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夏祭浪花鑑 口上 高坏 三月花形歌舞伎  ル テアトル銀座 [演劇]

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ある人が教えてくれて初めて知ったのだが、小谷野 敦著『猿之助三代』の感想を書いた天使を演劇評論家の犬丸治氏と同一人物と勘違いして、作者の小谷野 敦が自身のブログで犬丸氏への悪口雑言を書いていたらしい。犬丸氏にご迷惑をかけたことを心よりお詫び申し上げます。

そのお詫びとして?犬丸治著『市川海老蔵』を早速買って読んでみた。2003年に講談社現代新書から出た『市川新之助』に増補したもので、海老蔵襲名後から襲撃事件までを書き下ろしで付け加えたものだという。震災直後に出たので、すでに2年が経過し團十郎の死もあって、海老蔵は「茨を求めたい。ガラスの破片を求めたい。火の燃えさかる中を歩きたい。でも見つからない」という自らの言葉通りの人生を歩もうとしているようだ。


市川海老蔵 (岩波現代文庫)

市川海老蔵 (岩波現代文庫)

  • 作者: 犬丸 治
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/04/16
  • メディア: 文庫



さて、ル テアトル銀座が5月で閉館になるという。次回公演の美輪明宏先生の『黒蜥蜴』は観に行かない予定なので、今回の公演が天使にとっての見納めということになる。1987 年3月杮落としのピーター・ブルック演出の「カルメンの悲劇」はもちろん観ている。せっかく完成した劇場の椅子を全部取り外して、劇場の中にもう一度急傾斜の仮設の座席を作った劇場空間の中で、オペラ歌手が歌いながら演技するという面白い舞台だった。

その当時の銀座セゾン劇場のバーカウンターは、終演後1時間はオープンしているというふれこみだったが、劇場のセルフ形式のスタンドバー?で飲む観客などいるはずもなく、やがて劇場の開場時間のみの営業となった。そんなどこかピント外れの企画が多かったからか劇場経営が上手くいかなかった。

かつての東横劇場のようにワンスロープの客席なので、700人台の収容人数の劇場にしては最後列からだと舞台がかなり遠く感じる。舞台間口が大きい割りに舞台袖スペースは狭いようで、見た目よりも使い勝手はよくなかったようだ。花形歌舞伎には手頃な空間なのだが、本格的な花道の設置が困難なのと収容人数の関係で、ごく最近まで歌舞伎の上演がされてきていなかった。

今回も本来は團十郎主演の『オセロ』だったのに、四月の歌舞伎座新会場に備えるために團十郎の病気休演が決定し、勘三郎追悼の演目『夏祭浪花鑑』、『高坏』に海老蔵の『口上』がつく形になった。

舞台には定式幕があって、舞台の高さは調整されていて歌舞伎向き。舞台床にもベニヤ板?で板張りを演出して歌舞伎の劇場らしい雰囲気。BOX席の手すりには赤い布?がかけられ、赤い提灯が下げられていた。玉三郎の歌舞伎公演時のようなロビーを含めて装飾するといった思想はなく、休憩時間には食事をしたい観客向けにパイプ椅子がロビーに並べられるなど、やっぱりピント外れの施策でとっても安っぽい雰囲気になってしまって残念。

さらに今までの歌舞伎公演と違って仮設の花道が下手側につくられなかった。そのため、左ブロックと中央ブロックの間にある客席通路を花道代わりに使用というアイディアなのだが、七三で見得などされても多くの観客は顔は見えても胸から下は見えなかったのではないだうか。やはり、どこかピント外れの主催者である。

さて海老蔵が孤軍奮闘の舞台だが、良かった順に書くと、まずは『口上』から。亡くなった團十郎と勘三郎の思い出を語って、泣かせて笑わせて心温まる一幕だった。『夏祭浪花鑑』も『高坏』も勘三郎直伝なのだという。ということは、当たり役だった先代勘三郎からも伝わったということなのだろう。それにしては…。悪くないけれど、良くもない。なんとも評しようのない舞台だった。

まず無人芝居とはいえ、団七はともかくお辰の二役は無理に演じる必要があっただろうか。先代の勘三郎が
「こちの人が好くのはここじゃない、 ここでござんす」と花道で胸をポンと叩くときの嬉しそうで誇らしげな様子に観客も陶然と見とれたものである。海老蔵のお辰は、確かに勘三郎譲りなのだろうが、その鋭角的な容姿のせいか、なんとも居心地の悪い思いをさせられる。

一方の団七は本役であるだけに面白くは観たのだが、例の事件を思い出させて、牙をぬかれたように小さくまとまってしまっているように思えて物足りなかった。それに、浪花のうだるような暑さといったものが舞台から全く感じられないのも困ったことである。

そうした中で目立っていたのは周囲の役者である。大詰に「田島町捕物の場」がついたので、徳兵衛の亀鶴の役が大きくなったし、海老蔵の相手役としては申し分ない出来だった。最後の捕物は、普通に屋根の上で行われるのだが、こんな時はコクーン歌舞伎の串田演出を思い出してしまう。舞台奥が開いて銀座の街が見えたり、パトカーは登場しないのが残念に思えたりした。

三婦の市蔵、右之助のおつぎ、家橘のお梶など派手さはないが手堅いところをくせていた。そして義平次を演じた新蔵が抜擢に応えて好演。泥場は劇場を汚さないようにという配慮からか、二人ともちょっとだけ泥をつけたましたという感じで地味な展開に終わった。花道がなく客席通路と通るために、駕籠は人を乗せずに担いでいるのが丸分かりだったし、樽神輿も担ぎ手が前後にしか人が立てないため、なんとも締まらないことになった。それでも団七の海老蔵は十分に魅力的だったし、磯之丞の種之助、琴浦の米吉など新しい役者の台頭も頼もしく思った。

『高坏』も先代の勘三郎が得意にしていた演目である。下駄でタップを踏むというのがミソで、開幕前の舞台裏からカタカタと下駄タップの練習音が聞こえてくるほど、緊張しながらの舞台だったようで、鮮やかにタップを踏むというよりも、下駄で思いがけなくカタカタ鳴ったので鳴らしてみましたという自然な流れだった事に好感を持った。

ここでも高足売の亀鶴が活躍し、太郎冠者の新十郎の抜擢があった。市蔵の大名とともに海老蔵を支えていて、今後もこうした人々とともにより良い舞台を届けて欲しいと心から願った。幕切れは緞帳を使わないので、定式幕を自ら引いて幕になるという演出だったいうのも面白い工夫だった。


一、夏祭浪花鑑

序 幕 住吉鳥居前の場
二幕目 難波三婦内の場
     長町裏の場
大 詰 田島町捕物の場

団七九郎兵衛/徳兵衛女房お辰  市川海老蔵
一寸徳兵衛  中村亀 鶴
玉島磯之丞  中村種之助
傾城琴浦  中村米 吉
三河屋義平次  市川新 蔵
釣舟三婦  片岡市 蔵
三婦女房おつぎ  市川右之助
団七女房お梶  市村家 橘

5:00-7:20

幕間 25分

二、口上

市川海老蔵

7:45-7:55

幕間 10分

三、高坏

次郎冠者  市川海老蔵
高足売  中村亀 鶴
太郎冠者  市川新十郎
大名某  片岡市 蔵

8:05-8:35

坂東玉三郎出演 3月琉球芸能公演「新作組踊と琉球舞踊」 聞得大君誕生 四つ竹・若衆麾・本貫花・前の浜・柳 [演劇]

歌舞伎座の休場中の3年間に、坂東玉三郎は国立劇場の歌舞伎に出演しなかった。それどころか代替劇場である新橋演舞場にはとうとう一度も立つ事がなかった。東京で歌舞伎に出演したのは、5月に閉場となるル
テアトル銀座での歌舞伎公演だけであった。

噂では新橋演舞場や国立劇場が嫌いとだから出演しないのだと実しやかに伝わってきたりした。その代わり、歌舞伎以外の舞台には積極的だったのが大いに不満だった。人間国宝に認定されてなお、歌舞伎の舞台を避けるとは…。わがままも甚だしいと思っていた。今日の舞台を観るまでは。

第一部が琉球舞踊、第二部が新作組踊「聞得大君誕生 [ちふぃじんたんじょう]」という演目。この公演の実現には、演劇評論家の大笹吉雄氏の尽力があったようで、歌舞伎の女形と組踊の史上初の競演が実現した注目の公演であるという。

まず玉三郎は他の踊り手とともに琉球舞踊の有名曲「四つ竹」を踊った。

紅型衣裳に大きな花笠をかぶって、両手に四つ竹を鳴らして踊る姿は、これこそ琉球舞踊と思える代表的な演目である。舞台が開くと、上手の御簾内に地謡が並び、舞台中央に能舞台ほどの正方形の所作舞台が敷かれ、橋掛かり風の通路が上手と下手に伸びているという簡素な舞台装置である。

最初4人の踊り手が下手から登場し、途中から上手より玉三郎が登場して踊りに加わるという演出。踊り手は全員が男性だったようだが、ゆるやかに流れる音楽にあわせ、ゆるやかに身体を動かすという派手さはないが、いかにも品があって優美な舞踊だった。

そこで踊る玉三郎は、自分の色合い消して、他の踊り手の中に見事なまでに溶け込んでいた。それは安易な考えで琉球舞踊や組踊に取り組んでいるのではないという決意が伝わってきて感動的だった。歌舞伎以外の舞台ばかりに立ってという否定的な考えは消えて、この歌舞伎座のなかった3年間は、玉三郎にとってのサブティカルだったのだと思い至った。長い人生の中で、歌舞伎だけが中心ではなかった3年間。さまざまなものに挑んだが、これからはきっと歌舞伎に専念してくれるはずである。

そのほかに有名曲ばかり四つの琉球舞踊が演じられた。緞帳は閉まらずに演目が終わるたびに照明が落とされて、次の演目が踊られるという演出。能のように橋掛かりにかかると拍手がおこるという具合だった。
その曲や唄を聴いていて、35年前に過した沖縄の夏の三ヶ月間のことが思い出されて涙があふれて困った。

沖縄にいたので、その年の7月と9月の歌舞伎は見逃してしまった。歌舞伎座初演の『伊達の十役』、歌右衛門一世一代の『東海道四谷怪談』、先代・勘三郎初役で演じた「いがみの権太」という話題作だけに、今でも見逃したことを後悔することが今でもある。

音楽を聴いていて二十歳の時の恋やら何やら苦しい想いが蘇ってきたが、沖縄の人々に流れる独特の時間と、優しくされた思い出と同じような幸福な感覚が広がって、心は遠くの沖縄に飛んで行ったような気がした。

新作組踊「聞得大君誕生」は、芥川作家である大城立裕の作品。沖縄の王女が、運命的な出会いを経て身分違いの男と結ばれるが、思いがけなく争いに巻きこまれ命を落す。そこで王女は、恋を忘れて王位につく決心をするという物語。

歌舞伎の長唄のように、舞台奥に地謡が並ぶ舞台。琉球舞踊と同じようなゆるやかな音楽にあわせて、主演者が歌いながら舞うという表現方法。派手さはなく、技巧的でもないが、気持ち本位で舞われるので、伝わって来るものは多かったように思う。途中でな喜劇的場面もあって、なんとなく能を思わせる構成。

玉三郎は何度も衣裳を変えて、美しく、琉球言葉で朗誦しながら舞う。すでに他の古典芸能に挑戦しているので、今回も努力で乗り越えたのだと思った。玉三郎が出ていなければ観る事もなかったであろうが、よい機会を与えてくれた関係者に心より感謝を捧げたい。

-演目-

【第一部】琉球舞踊
 「四つ竹」 坂東玉三郎
        嘉数道彦・佐辺良和・宮城茂雄・天願雄一
 「若衆麾」 親泊邦彦・金城真次
 「本貫花」 田口博章
 「前の浜」 平田智之
 「柳」    新垣悟

14:00-14:45

休憩20分

【第二部】新作組踊「聞得大君誕生」
 作=大城立裕
 監修=幸喜良秀
 演出=織田紘二
 振付=宮城能鳳
 音楽=西江喜春

 音智殿茂金  坂東玉三郎
 尚 真 王    玉城盛義
 伊敷里之子   川満香多
 大里親雲上   佐辺良和
 ナビー<ユタ> 嘉数道彦 
 三 良      宇座仁一                         
 山原のユタ   阿嘉修・親泊邦彦・天願雄一・金城真次
 山原のノロ   宮城茂雄・石川直也・平田智之・田口博章

【地謡】
<歌・三線>花城英樹・玉城和樹・神谷大輔  <箏>池間北斗
<笛>横目大哉   <胡弓>與那國太介   <太鼓>横目大通

15:05-16:10

琉球王朝を救った王妹の悲恋を描く新作組踊。
今回の公演では、芸能史上初の試みとして、歌舞伎女方人間国宝の坂東玉三郎が、組踊の新作に取り組みます。
作者は沖縄代表する作家で、組踊の新作を精力的に書き続けている大城立裕です。
共演する沖縄の中堅・若手の組踊伝承者たちの、はつらつとした演技にも、ぜひご注目ください。

ホロヴィッツとの対話 [演劇]





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三谷幸喜の新作にしてパルコ劇場40周年記念の作品は、海外芸術家シリーズと銘打った『ホロヴィッツとの対話』という新作。渡辺謙の久しぶりの舞台、和久井映見の初舞台、段田安則と高泉淳子という三谷幸喜の舞台は2回目と初めてという実力派俳優の共演で見応えのある舞台に仕上がっていた。

天才ピアニストと調律師のバックステージものといえば、今年の夏に同じく三谷幸喜の演出で上演が予定されているロナルド・ハーウッドの『ドレッサー』が思い出されるが、こちらは三谷作品らしく笑いが散りばめられて、多くの観客の期待通りの舞台が繰り広げられた。

もっとも圧巻は渡辺謙の悲惨な戦争体験を語る独白で、笑いの溢れるはずの舞台だったはずなのに、空気がガラッつと変わってしまったのは流石だった。笑いで始まり、笑いに終わるのかと思えば、舞台ならではの少々甘いラストシーンなど三谷幸喜の前半の快調さに比べると、後半は低調で迷いがあったのかもしれない。

確かに主人公である調律師の渡辺謙に注目が集まるのは良いが、ホロヴィッツや妻のワンダの苦悩は浮かび上がってこないし、単なるわがままな老人にしか見えなかったのである。彼らに自分の人生を語る時間を与えなかったことも疑問である。

天使は、ホロヴィッツと同時代に生きたピアノの巨匠を近くで見たことがある。もっとも彼が何者なのか全然知らなかったのだが、身体全体から発する波動のようなものに圧倒された。人間が大きいとかいうけれど、彼こそは「巨人」だったと思う。あれだけのオーラを発している人に出会ったことは、キューバのカストロ議長くらい。クラシック界の巨匠とは、そうしたものだと思う。だからこそ、彼等が奏でる音楽は特別なのである。

顔にあるホクロ?まで映してホロヴィッツを演じた段田安則は好演なのだが、日本のお爺さんにしか見えなかったし、高泉淳子は嫌味な感じと娘を追い詰めて死に至らしめたかもしれないという苦悩があまり感じられなかった。初舞台という和久井映見は、昔の清純なイメージのままに年齢を重ねた感じで好印象。

舞台はシンプルで舞台後方には、コンサートピアノクラスの大型ピアノ?に見えるピアノが置かれていて、ピアニストが適時生演奏を披露する。音はPAを通していたが…。紗幕で区切られた前舞台は、前半分がスライディングステージになっていて、フランツ・モアとウラジミール・ホロヴィッツの家をソファとテーブルなど少ない家具で表現していて上手い工夫。中央に小さな廻り舞台に乗ったスタウエイの小型ピアノが乗っていて、場面転換のたびにピアノが回転して舞台面に変化を与えるという趣向。

そして最後は演劇らしい工夫=再現ドラマ?があって幕となるのだが、アレッ?その間は・・・という感じがしないでもなかった。ロビーにはスタンド花が所狭しと並べられていて歩行もままならないほど。小さな花屋が開けそうだった。

ホロヴィッツが亡くなって23年余り。そのホロヴィッツの1983年の初来日公演を「ひびの入った骨董品」と評した吉田秀和さんも昨年亡くなってしまった。それに恐れをなしてホロヴィッツのCDは1枚も持っていなかったのだが、1800円で販売しているプログラムに「ホロヴィッツの神髄を伝える名盤3枚」というのが紹介されていたので、早速Amazonで注文してみた。


1965年 カーネギー・ホール ザ・ヒストリック・コンサート(アニヴァーサリー・エディション)

1965年 カーネギー・ホール ザ・ヒストリック・コンサート(アニヴァーサリー・エディション)

  • アーティスト: ホロヴィッツ(ウラディミール),バッハ,シューマン,スクリャービン,ショパン,ドビュッシー,モシュコウスキ
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2003/12/17
  • メディア: CD




ホロヴィッツ・プレイズ・リスト~RCA&ソニー・クラシカル録音集成

ホロヴィッツ・プレイズ・リスト~RCA&ソニー・クラシカル録音集成

  • アーティスト: ホロヴィッツ(ウラディミール),リスト,メンデルスゾーン,ブゾーニ,ポノマリョーフ,サン=サーンス
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2011/05/25
  • メディア: CD




ザ・ベスト・オブ・ホロヴィッツ~伝説のRCAレコーディングズ1941-1982

ザ・ベスト・オブ・ホロヴィッツ~伝説のRCAレコーディングズ1941-1982

  • アーティスト: ホロヴィッツ(ウラディミール),チャイコフスキー,トスカニーニ(アルトゥーロ),NBC交響楽団
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN Inc.
  • 発売日: 2009/10/21
  • メディア: CD




作・演出:三谷幸喜

出演:

渡辺謙   フランツ・モア

段田安則 

和久井映見  エリザベス・モア

高泉淳子  ワンダ・ホロヴィッツ

音楽・演奏:荻野清子.

上演時間 130分 (休憩なし)

神に選ばれた天才と神に雇われた職人
三谷幸喜が二人の男、ふたつの家族を通して芸術そのものの会話に迫る

三谷幸喜が「コンフィダント・絆」(2007)「国民の映画」(2011)に続く海外芸術家シリーズの新作として選んだのは、三谷幸喜のライフワークともいえる光の中を生きる表舞台の人とその光を支えるバックステージの人のドラマ。

グレン・グールド、ルービンシュタイン、ルドルフ・ゼルキン・・・・・、スタインウェイ・アンド・サンズの専属調律師として20世紀のピアノの巨匠たちの演奏を支え続けたフランツ・モア。この物語は彼が支えたピアニストの一人、20世紀のピアノの巨匠、ウラディミール・ホロヴィッツとの、ある一夜の会話を中心に展開します。

出演者には、28年ぶりにパルコ劇場の舞台に立つ渡辺謙が調律師のモアを、そのモアの妻、エリザベスを満を持して初舞台に臨む和久井映見、そして常に圧倒的な存在感で演出家をインスパイアする段田安則が天才ピアニスト・ホロヴィッツを、その妻ワンダには三谷作品初登場となる高泉淳子というベストキャストが揃いました。

その天賦の才能を「ピアニスト」として芸術を表現するホロヴィッツ。天才が「神に選ばれた者」とするならば、その選ばれし者に従事する者は、「神に雇われた者」。

ピアニストの演奏を支え続ける調律師と天才ピアニスト。彼らの芸術に人生を捧げるそのエネルギーの源泉とは、彼らは何のために身を削り、芸術に奉仕をするのか。あるいはそこから何を得、何を失っているのか。
三谷幸喜が二人の男、ふたつの家族を通して芸術そのものの会話に迫ります。
パルコ劇場40周年もこの「ホロヴィッツとの対話」で幕開けします

かたき同志  明治座 [演劇]

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新橋演舞場では、松竹新喜劇の名作が渋谷天外や水谷八重子、波野久里子、中村梅雀といった顔触れで三本立てでの興行が行われている。さすがに昼の部と夜の部が違った演目ではないのは興行的に夜が難しいからなのだろうと思う。

松竹新喜劇の名作ならば出演していても可笑しくない藤山直美は明治座で三田佳子との共演で、橋田壽賀子の作、石井ふく子の演出での旧作『かたき同志』が上演された。昭和60年に明治座で、山岡久乃と赤木春恵で上演されたものだという。上演時間は30分の休憩時間を入れて正味の上演時間は2時間10分という短さである。昔は封切映画でも2本立てが普通であったのに、シネコンの普及で1本立て2時間前後の上映時間が当たり前なので、昔ながらの3本立てなど流行らないのかもしれない。

物語は下に「あらすじ」を載せているけれど、毒にも薬にもならないような温い話である。まず藤山直美を除いて、芝居が下手すぎて一向に弾まない舞台で困った。藤山直美も上方育ちという設定なのだが、例によって小ワザが冴えて観客をわかせているのだが、それだけ…。

芝居の最後では、主役の二人が大喧嘩を繰り広げた?後で、酔いつぶれて幕になるという納得のいかない終わり方。あれ、このあとは?という微妙な空気が流れるような幕切れ。まあ、手法としては新しいつもりなのだが、観客には不親切だったように思う。脇役でも新派の三原 邦男以外は目立った役者が一人もいないので隙間風の吹くような舞台だった。

藤山直美は、昨年はサバティカルだったようで、今年はおろか2年先までスケジュールが埋まっているということなので楽しみである。

(あらすじ)

川を挟んで両岸の町に暮らしていたひさご亭と越後屋。

飲み屋、ひさご亭の女将・かめ(藤山直美)は、ひとり息子の清太郎(金子貴俊)が自慢だった。蘭学塾に通い、いずれは医者になり母親を楽させてやろうと言っている清太郎に全てをかけて、仕事に精を出す日々。ところがある日、清太郎は医者にならず飲み屋を継ぐと言い出した。

一方呉服問屋、越後屋のお鶴(三田佳子)はひとり娘のお袖(小林綾子)に旗本三男坊の松下源之助を婿に迎えたいと願っていた。しかしお袖には全くその気がない事を知り、問い詰めた結果、ひさご亭のひとり息子清太郎に思いを寄せていることを知る。

ひさご亭に乗り込むお鶴・・・

息子の勝手さに頭に血が上がっているかめ・・・

元々の生活の違いから反発しあう土地者同士の上、互いのかわいい息子と娘の問題があい重なり、真っ向からの喧嘩になってしまう。果たしてどんなことになってしまうのか・・・


キャスト

藤山直美
三田佳子
小林綾子
金子貴俊
橋爪淳
沢田雅美 他


スタッフ

作 :橋田壽賀子
演出:石井ふく子


第一幕

13:00~14:10

幕間 30分

第二幕

14:40~15:40

二月喜劇名作公演 お種と仙太郎 大当り高津の富くじ おやじの女 [演劇]

松竹新喜劇の名作を、渋谷天外を中心とした松竹新喜劇、水谷八重子と波野久里子の劇団新派、それに元前進座の中村梅雀という異色の顔合せである。これで藤山直美も出演していれば、さらに面白い芝居に仕上がったような気もするが、『笑点』の毒にもクスリにもならないような温い笑いが広がって、これはこれで楽しめた公演だった。

出演者をよく見れば、偉大な役者を父に持つ二世俳優が集まっての公演だということに気がつく。今はもう半日芝居を観て、劇場でゆっくりと過ごすといった時代ではないのかもしれないが、観客の平均年齢は60歳台後半といったところだろうか。若い観客が全然いない客席だった。10年後、こうした芝居が興行的に成り立つのか心配になる公演だった。

『お種と仙太郎』は、嫁いびりの話で、藤山寛美が演じたお岩を新派の女形である英太郎が演じ、いびられる尾種を山村紅葉を演じる。笑いは大きく弾みはしなかったが、客席の共感は得ていたようで、後味のよい芝居となった。

『大当り高津の富くじ』には、「江戸育ち亀屋伊之助」という副題がついているように、梅雀の演じる伊之助が江戸育ちという設定にしていた。無理やり江戸っ子にする必要もないようなもので、上方のつっころばし風に演じた方が面白かったと思う。伊之助は、とんでもなく愚かな男なのだが、上方の男であればこそで、この設定では、ただの鈍感な男になってしまっていた。天外、八重子といった共演者を得ながら、なかなか芝居が弾まなかった。セリフが怪しい役者もいて、あまり危機感のないぬるま湯的なところは問題。先月に続いて、田口守が手堅い芝居で見ていて安心する。

『おやじの女』は、ようやく八重子と久里子の演技合戦という趣になって大いに楽しめた。特に幕切れにお位牌を抱いて花道を去る久里子の姿に泣かされた。その二人を支える天外の半助は健闘しているものの、両女優が相手とあっては、ちょっと歯が立たなかったという感じ。なにしろ、松竹新喜劇を率いていながら、なかなか上演する機会に恵まれていないのだから仕方がない。色々と事情はあったにせよ、若い頃に松竹新喜劇でもまれていないだけに芸と華に不足しているのは不幸なことである。

松竹新喜劇と劇団新派が協力すれば、なかなか高水準の舞台が出現するのがわかったのだから、今後もこうしたコロボレーション公演が続いてくれると嬉しいのだが…。

一、お種と仙太郎
茂林寺文福 作/平戸敬二 脚色/米田亘 演出

息子夫婦の仲の良さを羨む姑と、その姑にいびられてもジッと耐える嫁、そして姑を懲らしめようと乗り出す家族。笑いの中に様々な形の愛情が盛り込まれています。

大坂でも名高い住吉神社の境内で茶店を営むお岩(英太郎)は、亭主に先立たれてから女手一つで息子の仙太郎(曽我廼家八十吉)と娘のお久(山吹恭子)を育てて来ました。その甲斐あって、お久は良家の丹波屋へ嫁ぐ事が出来、仙太郎は気立てのやさしいお種(山村紅葉)をもらいました。仙太郎とお種は人もうらやむ程の仲の良さ。それがお岩には面白くなく、何もかもに当たりどおし。お種に無理難題を押し付けてはイジワルをしていました。
そんなある日、たまたまお岩がお種をいじめているところに出くわした丹波屋の御寮人・おせい(井上惠美子)。これではあまりにもお種が可哀相と、息子の新二郎(丹羽貞仁)と嫁・お久に一計を授けて、お岩の心を正そうと乗り出したのですが…。

二、大当り高津の富くじ -江戸育ち亀屋伊之助-
平戸敬二 作/成瀬芳一 補綴/門前光三 演出

上方落語の名作「高津の富」をヒントに舞台化された作品。伊之助は上方和事の“つっころばし”で演じられていましたが、今回は中村梅雀に当てて江戸育ちに設定を変え、江戸前の気前のいい若旦那・伊之助をご覧頂きます。

伊之助(中村梅雀)は、浪花の紙問屋・亀屋の後取り息子ですが、江戸育ちで「宵越しの銭は持たぬ」と色街で放蕩三昧。見るに見かねた父親は伊之助を勘当します。伊之助が転がり込んだ先は、亀屋へ親の代から出入りしている大工の棟梁・辰五郎(渋谷天外)の家。ひとかたならぬ恩義を感じている辰五郎は女房のおとき(山村紅葉)や小頭の市三(曽我廼家寛太郎)と共に快く伊之助を迎え入れます。
 そんなある日、亀屋の御寮人・おこう(水谷八重子・波乃久里子交互出演)が辰五郎を訪ね、贅沢罷りならぬのお布令により上質の紙の売れ行きが落ち、老舗を誇る亀屋も五百両の金が無くてはのれんを降ろさなくてはならないという窮状を吐露しました。そんなこととは露知らぬ伊之助は、女義太夫・りん蝶(藤田朋子)や芸者・色香(瀬戸摩純)など困っている人に出会う度に、人の難儀が金で救えるものならと次から次へと金と引き換えに人助けをして行きます。
 世の中を甘く見ていた伊之助に、初めて金の有難味が分かる時がやって来ます。それは何気なしに買った一枚の富くじでした…。

三、おやじの女
安藤鶴夫 原作/舘直志 脚色/成瀬芳一 演出

亡くなった兄の妻と愛人との悶着の間で、弟が右往左往する可笑しみを描いた、新派の味に近い新喜劇作品。  水谷八重子・波乃久里子・渋谷天外という劇団新派と松竹新喜劇の本格的な共演作品にご期待下さい。

死んだ親父の名は都路太夫。歌舞伎の義太夫語りでした。酒は呑む、女道楽はするで、さんざんしたい放題し尽くしたのにも関わらず、人からは「ええ人やった」と言われて大往生。特に太夫の相方の三味線弾きだった実弟・半助(渋谷天外)にとっては、夫に死なれた後家の心境です。息子の藤一郎(丹羽貞仁)は、父親の性格とは反して、地道な会社員となり、妻・はつ子(石原舞子)妹・やす子(藤田朋子)と共に母親・つる(波乃久里子)への親孝行も怠りませんでした。
 父親の百ヶ日も過ぎた或る日、姫路から生前のおやじの女・花村よね(水谷八重子)が、線香をあげさせてほしいと、知人である大隅社長(高田次郎)を通じて頼んで来ました。幼時、およねのために嫌な思いをした藤一郎は、この申し出を断りますが、おつるのひと声で迎え入れる事になりました。
 浮気をされながらも誰よりも夫に惚れていたおつるの気持ちを一番理解していた半助は、やってきた兄の愛人・およねが、おつると共に仏前で二人並んで合掌している後姿に憎悪より懐旧の思いへの変化を感じとりホッとするのですが。それも束の間…。

祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~ 蜷川バージョン シアターコクーン [演劇]

18時30分開演で22時50分に終演という長大な芝居である。天使は終電で帰ることを断念して、東京へ泊まることになったけれど、それが少しも負担に感じない、長時間の観劇も全く苦痛にならなかった稀有な演劇体験をしたという感じである。

すでに先行して作者であるケラリーノ・サンドロヴィッチによる演出版が上演されていて、同じ作品を蜷川幸雄が演出するという趣向である。かつて同じシアターコクーンで上演された野田秀樹の『パンドラの鐘』と同様の試みである。KERA版は残念ながら観る事はできなかったが、若手からベテランまで実力のある役者が結集し、かつてのアングラ劇を思い出させるような、独特のテイストでの上演。さらに、本水の使用、終幕の舞台後方のドアの開放など、ケレン味たっぷりの仕掛けにあふれていて面白く観た。

物語は複雑怪奇、ありえない展開で、予想を裏切る結末まで用意されていていて楽しめる。架空の国の架空の人々が、陰謀と憎しみが渦巻く中、ほとんど全ての人が死んでしまうという、すさまじい物語が語られていく。

物語の進行は、ギリシャ劇のようにコロスによって行われる。蜷川演出では、コロスの男性は和風の紋付羽織袴、女性は留袖をまとっていて、本筋のドラマの登場人物たちと比べると、異形の人々といった感じで舞台を取り囲んで、録音したパーカションの音に会わせて「ラップ調」で、群読がなされるという、すでにコクーン歌舞伎などで試みられている手法を使う。

舞台の上に、演技スペースとなる長方形の舞台が組まれていて、舞台の下にベッドなどを収納できるようになっていて、多くの場面転換をスピーディーにこなしていた。ほとんど何もない劇空間だが、教会、ミラーになっている壁など、いつかどこかで試みられた手法が…。合唱隊が棒の上に糸で鳥をつけ、それを回転させることで生きているような、不気味な雰囲気を作り出すのだが、これって『ライオン・キング』の演出のパクリ?と思わせるほど似ていた。

かつてのテント芝居でも試みられていた、舞台後方が本物の街に向かって開かれ、役者が渋谷の町にさまよい出ていくことなど、コクーン歌舞伎でも試みられた手法である。さらに舞台の上手と下手の上部には、ト書きを文字情報として観客に提供する電光掲示板?が設置されていた。

一番の楽しみだったのは、原田美枝子、中島朋子、伊藤蘭という天使の世代のスターが出演するという顔合せの場面だった。お互いに歳をとったなあということで納得。

■作
ケラリーノ・サンドロヴィッチ

■演出
蜷川幸雄

■出演
勝村政信:ドン・ガラス(町の権力者でエイモス家のドン)
森田剛:トビーアス(内気な青年)
渋谷将太:ヤン(流れ者)
三宅弘城:パキオテ(錬金術師の助手で白痴)
橋本さとし:ダンダブール(錬金術師)
原田美枝子:バララ(ガラスの娘 長女)
中島朋子:テン(ガラスの娘 次女)
宮本裕子:マチケ(ガラスの娘 三女)
渡辺真紀子:エレミヤ(ドン・ガラスの妻)
石井愃一:ヤルゲン(エイモスファミリーの執事長)
大石継太:アリスト(エイモスファミリーの一員)
伊藤 蘭:メメ(アリストの妻 メイド長)
満島真之介:パブロ(トビーアスの友人)
新川将人:ローケ(仕立屋)
野々すみれ:レティーシア(ローケの娘)
村杉蝉之介:ペラーヨ(学校教師で活動家)
三田和代:(ガラスの母ジャムジャムジャーラ、トビーアスの祖母ドンドンダーラ)
古谷一行:グンナル(司祭)

富岡 弘、マメ山田、本城丸祐、妹尾正文、岡田正、清家栄一、福田潔、塚本幸男、澤魁士、土屋美恵子、蓬莱照子、野口和男、清水ゆり、池島優、前原麻希

1幕 1時間32分
( 休憩 15分 )
2幕 1時間
( 休憩 15分 )
3幕 1時間18分

---------
合計 4時間20分


物語
北回帰線と南回帰線の狭間にある架空の町に、祖母と二人で暮らす内気な青年。町を牛耳っているのは強欲で好色な町の権力者。彼の三人の娘は、それぞれに複雑な事情を抱え、やがて町を揺さぶる大事件に発展する―。
町の権力者の後妻と百歳を越える母親、子供を亡くした使用人夫婦、テロを企てる市民たち、怪しげな教会の司祭、謎の錬金術師と白痴の助手、そしてよその町からやってきた放浪の若者。幾多の登場人物が壮絶に絡み合う一大クロニクル。

お嬢さん乾杯 初春新派公演 三越劇場 [演劇]

恒例になった新派の三越公演である。木下惠介監督の生誕百周年を記念して、昭和24年3月に公開された映画『お嬢さん乾杯』の舞台化である。終戦後の東京で自動車の修理工場を始めて成功した青年と、没落した元華族のお嬢様の身分違いの恋を描いたラブコメといった物語で、正月にふさわしい心温まる芝居となった。

今年の新派は、二月の新橋演舞場での松竹新喜劇との合同?公演、6月には三越劇場で文学座が杉村春子の赤樫満枝を演じた宮本研が書いた『新釈 金色夜叉』を風間杜夫の客演を得ての上演。7月は京都南座で好評だった『東京物語』の上演。夏は地方巡業があって、12月は新橋演舞場で『三婆』を上演するという。いわゆる新派の財産演目はないようだが、現在の新派の現状を考えると仕方がないのかもしれない。

例によって舞台の奥行のない三越劇場での上演ということもあって、客席の最前列を外して舞台を客席に向かってせり出して使う形式。場割は以下の通りでバー「スパロ」と池田邸を交互に舞台転換して上演していくというもの。当時の歌謡曲を流したり、緞帳に動きのある照明を当てたりと工夫を凝らしての上演で、手作りのお芝居を観ているという懐かしさに満ちていて面白く観た。

いささか古風な三越劇場の佇まいを劇中に活かす工夫もあった。舞台の脇にはそれぞれドアがあって、その上に趣のある照明があるのだが、夜の場面になるとさりげなく点灯して雰囲気を盛り上げるのである。三越劇場の壁側には昔シャンデリアが下がっていたのだが、復活すると面白いと思う。

さて、芝居の前には『口上』と題された短い一幕がある。舞台全面に畳が敷かれ、背景は金屏風。芸者姿の女優陣と紋付と袴で正装した月乃助が、録音ながら清元?にのって踊り継ぐというもの。最後に安井昌二も加わって、立ったままのご挨拶、最後に手締めという流れ。お正月らしいのが何よりで、役者の踊りらしい芝居心のあるもので感心した。さすがに三越日本橋本店で上演するだけあって着物も帯も豪華に見えた。水谷八重子の松の柄がとってもモダンなもので楽しめた。

昨年までの小津安二郎監督作品の舞台化と違って、木下惠介監督の喜劇の舞台化であるあるために、どうしても客演の月乃助と相手役の瀬戸麻純を中心とした芝居になってしまうのは仕方がない。カーテンコールは主役の二人に加え、月乃助の弟分を演じた井上恭太の三人だけという異例のもの。八重子も久里子も安井も登場しないとは珍しいことだった。

新派の公演であるだけに、アンサンブルが充実していて主役を盛り立てていたが、それぞれ舌を巻くほど上手い演技を繰り出してきて、少しも目を離せない充実したものになっていた。幕切れを任された八重子や母親を演じた久里子が上手いのは当たり前。久里子なんて華族に嫁いだ芸者上がりの奥様なのかと思うくらい色気があって驚いた。ちょっとした仕草でも観客の目を引きつけてしまう芸は素晴らしいとしか言いようがない。

男優でも80歳を超えても元気に舞台を務める安井昌二はもちろん、田口守、児玉真二も美味しい役所で観客をわかせていた。その他、出てくる役者という役者が全員上手いのである。月乃助の弟分を演じた井上恭太も、芝居の為所が少なくて気の毒な面もあったが、正統派の二枚目として新派を背負って立つ逸材だと思った。

歌舞伎座の建て替えの影響を受けて、新橋演舞場は歌舞伎専門劇場になってしまって、商業演劇の公演が2年以上も姿を消してしまった。帝国劇場同様にジャニーズ事務所の公演の場となるのかもしれないが、強烈な刺激が少なくても手堅い芝居を観せてくれる新派に大いに期待したい。新派の名狂言を少しでも上演していく機会はないものだろうか。若い観客が観ても、十分に面白いと思うのだが…。

今日はトリプル! お嬢さん乾杯 東京バレエ団ベジャール・ガラ 祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~ [演劇]

ということで、観たいものはたくさんあるのに時間がなくて全部は観られない天使。2013年1月19日(土)は、11:30から22:50まで、三つの劇場をハシゴすることにした。我ながら、つくづく馬鹿だなあと思うけれど仕方がない。

本日のスケジュール

三越劇場
新派百二十五年 初春新派公演

『お嬢さん乾杯』

口上

11:30~11:45

幕間 30分

お嬢さん乾杯 第一幕

12:15~13:00

幕間 15分

お嬢さん乾杯 第二幕

13:15~14:10

東京文化会館
東京バレエ団 ベジャール・ガラ
(上演順は予想)
「ドン・ジョヴァンニ」
15:00- 15:25

休憩 15分

「中国の不思議な役人」
15:40-16:15

休憩20分

「火の鳥」

16:35-17:00


コクーンシアター
「祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~ 蜷川バージョン」

1幕 
18:30-20:02
1時間32分
( 休憩 15分 )

2幕 
20:17-21:17
1時間
( 休憩 15分 )

3幕
21:32-22:50
 1時間18分

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合計 4時間20分

というのが本日のスケジュール。さすがに渋谷で22:50終演予定では、天使の街までの終電(土曜日なので平日ダイヤよりも早い)にギリギリというk5分押しで開演した時点で、カーテンコールをパスしても絶対に間に合わないことが判明。次の日は藤沢まで畑中先生の追悼コンサートに行くことだし、東京へ泊まることにした。

ZIPANG PUNK ~五右衛門ロックⅢ  劇団☆新感線 東急シアターオーブ(渋谷ヒカリエ11階) [演劇]



一年を締めくくるのは劇団☆新感線と決めていた。オーチャードホールのバレエを見終えてから、東口の東急シアターオーブへ移動。年末ということもあってダブルヘッダーなのだが、来月はトリプルヘッダーの日もあったりして、相変わらずの過密スケジュールではある。さてこの劇場、非日常の世界へでかけるという高揚感をぶち壊す、オフィスビルへ入っていくような感覚が馴染めない。一旦劇場へ入ってしまえば、近未来的な創りでそれなりに工夫はあるのだが、あの劇場入口のシンプルさと、入口周辺を狭く感じさせる巨大な柱が邪魔である。

ミュージカル専門劇場ということでオープンした「東急シアターオーブ」も、初めての純国産の人気劇団の登場である。歌あり、ダンスあり、笑いあり、アクションあり、生演奏のロックと強烈なボーカルまで披露されて堂々の上演時間約4時間の大作である。それでいて、全く退屈を感じさせないテンポのある舞台で、天使のツボにはまって大いに楽しんだ。

劇場に入ると、オーケストラピットに蓋がされた感じで、張り出し舞台が設置されているが、客席とオーケストラピットを隔てる壁がなく、観客席からも演奏者が見える。舞台の床には五右衛門が活躍?した時代の風俗を伝えるモチーフの屏風をもとにした絵柄がプリント?されていた。

その張り出し舞台と主舞台を隔てるように上手と下手から湾曲した壁?が出てきて前舞台と主舞台を区切って、舞台転換がなされるのでスピーディーな舞台に貢献していたと思う。さらに舞台の両端には巨大なモニターが設置されていて、映像や字幕が出てきて大活躍。

3部作なのだが、2番目の作品を見損なってしまったのだが、なんとなくノリで舞台の流れを把握。細かなネタが書けないのだが、とになく面白くて面白くて。唯一の不満は、観客席のノリが今ひとつだったこと。ライブと同じようにノリノリで楽しんでしまったほうが面白いと思う。どうも東京の観客には気取があるようである。きっと大阪では爆発する舞台なのだと思う。

客演者と劇団員のほどよい混じりあいが心地よかった。大音響での絶叫?調のボーカルも作品にあっていて素晴らしかった。


スタッフ

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
作詞:森 雪之丞

出演
古田新太 三浦春馬 蒼井 優 /
浦井健治 高橋由美子 /
橋本じゅん 高田聖子 粟根まこと /
村井國夫 麿 赤兒

右近健一 河野まさと 逆木圭一郎 村木よし子 インディ高橋
山本カナコ 礒野慎吾 吉田メタル 中谷さとみ 保坂エマ /
村木 仁 川原正嗣 冠 徹弥 教祖イコマノリユキ ほか


あらすじ

所は、日の本。

豊臣秀吉が天下統一を果たし、この世の栄華を一手に握っていた時代。
天下に名だたる大泥棒、石川五右衛門(古田新太)は、ひょんなことから若い女盗賊、猫の目お銀(蒼井優)とともに空海が開いた津雲寺にある黄金目玉像という古い仏像を盗むことになる。

その津雲寺を預かるのは尼僧の春来尼(しゅんらいに・高橋由美子)。新任の京都所司代盗賊目付探偵方である明智心九郎(あけちしんくろう・三浦春馬)との丁々発止の知恵比べのあと、なんとか黄金目玉像を盗み出した五右衛門だったが、よくよく見るとそれは金メッキの鉄像。「こいつはガラクタだ」と五右衛門はお銀に目玉像を渡す。

その頃、秀吉(麿赤兒)は腹心の石田三成(粟根まこと)、前田慶次郎(橋本じゅん)らと朝鮮出兵を見送っていた。秀吉らが去ったあと、慶次郎の前にボロボロのマントを着た謎の南蛮人が現れる。彼はシャルル・ド・ボスコーニュ(浦井健治)、かつて五右衛門がヨーロッパに渡って海賊をやっていた時に知り合った、とある小国の王太子だ。「ゴエモンを探している」と言うシャルルを慶次郎は幼なじみの五右衛門のもとに連れていく。以前、シャルルと共に戦ったマローネ(高田聖子)がまさに空海の黄金目玉像を狙って日本に渡ってきていることを聞かされ、驚く五右衛門。

当の黄金目玉像はお銀が、堺の豪商・蜂ヶ谷善兵衛(はちがやぜんべえ・村井國夫)に渡していた。なんと、そこにはマローネの姿も。実は仏像の底に、空海が唐から持ち帰った大量の黄金のありかが、暗号文で示されていたのだ! そして善兵衛とマローネが用済みとなったお銀を始末しようとすると、現れたのは心九郎。お銀を助けると黄金目玉像も奪い、逃げ去っていく。

果たして、暗号文が示す黄金のありかとは?
五右衛門は見事に謎を解き、お宝をゲットすることができるのか??

日本橋  坂東玉三郎特別公演 日生劇場 [演劇]

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坂東玉三郎を初めて舞台で観たのは、昭和52年12月の三島由紀夫『斑女』、泉鏡花『天守物語』の二本立ての公演である。その時には、ライブ録音されたLPが発売され毎晩繰返して聞き込んだほど感動し夢中になった芝居である。あれから35年。翌月に初めて歌舞伎座に足を踏み入れてみたのも玉三郎の女形という存在に魅せられたからである。その時、最も美しいと思ったのは実は当時の梅枝。つまり今の時蔵だったのだけれど…。

玉三郎を観たさに翌年の3月の古い新橋演舞場へ新派を観に出かけたのである。その公演には、初代の水谷八重子が出ていて、最晩年の八重子を幸運にも観ることができた。その時に『日本橋』のお孝を初役で演じたのが玉三郎だった。

その時の配役が以下の通りである。

お孝:玉三郎
清葉:水谷良重
葛木晋三:安井昌二
笠原信八郎:永久保一男
甚平:中川秀夫
お千世:紅貴代
五十嵐伝吉:菅原謙二

それ以降、あまり観ていないはずなのだが、何故か名セリフの数々を口ずさめるのが不思議だったし、稲葉屋のメガネをかける芸者が登場したこと、伝吉の毛皮のコートなど、舞台を見ているうちに次々に思い出せた。もっともどんな結末だったかはすべて忘れていて、意外なほどハラハラドキドキもあって楽しめた。

洋風の劇場と認識される日生劇場なのだが、今の新国立劇場あたりのプロセニアムアーチと比べると、日本の劇場しく、やはり横長である。今回は緞帳ラインの前の上部に照明器具やスピーカーを吊るしていて、そをを隠すために黒幕が張られ、新派で上演されてきた芝居にふさわしいプロポーションを持った劇場に変身していた。

さらに舞台はオーケストラピットが舞台面までかさ上げされて前舞台がつくられていた。舞台転換は従来通の舞台的な写実な場面は、歌舞伎同様にワゴンに舞台装置を載せて人力で移動させるというアナログ的なもの。バックステージが比較的大きな日生劇場だから上演できたものだと思う。三越劇場ではちょっと無理な手法ではある。その一方で、極力無駄をそぎ落とした照明を駆使した抽象的な場面、まるで現代の演出が施されたような演出の場面もあって面白くみた。

最初に葛木と清葉が別れの盃?を交わす黙劇というか映画のアバンタイトルみたいな部分があって、小迫で二人が下がると一国橋が舞台奥から押し出されるという演出。その転換の様子を、縞模様?の照明に浮かび上がらせるという手法で見せる。開幕や芝居の最後に析の音が聞こえてたり、三味線が下座で演奏されたりといった新派らしい芝居づくりとも違和感がなく見られた。

一国橋の場面のあとには、普段は上演されない「待合桃園」というお孝と葛木が結ばれたり、幻想?の清葉が畳に切り取られた回転舞台と屏風を上手く使って登場したりと面白い場面が続いた。新派の泉鏡花ものとも違い、玉三郎の味付けが盛られて同性愛的な部分や猟奇的な部分もあって玉三郎ファンにとってはたまらない名場面が続く。

もっとも玉三郎と他の出演者との落差が大きく、玉三郎が出ている場面とそうでない場面に違いがありすぎた。玉三郎が出ていると面白く観られるのに、いないと舞台の流れが滞ってしまい退屈の極みとなってしまって困った。高橋惠子、松田悟志、斎藤菜月、永島敏行といった面々の努力は買うが、所詮新派系の芝居には歯が立たなかったようである。そうした芝居を救ったのは、やはり新派の面々で、伊藤みどり、勝見史郎、森本健介、立松昭二の短い登場場面でも、しっかり『日本橋』の世界をつくっていたのに感心した。

もうひとつ感心したのは、玉三郎や衣裳の高橋惠子の衣裳の好みの良さである。着物の趣味のよさというものを知りたければ、まずはこの芝居を観ることをおすすめしたい。玉三郎の天才的な美意識がそこにはあって、今回も多い愉しませてもらった。

伝吾の娘を演じた子役が上手かったが、お千世をいじめる腕白小僧は現代っ子そのままで見ていて違和感が。伝吾の永島敏行も一本調子で複雑さに欠けていて役になりきっていなかった。新人のお千世は、新派の新人にいそうなタイプで健気なのだが、この芝居以外で、玉三郎の庇護がない世界でやっていけるかどうか難しそうである。

鳴り止まない拍手?に応えてカーテンコールが1回だけ。時間通り17時に終演となった。玉三郎の言うように新橋演舞場や新しい歌舞伎座で上演できる作品となったかどうか…。日生劇場には花道がなく、一箇所だけ客席の通路を通って、上手に現われる階段を使って登場する場面があったが、舞台の中だけで完結していた方が、舞台の新鮮さが保つことができたのではないだろうか。せっかくの名狂言なのに、大量に寝ている観客が出現。舞台の事件に対して反応がいまひとつに感じたのは睡眠不足?の観客が多かったのが原因なのかもしれない。

これで玉三郎を東京の舞台で観られるのは、新しい歌舞伎座のできる4月までないということになる。歌舞伎の立女形であるのに、歌舞伎出演を避けてきた姿勢は評価できないでいる。亡くなった勘三郎は、玉三郎を相手役として演じたい演目があったはずなのに、頑なに?演舞場への出演を拒んだからか、ついに歌舞伎座閉場後は共演を果たさなかった。平成中村座への出演、新橋演舞場の勘九郎襲名への出演があってもよかったのではないだろうか。

歌舞伎座さよなら公演の顔寄せ手打ち式に出演していた歌舞伎役者のうち、又五郎、富十郎、芝翫、雀右衛門、勘三郎が新しい歌舞伎座に立つ事ができないまま亡くなってしまった。亡くなったのは役者だけではないのに何故気がつかないのだろう。玉三郎の歌舞伎を観たいと願いながら、この2年半のうちにどれだけの観客が亡くなったのだろう。

歌舞伎の舞台は玉三郎だけのものではない。観客のものでもある。生前の勘三郎がテレビのインタビューに答えて「そんなに嫌なら観に来なけりゃいいじゃないか」と本音を言っていた。さしずめ『大江戸りびんぐでっど』を憎んでいる天使のような観客に向けてのものだろうが、思い上がりもはなはだしい。役者だけで芝居ができるか?観客あってこその歌舞伎なのに。玉三郎が自身の信念を貫くのも結構。ただし、観客不在の芝居を続けるのは御免こうむりたい。

1500円で売っていたプログラムに闘病中の澤村藤十郎が寄稿していた。玉三郎の思いやりの深さに打たれた。藤十郎が元気でいてくれたら、玉三郎と人気を二分するような女形になっていただろうに…。勘三郎の活躍も別の展開があったかもしれない。

客席に天使の街の市長がいてビックリ。天使とたいして歳が違わないはずだが、玉三郎の芝居を観る趣味があったとは…。天使と同じ千葉ロッテマリーンズファンだとはしっていたけれど…。ちょっと見直す。

■配役
お孝:坂東玉三郎
清葉:高橋惠子
葛木晋三:松田悟志
お千世:斎藤菜月(新人)
笠原巡査:藤堂新二
五十嵐伝吾:永島敏行
植木屋 甚平:江原真二郎

■スタッフ
作:泉鏡花
演出:齋藤雅文
演出:坂東玉三郎

■上演時間
【14:00開演】 
第一幕・第二幕
14:00-15:05

<幕間 20分>

第三幕
15:25-16:05

<幕間 10分>

第四幕
16:15-17:00

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