テレシタ       高橋亜衣
フランシスカ     大口朋子
エステラ       原田真由子
ベルナルド      萩原隆匡
チノ         畠山典之
ぺぺ          水原 俊
インディオ       新庄真一
アンクシャス     龍澤虎太郎
ファノ         内御堂 真
ニブルス        斎藤洋一郎

【おとなたち】
ドック        山口嘉三
シュランク      勅使瓦武志
クラプキ       牧野公昭
グラッド・ハンド   川口雄二

2009-04-24 23:11
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劇団四季ソング&ダンス 55ステップス [ミュージカル]2009-01-02 [ミュージカル アーカイブス]

 いつも1月2日は歌舞伎座の初春興行の初日に駆けつけるのだが、今年は歌舞伎座さよなら公演の古式顔寄せ式があるので3日初日になってしまった。そこで普段はできない初詣と劇団四季のミュージカルの初芝居にでかけることにした。

 成田山新勝寺と柴又帝釈天に初詣。天気が良くて人出が多かったようだ。同じく四季劇場「秋」も満員の盛況だったのは何より。第一幕が約60分。第二幕が約65分。お正月なので幕間に和太鼓の演奏と餅つきのパフォーマンスなどがあり盛りだくさんな内容。作品ごとに完成度にバラツキがあり、歌の部分では退屈させられる部分もあったが、主にダンサーたちの活躍によってシンプルな舞台でありながら見応えがあった。

 今回は「ドレミの歌」で観客を舞台に上げ、パフォーマンスに参加させる趣向と観客を同じく舞台に上げて餅つきをさせる演出があった。どちらも劇団四季にとっては禁じ手のような気もするが、観客動員を考えると仕方のないことなのかもしれない。

 幕が開くとバンドが乗った装置が後ろに引かれ何もない空間が広がる。舞台には特設された周り舞台があって、丸い穴が開いたパネルが左右から出てきて劇空間を構成。さらに移動する二本の柱や階段、回廊などで変化をつけていたが、黒を中心として地味?な舞台装置だった。

 ダンサーには極限までの技術と体力を求めるような振付がなされていて、シュープな切れ味があって面白いのだが、やや単調になった部分もあったように思う。稽古場に流した涙と汗を感じさせる?という生真面目一方のダンスは見ていて疲れる。踊っている人間が楽しんでいるような余裕がないのが残念。そんな中では、『オペラ座の怪人』からの「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」にあわせてのバレエのパ・ド・ドゥが作品に寄り添っていて、技術的には物足りない部分もあったが美しくて楽しめた。

 ヴォーカリストはダンサーに比べると精彩を欠いたように思う。男性陣は個性的であったが、女性陣は個性に欠けていた。ソロ・ナンバーでは、観客の期待を受け止めるだけの歌唱力がない歌手が見受けられた。特に第一幕の『ノートルダムの鐘』から『マンマ・ミーア!』までは弱かった。ダンスパートが見事だっただけに残念。

 ダンスも必死、一生懸命は理解できても、それだけでは観客を熱くできないのがもどかしい。何もかもが、そんな舞台だった。やはりスター性のある俳優がいないのが厳しいと思う。人気スターが去ってしまって前途多難といったところだろうか。このクオリティでロングランが可能とは、とても思えないのだが3月までは続くらしい。個性を出そうとしている若手俳優よりも、真面目なサラリーマンが舞台に上がってしまったような高井治に目が釘付けになってしまった。歌専門だと思ったら、ダンスやドラムを叩くなど涙ぐましい彼の活躍は見てもいいかも。

ヴォーカルパート
阿久津陽一郎 高井治 李 涛

井上智恵 木村花代 花田えりか

ダンスパート
西尾健治 萩原隆匡 松島勇気
徳永義満 斎藤洋一郎 岩崎晋也
脇坂真人 神谷 凌 厂原時也

中元美里 駅田郁美 杏奈
須田綾乃 柴田桃子 恒川 愛
坂田加奈子 高倉恵美 斉藤美絵子
海野愛理 泉 春花 山本奈未
織田なつ美

曲目リスト
1幕
オーバーチュア「間奏曲(田舎人の合唱のフーガ)」
          「ヴィヴァルディ四季」
『アプローズ』より「ようこそ劇場へ」
『アプローズ』より「アプローズ」
『アイーダ』より 「愛の物語」
『アイーダ』より「勝利ほほえむ」
『アイーダ』より「星のさだめ」
『ライオンキング』より「シャドーランド」
『ライオンキング』より「早く王様になりたい」
『壁抜け男』より「最新ニュースのジャヴァ」
『ノートルダムの鐘』より「僕の願い」
『ノートルダムの鐘』より「トプシー・ターヴィー」
『ノートルダムの鐘』より「ゴッド・ヘルプ」
『メリー・ポピンズ』より「チム・チム・チェリー」
『マンマ・ミーア!』より「夢があるから」
『マンマ・ミーア!』より「手をすり抜けて」
『サウンド・オブ・ミュージック』より「ドレミの歌」
『リトル・マーメイド』より「パート・オブ・ユア・ワールド」
『美女と野獣』より「ビー アワ ゲスト(おもてなし)」

幕間「新春特別パフォーマンス」和太鼓&餅つき

2幕
『夢から醒めた夢』より「夢を配る」
『ユタと不思議な仲間たち』より「夢をつづけて」
『ユタと不思議な仲間たち』より「見果てぬ夢」
『ミュージカル異国の丘』より「アレキサンダーズ・ラグタイムバンド」
『ミュージカル異国の丘』より「名も知らぬ人」
『ミュージカル李香蘭』より「二つの祖国」
『ミュージカル南十字星』より「炎の祈り」
『ミュージカル南十字星』より「バリ舞踊」
『ミュージカル南十字星』より「祖国」
『ジーザス・クライスト=スーパースター』より「ピラトの夢」
『キャッツ』より「ラム・タム・タガー~つっぱり猫」
『キャッツ』より「メモリー」
『オペラ座の怪人』より「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」
『エビータ』より「飛躍に向かって」
『エビータ』より「ブエノスアイレス」
『スターライト・エクスプレス』より「スターライト・エクスプレス」
『ソング・アンド・ダンス』より「ヴァリエーションズ(パガニーニ)」
『ジーザス・クライスト=スーパースター』より「スーパースター」

カーテンコール
『クレイジー・フォー・ユー』より「アイ・ガット・リズム」
『マンマ・ミー・ア!』より「恋のウォータールー」
『ウィキッド』より「魔法使いと私」

2009-01-02 20:34
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五右衛門ロック 新感線☆RX  新宿コマ劇場 [ミュージカル]2008-07-20 [ミュージカル アーカイブス]

 今日は新感線☆RXの「五右衛門ロック」とアメリカン・バレエ・シアターの「海賊」のダブルヘッダーだった。松平健の公演以来なので2年ぶりの新宿コマ劇場である。まず今日からオープンしたシネコン「新宿ピカデリー」を見学。21世紀的な清潔感あふれるビルで、昔のいかがわしさを漂わす佇まいは、きれいサッパリなくなっていた。歌舞伎町にある新宿コマ劇場は、旧の新宿ピカデリーと同じく昭和の香りがするのだが、年末で閉館ということなので、今回がたぶん最後のコマ劇場体験である。

 天使が初めて新宿コマ劇場の存在を知ったのは、町内の電気屋が主催した観劇会に昨年100歳で亡くなった祖母が招待されたからである。由美かおるや由利とおるらが出演した喜劇公演だったように気がするが、祖母が持ち帰ったパンフレットを毎日眺めて、新宿コマスタジアム(そう呼ばれていたらしい)に憧れていた。進学のため上京して初めて観た新宿コマの公演は宝塚の正月公演だった。当時はコマ劇場でも宝塚を上演していたのである。

 さて、このコマ劇場は限られた敷地に最大限の客席を確保するということで、現在の形状になったようである。舞台から客席最後列まで階段状になっており、まさにスタジアム。三重の回り舞台を客席に迫り出すことにより、奥行きの足りなさを補い、それを取り囲むように客席を配置したので独特の劇空間となっている。

 当初はギリシャの円形劇場をイメージして設計されたらしいが、さすがにサイドの席は見切れてしまうのと、三方向から観られては芝居がしにくかろうと現在の形状になったということらしい。舞台から照射されるライトに照らされる客席の天井はボロボロ。これでは建て替えが必要かもしれない。

 ギリシャを夢みたコマ劇場は美空ひばりや北島三郎を代表とする歌手の座長芝居の殿堂だった。東京の喜劇陣の公演もあれば、「ピーターパン」をはじめとするミュージカルも上演されている。客席上手後方にあるベビールーム?は、泣き出す子供用に作られた専用室で、美空ひばりの発案というか命令だったとか。その劇場の最後の年になって、ギリシャ悲劇に匹敵する北大路欣也のスケールの大きな演技で、ようやくギリシャの夢を実現した格好になった。

 さらに天使が思い出したのは映画「海底軍艦」である。田舎町にあった昭和座という映画館。夏休み、春休みと何かというと、他の映画館では東映まんがまつりとか東宝チャンピオンまつりとかやっているのに、「海底軍艦」を出してきたのである。ラストシーン、滅亡する海底王国・ムー帝国へ泳いで戻る王女?の姿が強烈な映画だった。滅びの美というかなんというか。この芝居も、最高に美しく海に没する北大路欣也が素晴らしかった。

 五右衛門が活躍するので、江戸時代以前の物語なのだが、南の島へ進出する日本人、登場するそれぞれの風俗など太平洋戦争の侵略の歴史とも重なるように思えて興味深く観た。図式的には悪徳商人の西洋人は、アメリカと見えないこともない。表面上のチャンチャンバラバラやギンギンのロックの底には、けっこう骨太のテーマが流れていたりする。

 とはいうものの新感線☆RXである。コマ劇場の上手と下手の脇花道の上には櫓が組まれ、波やジャングル?が画かれたブラインドの下がった歌舞伎でいう黒御簾があって、ロックバンドが生演奏を披露する。天使のキャラとは、まったく違うのだが、カーテンコールではノリノリで拳を突き上げてしまった。それにしても座席も震える大音量。よくご近所から苦情が来ないものである。

 チャンバラ、ダンス、シャウトするヴォーカル、強烈な照明、小ネタ満載の芝居。ちょっと刈り込んで短くしてもと思うが、3時間半の舞台を最初から最後まで飽きさせずに見せたスタッフの力業に感服した。北大路欣也は別格として、五右衛門役の古田新太、江口洋介、森山未來ら客演の男優陣が充実していた。なかでも川平慈英のカッ飛びぶりが目立っていて、一瞬たりとも目が離せない存在となった。なんという身体能力。このテイストはどこかで体験したような…。今回怪我のため来日中止になったABTのアンヘル・コレーラと同じ匂いがする。

 「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」でバランシーンもビックリのジャンプしながらのフェッテ。あの空気の読めない爆走ぶりが川平慈英そくりなのである。そして天使がご贔屓の橋本じゅん。今回も想像以上の怪演を披露してくれて大満足である。はっきり言って歌われるナンバーの歌詞は全く聴き取れないのだが、まあ聴き取れなくても問題がないという単純なストーリーなのがよかった。

 最後はお約束なのか全館スタンディングオベーション。周囲がみんなやっているので拳を突き上げたわけだけれど、そこまでの感動があったかどうか。深いメッセージがこめられた芝居だったようだが、ただガンガン響くロックで脳みそがとろけてしまっただけのかも…。テーマパークのアトラクションみたい。その時は楽しいんだけれどね。

五右衛門:古田新太
真砂のお竜:松雪泰子
カルマ王子:森山未來 
岩倉左門字:江口洋介
ペドロ・モッカ:川平慈英
ジュザク夫人:濱田マリ
ボノー将軍:橋本じゅん
インガ:高田聖子
ガモー将軍:粟根まこと
クガイ:北大路欣也

右近健一 逆木圭一郎 河野まさと 村木よし子 山本カナコ
礒野慎吾 吉田メタル 中谷さとみ 保坂エマ
冠 徹弥 村木 仁 川原正嗣 前田 悟
飯野めぐみ 嶌村緒里江 NAMI 角 裕子 福田えり 葛貫なおこ 早川久美子 鈴木奈苗
蝦名孝一 安田栄徳 青山航士 古川龍太 
武田浩二 藤家 剛 矢部敬三 工藤孝裕 根岸達也 加藤 学

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
作詞:森雪之丞
美術:堀尾幸男
照明:原田 保
衣裳:小峰リリー
音楽:岡崎 司
振付:川崎悦子

2008-07-20 00:38
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ラ・マンチャの男 帝国劇場 1120回 [ミュージカル]2008-04-29 [ミュージカル アーカイブス]

 イープラスの特別企画で2階S席ながら12,500円のところ10,000円でお弁当とお土産付きというのに惹かれて、本当に久しぶりに幸四郎の「ラ・マンチャの男」を観ることにした。お弁当には煮物、焼き物、揚げ物等が入っており、ちょっと豪華なコンビニの幕の内弁当というレベル。それにパック入りのお茶がついていた。ミュージカルにお弁当とお茶という発想が帝国劇場らしいというか東宝らしいというか田舎臭くてあか抜けない。お土産は帝国劇場の隣のビルにある某パテスリーのお菓子の詰め合わせである。チケット代が8,000円でお弁当とお土産が2000円といったところだろうか。まあ安かったので文句はない。

 なかなか完成度の高い舞台で感動的だったが気になったことがいくつか。まず舞台はオーケストラピットに張り出し舞台が出ていてオーケストラは上手と下手に分かれている。序曲が始まると指揮者が舞台中央に立って指揮をする。もっとも楽員はパーカション担当以外は指揮者を誰も観ていないという珍妙さ。たぶん小型のモニターが譜面代のところに設置されているのだろうが指揮者が舞台中央に出張する必要があるだろうか?しかも最後は振り返ってポーズを決めるのである。仮面ライダーかと思った。可笑しくて大笑いしたら周囲から睨まれてしまったような…。

 カーテンコールも何度かくり返され、1階席はスタンディングオベーションだったような…。そしてセルバンテスの扮装のまま「見果てぬ夢」を英語で歌うというオマケつき。前からやっていたパフォーマンスだろうが、せっかくの感動が台無しになる。劇中だから感動できるのであって、カーテンコールにサービスのつもりか歌う神経が理解できない。確かにブロードウエイで主演したのは勲章だろうが、自慢したいのかと突っかかってみたくなる。

 そして幸四郎が引っ込んで、オーケストラが後奏を始める。歌舞伎で言えば追い出しのお囃子みたいなものだから、BGMとして聴きながら会場を後にするというのが粋だと思うのだが、最後まで聴かなきゃ損と思っているのかなかなか通路側の人が立ってくれて困った。

 肝心のミュージカルの方だが、幸四郎と松たか子の登場している場面は完璧。歌舞伎の時代物と世話物の台詞回しを駆使してみたり、見得のようなものあったり、立ち回りも歌舞伎役者である幸四郎の美点が活かされていた。

 松たか子も歴代のアルドンサの中では出気色の出来ではないだろうか。成熟した女というよりも野性味のある若い女という役作りが本来はふさわしいのだろう。歌唱も地声と頭声を上手くコントロールしていて聴かせた。

 残念ながら他の出演者の場面では、歌唱の不安定さや芝居の上手さにバラツキがありすぎて楽しめなかった。キホーテのラ・マンチャの邸で、姪のアントニアやアラスコ博士が出奔したキハナ老人を心配している場面。その後の宿屋で、アルドンサにむかいサンチョが主人を想う心を吐露していた。「旦那が好きなのさ……」〈本当に好きだ〉アルドンサにはさっぱり分からない。なぜ自分がドルシネアなのか、だからといってどうだというのかといった場面は舞台が弾まなくて全く不満。

 幸四郎が登場すると舞台の空気が一変するのだから、やはりミュージカルにはスターが必要なのかもしれない。「夢は稔り難く、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん」と歌われる「見果てぬ夢」は圧倒的な感動を与えてくれた。今回一番感心したのは「あるがままの自分」と「あるべき姿の自分」を語るセルバンテスが戦場での体験を述べる部分である。とても新鮮に感じられたし深さがあった。この作品が生まれた1960年代の時代背景といったものにまで思いがいって感慨深い。

 以前は帝国劇場の食堂街に配慮したのか途中で休憩が入ったが2時間ノンストップというのも役者には辛いところだろう。あの暗くて長い階段を下を見ることなく降りてくる幸四郎はたいしたものだが、いつか降りられなくなったらミュージカルは引退となるのだろうか。後継者は?ハテ誰がいるだろうか?

2008-04-29 23:38
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ウエストサイド物語 劇団四季 [ミュージカル]2007-11-01 [ミュージカル アーカイブス]

 1970年代に高校生だった天使。いつか日生劇場で劇団四季の「ウエストサイド物語」と「ジーザス・クライスト=スーパースター」を観るのが夢だった。特に「ウエストサイド物語」は田舎の映画館でリバイバル上映を初めて観た時からナマの舞台にふれるのが望みだった。

 たぶんもっと上の世代では、例の指を鳴らしたり、片足をピンと上げるポーズを誰にもみられない深夜に自分の部屋でこっそり挑戦したのではないだろうか。その「ウエストサイド物語」が劇団四季に帰ってきた。スター性を持った俳優の相次ぐ退団と劇団代表夫人出演のストレートプレイ偏重に本当は辟易としているのだが浜松町の劇場へでかけた。まず浅草で歌舞伎を観てから水上バスに乗って日の出桟橋へ。日の出桟橋からお台場海浜公園というコース。帰りは竹芝桟橋まで「ゆりかもめ」という観光地に来たようで楽しかった。

 さて四季劇場「秋」は舞台間口が約10メートルほど。日生劇場の16.5メートルに比べるとかなり狭い。ただ劇団四季の劇場に出かけるたびに思うのだがブロードウエイの古いミュージカル劇場もけっして大きくない。むしろ同じくらい。オーケストラピットの奥行きが浅いだけに、客席から舞台が非常に近くて観やすい。ひょっとして劇団四季は「ウエストサイド物語」の上演を念頭に置いて設計したのではと思えるくらいピッタリのサイズだったと思う。日生劇場以上の奥行きと高さで舞台空間に広がりが出て作品にとっては幸いした。

 レナード・バーンスタインの作曲でクラシックの演奏会でも組曲が演奏されたりするが本来は劇場音楽である。オーケストラピットには弦楽器のパートが各1名づつ。木管楽器は一人の奏者が最低5本の楽器を持ち替えて演奏していた。パーカション奏者に至っては何種類の楽器を操っていたのか解らないほど。少し低めのオーケストラピットで第一プルトの奏者以外は、皆小型のモニターを譜面台の横に置いて演奏していた。フルオーケストラのような迫力はもちろん無いが、劇団四季お得意のカラオケ上演に比べればよほど良いと思った。

 舞台間口が狭いおかげで、舞台装置に無駄な空間がない緊密な空間になったのが何より。特に有名な5重唱の場面など迫力が増していたように思う。各ダンスナンバーもフォーメションに工夫を凝らして狭い舞台でも効果が減じないように奥行きを上手く使っていてこれもよかった。

 残念だったのはプリンシパル級のダンサーの技術は素晴らしいのに、それについて行けないダンサーも散見されたこと。必死なのはわかるけれど素人にもわかるような振りのズレはマズイだろうと思った。特に「クール」でアクションを演じていた西尾健治の足のひっぱり方は凄かった。せっかくの名場面が台無し。もの凄いテクニックが必要なのはわかるが、もっとキチンと踊れる人はいなかったのだろうか。

 目を惹いたダンサーは、やはりリフの松島勇気とベルナルドの加藤敬二で何を踊っても華があり観客の視線を一身に集めてしまう。だから体育館の場面のダンス合戦はとっても楽しめた。

 初演から50年の作品だけに、ダンサーと歌手、俳優の持ち場がくっきりと別れているような所があって、一人アニタだけはすべてに及第点を得なければならないので難しい役柄だと思う。立川真理、保坂知寿、前田美波里など歴代のアニタの中では、今回の団こと葉は相当に高いレベルのアニタだったと思う。ダンス、歌は当然だが、ドラッグストアでジェット団に強姦され、「マリア」が死んだと嘘をつく演技と台詞の素晴らしさは歴代最高だったかもしれない。ところで、ドラッグストアの場面でアニタが強姦されたのだとばかり思っていたら、そう思っていない観客がけっこういることに気がついた。さすがに50年前の作品だけにそのものズバリはできないわけで、振付で上手く表現していると思うのだが、そう脳内変換しないと、悲劇を招く原因となる嘘の底知れない悲しみといったものが表現できないと思うのだけれど…。

 大事な主役二人だがトニーを演じた鈴木涼太は中音域はともかく、低音は響かないし、ファルセットで弱音を出す高音の部分はまったく延びがなく声楽的には全く失望させられた。高音を強く出すのは誰にもできるわけで、オペラのテノールのようにデリケートな高音を出すときの醍醐味を味合わせてくれなければトニーなど演じる資格がない。致命的だったのは彼に全く華がないこと。その他大勢の中にソリストが埋もれてしまっては駄目だろう。

 笠松はるのマリアは可憐な少女というイメージがなくて残念。歌も一生懸命歌ってますという感じで余裕がなかった。芝居がそこそこ上手いので最終場面などはマリアの悲しみがズシリと伝わってきて手応え十分だったので今後に期待というところだろうか。

 この「ウエストサイド物語」は全編が名場面の連続なのだが、今回は映画には登場しない「サムフエア」が特に晴らしい場面となった。50年前にバーンスタインが理想の世界として書いた世界が半世紀経っても実現に至っていないばかりでなく、ますます悪い方向へ進んでいるのだと思うと、こみあげてくるものを押さえることができなかった。舞台は寛容の世界を描いているのに現実の世界は逆になっているというのを音楽とダンスで見事に描いているのを再認識さられた。この音楽が最後に流れるのも意味のないことではないというのが、余計に感動を深くした。この作品が長く愛されるのもこの部分があるからかもしれない。

 大人達は劇団外部からやって来た中堅クラスで支えられていた。シュランクの牧野公昭など骨太でなかなか良い演技。ドックの緒方愛香も悪くはないがトニーにとっては父親的な存在であって欲しかった。でなければ自分の店が不良少年に占領されてしまうことに対するフツフツとした何かがあっても良いのかも。立ち位置が不明瞭なので共感できない役作りだった。

2007年10月30日(火)18:30 開演

The Jets
リフ:松島勇気  グラジェラ:柴田桃子
トニー:鈴木涼太 ヴェルマ:上延綾
アクション:西尾健治 クラリス:駅田郁美
A-ラブ:大塚道人  ポーリン:ソンインミ
ベイビー・ジョーン:厂原時也 ミニー:荒木舞
スノーボーイ:丹下博喜 エニイ・ボディズ:石倉康子
ビッグ・ディール:萩原隆匡
ディーゼル:朱涛
ジーター:青羽剛

The Sharks
マリア:笠松はる ベルナルド:加藤敬二
アニタ:団こと葉 チノ:横山清崇
ロザリア:鈴木由佳乃 ペペ:水原俊
コンスェーロ:加藤久美子 インディオ:神谷凌
テレシタ:泉春花 アンクシャス:徳永義満
フランシスカ:大口朋子 ファノ:内御堂真
エステラ:榊原央絵 ニブルス:佐藤雅昭
マルガリータ:室井優
 
The Adults
ドック:緒方愛香 クラプキ:荒木勝
シュランク:牧野公昭 グラッド・ハンド:青羽剛

ソプラノ・ソロ:小泉詠子
コンダクター:平田英夫

2007-11-01 22:10
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アイーダ  劇団四季 新名古屋ミュージカル劇場 [ミュージカル]2007-07-16 [ミュージカル アーカイブス]

 2000年のトニー賞では作品賞でノミネートされず(最優秀はコンタクト)結局、最優秀主演女優賞、音楽賞、装置デザイン賞、照明デザイン賞の4部門の受賞にとどまった。2003年に大阪で劇団四季が初演し、京都、福岡と上演されてこの5月から名古屋公演が始まる。いまだに東京での上演はないのだが、韓国でもすでに上演が終了していて気がつけば世界で上演しているのは名古屋だけになってしまったらしい。ゆくゆくは東京での上演もあるのだろうが、もう旬なミュージカルではなくなってしまったような気がする。内容が男女の三角関係、片方はお嬢さまでお洒落好き、しかも女性同士が友情で結ばれているという設定など類似点が多い「ウィキッド」が上演されてしまっているのはどうなんだろうか? 両作品とも高音を目一杯張り上げてフルボイスで聴かせる場面があり、しかも初演の主役が濱田みゆきが演じているという共通点もある。

 テーマは重いが楽しさでいえば「ウイキッド」の方がずっとディズニーらしい夢にあふれたものであるのだが、ディズニーでも「アイーダ」の映画版をビヨンセ主演で製作するらしい。第1幕は両作品とも上演時間が1時間30分と長い割には「アイーダ」の方が退屈させられた。オペラでは、あまりに有名な物語であり、今さら二人の出会いを演じられてもという感じだった。何よりもエルトン・ジョンの楽曲にさほど魅力が感じられないことと、主役二人の出会いから惹かれあうまでの過程がなんとももどかしいのである。

 舞台美術は、革新的で斬新なデザインがされているが、エジプト色は少なく、むしろ中近東かアジアの色彩が濃く感じられた。場面、場面に驚くような工夫が凝らされていて美しいには美しいのだが、いずれも平面的で物足りなさが残る。衣裳はモダンなデザインで統一されていて、途中にファションショーもどきな場面もあるのだが、出来の悪いSF映画みたいで、あまり美しいとは思えなかった。というよりもむしろ軽薄。特にラダメスの父親で悪役のゾーザーたちの詰め襟の学ランのような衣裳は???だった…。

 第1幕に感情移入できなかった大きな要因は、やはり劇団四季の発声法にある。毎度毎度で恐縮なのだが、あの母音を強調しすぎて不自然な気持ちの悪い台詞術には何とも我慢がならなくて白けた。アイーダの秋 夢子は歌はともかく台詞が不自然すぎて、ついていけなかった。もし濱田めぐみだったらと思った瞬間が何度もあった。本来なら盛り上がるはずの「神が愛するヌビア」は迫力不足で物足りないのは情けない。

 第2幕になってミュージカルとしてようやく盛り上がる。特に冒頭の星空?に浮かぶ緑のレーザー光線で作られた三角形(たぶんピラミッド)に浮かぶアイーダ、アムネリス、ラダメスの三角関係という図式の中で歌われる「どうしたらいい」はなかなかの名場面。ここから物語はサクサクと進んで前半の停滞が嘘のよう。結局、二人は石室に閉じこめられて死を迎えるのはオペラと同じ。そこに冒頭の場面の博物館で出会う若い男女の場面につながって幕という心憎い趣向。しかもその部分はまったくの無音だったのも良かった。輪廻転生が実現したと観客に想像させる部分が一番心を動かしてくれたかも。しかもアムネリスも展示物として永遠にその姿をさらし続けるというある意味残酷な運命を描いていて、これにも感心はさせれれた。

 このミュージカルには、観客をねじ伏せるような高度な歌唱力と強烈な個性が必要だと思うが、残念ながら満足させてくれた俳優は皆無。儲け役だったネヘブカの石倉康子が目立っていた程度で、作品本位の劇団四季とはいえ寂しい結果となった。もし東京で上演が始まっても行くかどうかは微妙。笑いが起こった場面がたった一カ所というのも辛かった。それにこの作品からヒット曲が生まれなかったというのも時代とはいえ残念である。ミュージカルといいながら、実はカラオケにあわせて歌うものなのも残念だった。地方公演だといってもロングランなのだからオーケストラが欲しい。あの大須オペラでさえ18人のオーケストラなのである。なぜスーパー一座にできることが天下の劇団四季でできないのだろうか。大方の劇団四季のファンはカラオケに慣れてしまっていて生のオーケストラの良さを自覚していないのではないだろうか。たとえ下手でも血の通った音楽がミュージカルには絶対に必要である。そもそも新名古屋ミュージカル劇場にはオーケストラピットはあるのだろうか?劇場周辺は再開発されるようだが、もし新しい劇場ができるのなら考慮してもらいたいものである。

2007年7月15日 13時開演/15時45分終演

アイーダ 秋 夢子、アムネリス 佐渡 寧子、ラダメス 福井 昌一、メレブ 中嶋 徹、ゾーザー 大塚 俊、アモナスロ 石原 義文 ファラオ 前田貞一郎、ネヘブカ 石倉 康子

男性アンサンブル 谷本 充也、塚下 兼吾、川東 優希、深堀 拓也、富澤 和麿、黒木 豪、影山 徹、海老沼 良和

女性アンサンブル 伊東 恵、松下 沙樹、杏奈、市川 友貴、上延 綾、須田 綾乃、オ ユナ

2007-07-16 21:39

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レ・ミゼラブル 帝国劇場 [ミュージカル]2007-06-24 [ミュージカル アーカイブス]

久しぶりに出会った最低の部類に入る舞台。20年前の初演から進化するどころか、こんなに劣化しているとは…。東宝のミュージカルはスターシステムだったものが、この作品あたりからオーディションになったはずである。とは言うものの初演は鹿賀丈史と滝田栄のバルジャンとジャベールのダブルキャストでの交互上演。野口五郎、斉藤由貴、岩崎宏美、鳳蘭、斉藤晴彦と知名度のある人ばかりで、島田歌穂がこの作品でスターになったというくらいだった。

 6月23日17時開演のは、清新なキャスト(無名に近い新人ばかり)ということで選んで観に行ったのである。結果は舞台慣れしていない人、正確に歌えない人、健闘は認めても存在感に乏しい人と到底お金を取って他人様にお見せできるようなレベルではなかったように思う。あまりの酷さに呆れてカーテンコールは客電が点灯したらとっとと帰ってきた。

 まずPAの音が硬質すぎて耳障りであったことが印象を悪くしている。妙な効果をかけすぎだし、アンサンブルの歌が途切れてしまうような不手際もあって、怒りが三倍増しになったような気がする。しかもマイクなしだと、あんな蚊の鳴くような声で歌っていたとは…。ポピュラー的に歌う人、オペラ的に歌う人、ヴィブラートが激しい人などアンサンブルの声質はバラバラで本当に気持ち悪かった。

 プリンシパルでまあまあ聴けたのはアンジョルラスの原田優一とエポニーヌの笹本玲奈くらい。がっかりさせられたのは、まずフォンティーヌの山崎直子。ジャン・バルジャンの運命を変える重要な役であるのに、ぜんぜん心に響いてくる歌ではなくて存在感は限りなくゼロに近かった。コゼットの富田美帆とマリウスの小西遼生に至っては、舞台に上がっているのが不思議なレベル。たしかにヴィジュアル面ではなかなかなのだが、肝心の歌は言葉が不明瞭な上に発声方法に大いに問題有りで、全然心に染みてこない歌だった。

 ジャン・バルジャンの橋本さとし、ジャベールの阿部裕、テナルディエの三谷六九、テナルディの妻の田中利花は、ようやく及第点のレベルといったところである。でもスター性に乏しくて全然楽しめない。今回は新国立劇場でも演出をしたジョン・ケアードが目配りをしているはずなのだが、キャストによっては大はずれになるということなのだろうか。このミュージカルからスターが誕生はしているのだが、スターの原石でない人をいくら磨き上げたところでスターにはなれないワケだし、新人発掘につきあわされる観客もたまったものじゃない。

 今回唯一感心したのは、司祭館で司祭から贈られた燭台をジャン・バルジャンが常に持ち歩いていて、最後の場面でも使われていたことに気がついたことぐらいだろうか。いつもなら思わない大河小説のダイジェスト感が全面に出ていて、落ち着かないし、何に感動していたか不明な舞台ではある。成仏できない幽霊なのか、あるいは千の風になった人々なのか、日本と西洋の死生観は違っているのだということにも気がついた。今まで違ったとらえ方をしていたのかもしれない。など考えながら舞台を眺めつづけていた。大昔、サンフランシスコで全米ツアー版の公演を観たことがあって、隣の中年のおじさんが最後は涙ぐんでいて、えらく感動したことがあったのだが、とにかく歌の迫力と客席のノリのよさは、やはりミュージカルは西洋のものだと強く思う。

 劇団四季のミュージカルは週に8回を限度としての上演。東宝系の帝国劇場では週12回という世界でも例をみない過密スケジュールでの上演。劇団四季は当日にならないとキャストは発表はしないものの同一キャストでの短期間の連続上演が基本。建前上は一番コンディションの良いキャストとなっているので、一応競争原理はあるみたいである。

 ところが帝劇では、事前にキャストが発表されていて基本的にキャストの交替はなし。競争原理が働かなくてとってもぬるま湯的。しかも主要な役には基本的に4名が交互出演なので役を掘り下げることが難しいのではないだろうか。


2007-06-24 00:42
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ウィキッド 劇団四季 [ミュージカル]2007-06-21 [ミュージカル アーカイブス]

 最初に断言してしまうがジュディ・ガーランドの主演したMGM映画「オズの魔法使い」を事前に観なければ絶対に楽しめないと思う。大阪のUSJのアトラクションとして「ウィケッド」という名前で短縮版として上演されているらしいが作品の持つ深さが30分のダイジェストでは表現できないようにも思う。二人の女性の友情&成長物語といった側面に焦点が当てられて宣伝されているようだが、けっしてそんな表層だけの物語ではなかった。

 日本人でサザエさんを知らない人はいない。サザエさんの家族の名前は誰でも言えるであろう。アメリカ人にとってクリスマスシーズンに必ずテレビ放映されてきた「オズの魔法使い」はサザエさんのごとく常識の世界のようである。サザエさんを知らない人が磯野家の裏側を描いた本を読んでも楽しめないがごとく「オズの魔法使い」を全く知らないでは、このミュージカルを観るスタートラインにも立てないと思った。

 天使の劇場通いは今年で40年になる。生まれて初めて観た舞台はミュージカル「オズの魔法使い」である。今春に100歳で亡くなった祖母と一緒に、地元の市民会館に巡演にきた一座の舞台にでかけた。けっして裕福ではない家庭である。でもどうしても観たかった。父や母に頼んでも絶対に観せてくれない。こうした時には全部祖母におねだりするとかなえてくれた。何しろただ芝居を観にいくだけなのに、髪を切り、新しい服を買ってという騒ぎだったのである。嬉しかった。

 たぶん「おはようこどもショー」つながりなのだと思うが、ドロシーが童謡歌手の小鳩くるみ。パーマン2号の吹き替えを担当していた石川進が猿の鳴き声のアテレコをやっていたこと、さらに彼はかかし役であったかもしれない。竜巻の音がして幕が開くと悪い魔女の上に家が落ちていて魔女が死んでいるという強烈に印象的な場面くらいしか覚えていないのだが…。

 買ってもらったプログラムに書いてあった5分前に鳴るベルや開幕を告げるベルを聞いたときの心構え(頭の中をカラッポにして舞台に集中すること)を今も天使は守っているのである。とにかく初めての観劇に興奮してしまって原作は勿論読んだし、後年テレビ放映された映画をテープに録音して何度も聴いた。だから登場するナンバーは今でも全部歌える。さらにダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンが出演したミュージカル映画「ウィズ」も初日の第1回目にテアトル東京で観ている。しかもこの主題歌も歌えてしまう。まさに「オズの魔法使い」は天使の観劇人生の原点なのである。当然ビデオは何度も観た。DVDは著作権が切れたのか500円の廉価版がある。

 今月、多くのオペラファンは新国立劇場の「ばらの騎士」を堪能したことだろうと思う。演出家のジョナサン・ミラーは時代を作曲された1910年代に移して絶望的な未来を見通す力さえ備えていて成功していた。この「オズの魔法使い」の裏側を描いた「ウィキッド」も作品の書かれた20世紀初頭の設定である。当然21世紀に生きる人間の視点で描いているので、20世紀に起こった様々な出来事が象徴的に描かれているのである。

 主人公の緑色の肌のエルファバは当然有色人種や社会的弱者への差別である。さらに緑色は何やら環境問題?すら暗示しているような気もしなくない。ちょっと考えすぎだろうか。さらに人間の言葉を奪われる動物たちは、人間の扱いをされずに虐殺されていったユダヤ人を思い出さずにいられない。オズの魔法使いはヒトラーのようなファシストあるいは某国の独裁者をイメージさせるし、マダム・モルブルのような為政者の先導によって付和雷同してしまう人々は、最悪な戦争に突き進んでしまった多くの国のことを思い出させるし、現代のマスコミの力を感じさせる。そして強い意志を持ち高等教育を積極的に受けるグリンダやエルファバは、20世紀初頭の女性というより現代人のようでもあり、左翼活動家か女性解放運動家、あるいはグリーンピース?みたいだった。

 二人の友情物語、あるいは成長物語、恋愛物語、多少映画との整合性に欠ける部分もあるのだが、映画を観ていればなるほどと思わせる「オズの魔法使い」の謎解き。さらに「ライオンキング」ネタ?「エビータ」ネタ?も有りと思わせておいて、実はズシンと手応えのある物語でなのである。最後はとてもハッピー・エンドとは言えないし、二度の世界大戦など、今の世界が変わらなければ、これから人類の経験したことのないような未曾有の悲劇が待つこと、さらに昔話ではなく現代にも続いている物語なのだということは舞台全体が時計であることからも解るように、単なる夢物語ではないことが最後に嫌というほど思い知らされるのである。

 なかなか難易度の高い楽曲が歌われ、仕掛けも満載で老若男女それぞれに楽しめるというブロードウエイミュージカルの王道のような作品であるが、見かけによらず骨太で、そのテーマの深さはまさに劇団四季向きだと思った。ただカーテンコールの熱狂は、ちょっと作品のテーマとは相容れないと思うのだが…。

2007年6月20日(水) 18:30開演

グリンダ 沼尾みゆき
エルファバ 濱田めぐみ
ネッサローズ 小粥真由美
マダム・モリブル 森 以鶴美
フィエロ 李 涛
ボック 金田暢彦
ディラモンド教授 武見龍磨
オズの魔法使い 松下武史


男性アンサンブル  三宅克典 脇坂真人 品川芳晃 白倉一成 西野 誠 清水 晶 上川一哉 成田蔵人 永野亮彦

女性アンサンブル    あべゆき 荒木美保 今井美範 宇垣あかね 遠藤珠生 有美ミシャール 長島 梓 間尾 茜 レベッカ・ヤニック

コンダクター    井上博文

2007-06-21 23:34
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