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愛車は車検中 [エッセイ]2009-12-11 [エッセイ アーカイブス]

 先日の文楽公演へは、国立劇場へ愛車ででかけた。休日だと道が空いていて、自宅からdoor to doorで1時間かからないからである。電車ででかける時の半分ですむから、国立劇場へは車でよくでかける。しかも観劇チケットがあれば、一日通しで文楽を観ても、東京のど真ん中でたったの1日500円である。天使の街のド田舎の駐車場より安い!明日も国立劇場へ歌舞伎を観にいくのだが、愛車が車検中なので、しかたなく電車で行くことにした。
 
 愛車はチェロが安全に運搬できることを最優先に選んだ車である。天使は車への興味がまったくなく、なおかつ運転がド下手である。一応、大型免許も持っていて、11トントラックも運転したことがあるのだが、できれば都会では運転したくない。田舎の車が全然走っていないような道路が大好きである。だから、事故が恐ろしいので世界一安全といわれる車を買った。しかも静岡県の東部地方出身の性格らしく、まったく値切ることなく、言い値で買ってしまったのである。価格交渉なんかするくらいなら、最初から車なんて買わない主義なのだ。電化製品も値切って買った記憶がない。周囲に言わせると、どうも困った性格らしい。だから車検も安いところなんか絶対に探さない。安くできるところを紹介してくれる知人もいるが、別に安くしてくれなくてもいいよと見栄っ張りなところがある。結局、損をするのは自分なのに、この性格は治りそうもない。

 さて、車検中は代車に乗っている。いつも用意してくれるのはレンタカーなのだが、今回は売り物の車のようだった。車種はトヨタのiQというらしい。公式サイトはこちら

普通の車の半分の長さしかなくて超小型。ちょっとお洒落な感じが気に入った。もっとも、お隣を走る軽自動車の方が大きいように思えるのは気のせい?新国立劇場へも時々車で出掛けるけれど、地下駐車場には高級車がずらりと並んで壮観。そこへこのiQを乗りつけたら、新鮮というかなんというか面白そうだと思った。もっとも天使の車は、超ド田舎ナンバーなので、車よりもそっちの方が恥ずかしいかも。

以下はトヨタ IQのリリースである。

TOYOTA、2008年ジュネーブモーターショーに超高効率パッケージカー「iQ」を出展

 TOYOTAは、3月4日(火)から16日(日)まで、スイス ジュネーブで開催される第78回ジュネーブモーターショーに超高効率パッケージカー「iQ」を出展した。

 「iQ」は、クルマづくりの既成概念を覆す超高効率パッケージによって、CO2排出量の削減を念頭に優れた燃費性能を追求するとともに、全長3m未満ながら大人3人が快適に座ることができ、さらに子供1人の乗車や荷物を置くことができる、ゆとりをもった室内空間を確保。
 また、全長2,985mm × 全幅1,680mm × 全高1,500mmのコンパクトなボディに、2,000mmのホイールベースを組み合わせ、タイヤを可能な限り四隅に配置するなど、トヨタのデザインフィロソフィ「VIBRANT CLARITY」に基づいた存在感のある独創的なスタイルを実現している。

 超高効率パッケージを実現させた革新技術は以下のとおり。

・ 新開発のトランスミッションにより、フロントタイヤをより前方へ配置することが可能となり、フロントオーバーハングを短縮
・ ステアリング構造を変更すると同時に、ステアリングギアを上方配置することでエンジンルーム内の部品の最適配置が可能となり、エンジンルームのコンパクト化を実現
・ 燃料タンクをフラット化し床下へ移動することにより、リヤオーバーハングを短縮
・ 運転席・助手席のシートを薄型化することで、後部座席の足元スペースを拡大
・ エアコンを小型化し、インストルメントパネル中央部に配置することで、助手席側の足元スペースを十分に確保
・ さらに、助手席側のインストルメントパネルをえぐった形状とすることで、助手席をより前方へ配置することが可能となり、助手席側後部座席に十分なスペースを確保

 なお、「iQ」は日本での生産開始を2008年内に予定している。


2009-12-11 23:39
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11月のMVP  ケニー・オルテガ 「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」監督 [エッセイ]2009-11-30 [エッセイ アーカイブス]


 早くもDVDの発売が決定した「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」。しかも10,000セット限定のメモリアルDVD BOXは売り切れだそうな…。
いまさらなのだが、マイケル・ジャクソンの追悼式の映像を観ていたら~We Are The World~を歌っているのは、「THIS IS IT」のコーラスのメンバーとギタリストの女性だと気がついた。その歌声を聞いたら、こみあげてくるものが押さえきれなかった…。切ない。

わずか5ヶ月前のことなのに、すでに「THIS IS IT」の映画の公開が終わり、DVDの予約が開始されている。あまりの展開の早さに驚くばかりなのだが、その渦中にいるケニー・オルテガ監督が今月のMVPに決定です。

仕事の大切なパートナーであるばかりでなく、親友だったマイケル・ジャクソンを失ったことの喪失感に耐えながら、マイケルのために、世界中のファンのために映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を完成させた彼の努力、勇気、信念に敬意を表したい。この映画が幸福だったのは、実際のステージを構成演出したケニー・オルテガ自身によって作られたことにほかならない。マイケル自身も、それを一番望んでいたことだと思う。

映画は冒頭に6月25日の出来事について触れているが、基本的には実現しなかったステージの構成をたどる形式になっている。マイケルの葬儀も、その原因についても、過去の事件についても一切触れられていない。余計なナレーションもなければ、「THIS IS IT」の歌詞と「スリラー」の台詞以外には、歌詞の日本語字幕も出てこない。これは監督の指示なのか、単に時間がなかったのかはわからないが、素晴らしいことである。

美術館に絵画を見に行くと、多くの人は企画展ならば、会場入口に掲げられた説明パネルに見入っている。絵を見る前に解説を読むのは可笑しいと思うのだが、ジッと動かない人で大渋滞になっていて肝心の絵の前が空いていたりする。絵の前に来ても、題名をまず見る人が多い、本当ならば肩書きも説明も何もない絵と対峙するべきで、イヤホンから流れる絵の解説に耳を傾けるなど天使の理解を超えている。それで一体何がわかるのか?

書の展示ならば、人は何が書いてあるか知りたがる。歌舞伎ではイヤホンガイドが懇切丁寧に説明してくれて判ったような気になる。文楽はイヤホンガイドの他に、字幕表示まであって、肝心の舞台に集中できるのかどうか疑問である。オペラも字幕を見ながら舞台を観ることになるので、演出の細部を見落とすことも多い。バレエだけは、余計な説明がなくても音楽とダンスだけで理解できるのがありがたい。

もっとも12月に上演されるシルヴィ・ギエムの「聖なる怪物たち」では、シルヴィとアクラム・カーンの台詞を事前に翻訳して、ホームページにアップしている。二人の対話が大きな役割を果たしているものの、字幕に集中するあまり、舞台での二人の表情や動きを見逃して欲しくないとシルヴィは願っているからだという。まさしく舞台人ならではの発想で、ケニー・オルテガも観客にマイケルの表情や動きを見逃して欲しくないではないかと思った。確かに観れば観るほど、マイケルとその周囲の人々への興味が広がっていき、天使がどんどん観る回数を重ねる原因ともなったように思う。

歌舞伎舞踊では、長唄にしろ、清元にしろ、常磐津にしろ、同じ日本語でありながら、ほとんど意味が聴き取れない。それでも、なんとなく理解できてしまうのは、音楽の調子であったり、役者の身体から発せられる雰囲気であったりする。巧みな英語使いではない天使であっても、14回も観てくると、さすがに切れ切れな単語の意味とマイケルの表情で、リアルタイムに意味が理解できるようになってきて面白さは倍増した。たぶん天使が受け身の観客であったなら、そこまではたどり着けなかっただろうが、何としても知りたい、自分から調べようとする能動的な態度であったことも幸だっようだ。

ミュージカルの演出もする重鎮?だけあって、ダンサーへの愛情にも深いものが感じられた。映画の冒頭は、オーディション直後のインタビューから始まるからである。無名なダンサーではないはずなのに、名前がクレジットされるわけではない。マイケルと一心同体だから?あるいは、マイケルのパフォーマンスを身近で体験した無名の観客の代表でもあるから?天使はダンサーと一緒にマイケルと一緒に舞台に立つ、あるいは観客席で見守るダンサーと一体になっているように感じた瞬間が何度もあった。彼らは観客が自分と重ね合わせられる存在でもあったような気がする。絶対彼らのようには踊れないはずなのに、踊ったような気になっている自分を発見したりもした。

ダンサー達の稽古や基礎訓練の場面も面白くみた。ちょっと書くのが恥ずかしくなるような振付…。「バリシニコフは…」とトレーナー?が一生懸命に説明する場面には苦笑するしかないが、その後に続くダンサー達の見せ場とそこに登場したマイケルとそれを囲むダンサー達の笑顔が素晴らしかった。そういえば、天使はABTの芸術監督として来日したバリシニコフと握手したことがあったけ。あのゴツゴツした手の感触は忘れない。そして歌舞伎座にNBSの関係者と見物しにきていたこともあった。歌舞伎ファンで彼に気がついた人は、ほとんどいなかったけれど…。

そして何よりも、マイケルに対する愛情と、彼が表現し、訴えたかったことを、いかに映画の観客に伝えようと苦闘したはずのケニー・オルテガの姿勢が映画の成功の要因となった。ドキュメンタリー映画ならば、最初からある視点で描こうと演出が入るものなのだろうが、残されものはメイキング映像としての映画仕様の映像記録と手持ちのビデオカメラで押さえられた映像しかない。その困難に立ち向かう勇気、使命感、そしてマイケルへの深い愛に感動するのである。

その努力は大いに報いられたのではないだろうか。最終日が近づくにつれ、全国の映画館で満員状態が続いた。今まで公開最終日に深夜どころか早朝まで上映がくり返され、満員の観客を集めた映画があっただろうか。ある劇場では、画面に合わせてライブのような反応する観客であふれたり、映画が終わると同時に拍手が起こったり、異例の状況であったようである。彼にも、この熱狂が伝わったのだろうか?

素晴らしい1ヶ月を与えてくれて、ケニー・オルテガ監督、ありがとう。

2009-11-30 22:26

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十二月大歌舞伎 夜の部開演時間の変更 [エッセイ]2009-11-18 [エッセイ アーカイブス]


 予約していた十二月の歌舞伎座のチケットが今日届いた。チケットと一緒にお詫びと書かれた紙切れが…。11月11日に発表されていたらしいいが全然知らなかった。


お詫び


十二月大歌舞伎 夜の部の開演時間を、午後4時30分とご案内申し上げておりましたが、

午後4時45分に変更させて頂きます。

大変申し訳ございませんが、何卒ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


歌舞伎座


たぶん、昼の部に予定されている宮藤官九郎が演出も担当する新作『大江戸りびんぐでっど』の上演時間が延びてしまったのだろうか?あるいは、井上ひさしのように遅筆で、まだ完成していないのだろうか。それとも…。

正式な発表がまだなので、昼の部の上演時間を予想してみる。

「操り三番叟」 11:00~11:20

休憩          10分

「野崎村」    11:30~12:45

休憩          30分

「身替座禅」   13:15~14:20

休憩         15分

「大江戸りびんぐでっど」 14:35~16:25

といったところだろうか?

 天使は会社を休んで初日に昼の部と夜の部を通しで観る予定なので、『大江戸りびんぐでっど』がどのような作品となるのか大いに注目したい。クドカンなので一筋縄ではいかない作品に違いないのだが…。りびんぐでっど(Living Dead 生ける屍?)何なんだろう?すべては初日にわかる。たぶん初日の昼の部の終演時間は16時40分頃になるのではないだろうか。そんな予感がする。

2009-11-18 22:45
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藤十郎の大津絵道成寺とマイケル・ジャクソンのTHIS IS IT@IMAXシアター [エッセイ]2009-11-15 [エッセイ アーカイブス]


今日は国立劇場で歌舞伎を見物してから、川崎のIMAXシアターで「マイケル・ジャクソンのTHIS IS IT」の6回目(まだ、たったの6回!)を観た。日本に3箇所しかないIMAXシアターが川崎にあり、画面はフィルムではなくデジタル上映でクリア、音響も素晴らしいと聞いたので川崎まで遠征したのである。都会のシネコンは、PCでチケットが簡単に予約できるので便利。ただしロビーなどパブリックのスペースがとっても狭いのが玉に瑕である。混雑時にはどうするのだろう?というくらい狭くて驚いた。

 さて、そのIMAXシアター。つくばの科学万博?で初めて体験して、10数年前にニューヨークのメトロポリタン歌劇場の近くにオープンしたてのときに見物にでかけた。スクリーンは建物の4階分とかで確かに大きいのだが、上映していた作品は面白くない自然のドキュメンタリーだった記憶がある。新宿の高島屋のビルにもIMAXシアターができたのだが、観たいと思う作品がかからないので出かけないうちに閉鎖されたようである。

 川崎のIMAXシアターは、IMAX用のフィルムで撮影した作品でなくとも、デジタル処理でIMAX化でき、さらに3Dも可能なのだとか。確かにフィルムでの上映ではないので、画面がとってもクリア。フィルム上映では見えなかった画面後方のスタッフの姿まではっきり映っていて驚く。音響も大変素晴らしく、地元のシネコンがラジカセだとすると、こちらは本物のコンサートのPAで聞いているサウンドのようだった。スリラーなど、今回撮影された部分の映像の美しさIMAXシアターならではで、細部の美しさはフィルム上映を遙かに凌駕していたと思う。
 
 もっとも不満もあって、IMAXシアターとはいうものの、超巨大なはずのスクリーンはビルの中のシネコンゆえに実現できなかったようで小さめ。それでも床から天井までと横幅を目一杯つかっているので、視界一杯にスクリーンは広がる感じ。往年の映画ファンなら、シネラマ劇場で有名だったテアトル東京のスクリーンが湾曲していない感じといえばわかってもらえるだろうか。

オリジナルがビスタサイズの映画をシネスコサイズの画面にしたようなので、オリジナルの画面に出てくる日本語字幕の上端がスクリーンの最上部ということで、そこから上はちょん切られたようである。何度も観ているファンなら気になるかもしれないが、初めてなら問題ないレベルではあったと思う。

客席はスタジアム形式で前の人の頭が気にならないはずだが、スクリーンが床ぎりぎりまでなので、ちょっと背伸びされると頭が気になることもあった。そんなこんなで巨大でクリアな映像と最高の音響で映画を楽しんだのだが、最低だったのは今日の観客。19時20分から1日1回だけのIMAXでの上映だけに満席だったのはいいが、上映中に出入りする観客があまりに多くて閉口。天使の前も横切った観客がいて呆れた。

さて、今日の国立劇場の感想は後日にするが、「外郎売」、「傾城反魂香」、「大津絵道成寺」という狂言の並べ方は洒落ていた。大津絵の絵師である又平が主役である「傾城反魂香」が團十郎と藤十郎の共演で一番の話題なのだが、その後に大津絵から抜け出た藤娘が道成寺を踊るという藤十郎にしかできないような趣向の変化舞踊が面白くて派手で楽しめた。しかも最後に矢の根の五郎がでてきて、「外郎売」とも関連するという念の入れようである。

五変化の中では、いなせな船頭が素敵だったが、それを観ていてマイケル・ジャクソンを思い出した。スキャンダル先行で マイケル・ジャクソンは、ここ10年間は音楽活動らしいものしていなかった。この映画は再起をかけたコンサートに向けてのリハーサルだった。この映画を観るまでは、彼は表現者であっても、創造者であることを辞めたのだと思っていた。今回のロンドン公演には新曲はなく、ファンは大喜びだが意地悪なことをいえば懐メロ大会といってもいい内容なのではと思ったくらいである。

ところが藤十郎の「大津絵道成寺」を観ていて、違った感じ方をしたのである。藤娘も娘道成寺も、彼にとっては自家薬籠中の演目である。それを解体して全く新しい演目、それもかなり洒落の効いたものに造り替えてみせたのである。しかも一巴大夫や里長など超一流の演奏者を従えての上演である。歌舞伎は同じ演目を何度も何度も演じる。新作がでることはめったにない。それでも毎回新鮮に感じられるのは、作品のよさ、特に古典作品の奥深さによるに違いない。

マイケル・ジャクソンにも、それが当てはまって、既成の人気曲も、すでに古典の域に達していたのである。だから何度同じ映像を観ても飽きないし、毎回新しい発見がある。さらにかつてのような演奏やダンスの振り付けの単なる再現ではなく、現在の彼の最高のパフォーマンスを実現させようとしていた姿に感動させられた。ロンドンの50回公演が実現していたら、完成度はどこまで達していたか想像もできない。それだけの可能性がリハーサル映像に秘められていたように思えてならない。

最高にクリアで大きくて迫力のある映像のおかげで、マイケルジャクソンの瞳の奥底の表情までもが読み取れたのは今回の大きな収穫である。たぶんリハーサル当初の不安と緊張が見え隠れする部分もあれば、かつてのヒット曲に心底楽しそうに歌っているのだと判って、思わず涙ぐんでしまった曲もあった。実際、サングラスの奥の目の表情までも読み取れるとは恐ろしいまでのデジタル映像である。バックダンサーやコーラス、バンドの表情や心の中まで想像できるので、情報量は格段に多くなったようである。遠くに映っているスタッフのおじさんの表情まで見えるとはIMAX恐るべし。

最後には満員の観客から遠慮がちながら拍手まで巻き起こって、川崎まで遠征した甲斐があったというものである。もう一度観たいが川崎まで行く暇がないのが、かえすがえすも残念である。地元のシネコンは避けて隣町まで、また出かけてみようと思う。今回一番受けたのは、マイケルとスタッフが円陣を組んで手をつなぎ、マイケルがスピーチしている場面。画面左に映っているパーカッション担当のバンドメンバーのTシャツの模様。何が描かれているのかは映画を観て確認してください。とにかく受けて、感動的な場面なのに笑いをこらえるのが大変でした。何なの?あれ…。

2009-11-15 23:31
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劇場の天使 ~弦楽アンサンブルに挑戦する~ [エッセイ]2009-11-14 [エッセイ アーカイブス]

 60歳になっったらバッハを弾くという目標のために、38歳になってから習い始めたチェロ。ずっと、独りで練習を続けてきたのだけれど、「そろそろ、アンサンブルも体験してみた方がいいかも」という先生の言葉に従って、初心者が多い弦楽アンサンブルに入団。半分以上は同じ音楽教室のメンバーなので気は楽なのが救い。

 全体練習のある週の個人レッスンは、バッハの無伴奏の練習は休んで、アンサンブルでやる小曲を練習。初心者向けなので、けっして難しくはないのだが、「最初はついていけないと思う」という先生のお言葉。そんなものなのかなあと、他人と一緒に演奏するのは初体験の天使は、猛練習して最初の練習に参加した。

指導の先生の棒がおりて、音が流れ出す。うん、間違いなく各楽器の音が溶け合って、音楽が流れ出している。「ああ、気持ちいい」と思ったのは最初だけ。ちょっとだけ難しい部分でついていけなくなり、収拾不可能に・・・。なんとか戻ろうとすると、今度はボーイングが滅茶苦茶になって周囲と正反対の弓の動かし方になってしまって、頭の中は大パニック。自分ひとりなら弾けるのに…。言い訳にもならない言い訳で、頭はさらにカッカッして、二度目はもっと酷い状態に。焦りまくっているうちに練習は終了。正味1時間ほどの練習だったのに物凄く疲れた。

 次の個人レッスンの日に先生に相談すると、難しい箇所は、まずは最初と最後だけ弾いて、周囲とあわせていくようにアドバイスを受ける。最初は弾けなくても、頭とお尻さえ合えば、だんだん弾けるようになるからと、どうやって手抜きするかを伝授された。確かに楽譜に正確に弾いている先生と同じように弾けないのに、なんとか帳尻をあわせると、弾けているように思えてくるのが不思議。来週のアンサンブルの練習をめざして毎日猛練習中の天使なのでした。年明け早々にステージに上がる予定が組まれているので、かなり追い込まれ必死です。

  他人様の演奏やら演技やらにアレコレ言うのは簡単だけれど、実際に自分がヤル方になると何と大変なことなのだ!と身に染みている最中なのである。

2009-11-14 23:22
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今夜もTHIS IS IT [エッセイ]2009-11-13 [エッセイ アーカイブス]

 千葉のド田舎シネコンのレイトショーは20時以降にスタート。なんと『THIS IS IT』は20時10分から…。平日は20時までは自主的に残業することにしているので、観たくても観られない状態が続いてイライラ。今日は猛スピードで仕事をかたずけ、残業代がつかない身分なので定時退社は17時30分。本当は、いつ帰ってもいいのだけれど、同僚に気兼ねしながら、少々後ろ髪をひかれる思いで会社を後にする。

 開映5分前に劇場へ到着。この間までは全席指定制だったのに、今日は全席自由席なのだとか。ひょっとしてガラガラか?と思ったら50名ほどは観客がいたのでホッとする。今週は2回目で、ラジカセ並みのショボイ音響の劇場で観ることになってしまう。はやり音圧不足で迫力がなくて残念。本気で日曜には、川崎のIMAXまで遠征するつもり。

 それでも今日が一番感動してしまい、最後は涙が止まらなくなってしまった。マイケル・ジャクソンを観ていて、ベジャールのバレエ「ボレロ」で有名になったダンサーであるジョルジュ・ドンが演じた「ニジンスキー 神の道化」を思い出したからである。バレエ・リュスの悲劇的ダンサー、ニジンスキーをドンが演じた芝居である。ニジンスキーは神に選ばれた天才であるがゆえの苦悩があり、後半生は精神病院で過ごすことになるような悲惨な人生、そんな物語だったと思う。ニジンスキーは1950年に亡くなり、ドンは1992年にエイズで亡くなった。

 偉大なダンサーからの連想で、ニジンスキー、ジョルジュ・ドン、マイケル・ジャクソンを思い浮かべた。天才的なアーティストでありながら、悲劇的な死。何やら共通項があるような気がしてならない。三人とも「神の道化」だったのかも。そして三人とも伝説になったのも同じか…。

2009-11-13 00:02
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劇団四季『キャッツ』横浜公演の開幕によせて [エッセイ]2009-11-12 [エッセイ アーカイブス]

 2009年11月11日劇団四季の看板ミュージカル『キャッツ』横浜公演が、横浜駅から10分の場所に建設された「キヤノン・キャッツ・シアター」で開幕した。詳しくはこちら。
 劇団四季の看板ミュージカルで、初演から25年だそうでブロードウェイのロングラン記録を抜くのだそうである。来年にはある。西新宿の京王プラザホテルの隣に初代キャッツシアターのテント張りの仮設劇場が作られた。今ではシルク・ド・ソレイユの劇場も仮設の移動式だったりするが、当時は大変珍しかった。外部の音が観客席に伝わってきてしまったりして、なかなか上演に際しては大変なこともあったらしいが、大ヒットして異例の1年間のロングランとなった。フジテレビや味の素がスポンサーになり、フジテレビに盛んにCMが流れていた。

 劇場内部は1階席のみのワンスロープで、舞台後方にはボックス席という特別席があったりした。さすがに不評だったのか、それ以降は設けられていない。その後、東京では、新宿の南口で上演され、品川で、そして五反田と首都圏では都内の山手線沿線の公演地を転々としてきた。前回までの五反田では4年半のロングラン公演だったので、さすがに「キャッツ」でも観客動員の面では厳しい時期もあり、客席の半分も入っていない寂しいこともあった。

 今回は横浜で初めて都内を出た公演地である。平日は18時30分開演で、何度も観るリピーターに支えられている面もあるのに、都内からでは仕事帰りに気軽にというのは大変だと思われる。動員では修学旅行ねらいなのかもしれないが、新型インフルエンザでどうなることやら…。入場料の値下げや、ファミリーゾーンの設定という事実上の値引き販売などに活路を見出そうとしているが、「キャッツ」の神通力が通じるかどうか見守っていきたい。

 天使は初演を当然のことながら観ている。今では当たり前のコンピューターでのチケット発券(チケットがコンピューターで印刷されて郵送されてくるだけ)が、この作品から始まった。発売初日に公衆電話に張り付いてダイヤルしまくったおかげで、12月1日の回転席の最前列のど真ん中がとれたのを覚えている。さすがに最前列は恥かしいので、それ以降は回転席は買わないようにしているけれど。猫にみつめられて台詞を語られると恥かしいが、また体験してみたいような気もする。

 記者会見の時にいた市村正親が初演メンバーに入っていなかったり、バストファジョーンズの衣裳がルイ・ヴィトン?のロゴを無断でパックって問題になったり、いろいろ話題があったけれど、ダンス力も歌唱力も、現在とは格段に劣っていたのは疑いがなかった。

 なにしろミストフェリーズを演じた飯野まさみが一番の見せ場であるグランフェッテが全くできないヘタレぶりだったのである。回転はするが、回転のたびに足を床につくというバレエの技術の未熟さを露呈したものだった。まともに踊ることできたのは、加藤敬二の出演以降からだったのではなかったろうか。歌って踊るという技術面に関しては、現在は申し分のない高いレベルにあるのは間違いがない。

 忘れられないのは志村幸美のグリザベラの熱唱で、いまだに彼女の歌を超える役者に会わない。名曲「メモリー」が歌われると、必ず思い出すのは彼女のことである。40歳を目前に亡くなってしまった彼女。天使と同年代のはずである。もう亡くなって11年になる。今回も横浜まで足を伸ばすことになると思うが、また彼女のことを思い出して泣いてしまいそうである。


2009-11-12 00:37

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森繁久弥の功罪  [エッセイ]2009-11-11 [エッセイ アーカイブス]


森繁久弥さん死去、96歳 大衆芸能で初の文化勲章

 舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」をはじめ、映画やテレビ、ラジオで幅広く活躍し、戦後芸能界の最前線に立ち続けた俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。喪主は次男建(たつる)さん。

 森繁さんは、「駅前旅館」「社長太平記」などの各シリーズをはじめ、「警察日記」「夫婦善哉」などの映画、「七人の孫」「だいこんの花」などのテレビドラマで喜劇から悲劇までを器用にこなす多彩な演技で知られた。また、「知床旅情」の作詞・作曲なども手がけ、91年には大衆芸能の分野で初の文化勲章を受けた。

 13年大阪府生まれ。早大を中退し、36年に東宝劇団へ。ロッパ一座を経て39年、NHKに入り、アナウンサーとして旧満州(中国東北部)に渡る。50年、NHKのラジオ番組「愉快な仲間」のレギュラーになり、芸達者なコメディアンとして注目された。

 52年からのサラリーマン喜劇の映画「三等重役」シリーズが出世作となり、「次郎長三国志」の森の石松役のほか「駅前」「社長」などの人気シリーズに出演。ドタバタだけの喜劇俳優とは違う、渋さの中に独特のユーモアをたたえた演技派として評価が高まった。また、再放送を含め、57年から08年まで2千回以上続いたNHKラジオ「日曜名作座」では、間の取り方に工夫を凝らした巧みな朗読で新境地を切り開いた。

 61年、「森繁劇団」を旗揚げし、舞台にも力を入れる。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテビエ役は、67年の初演以来、19年間に上演900回を重ねる代表作となった。自ら作詞作曲した「知床旅情」など、歌手としても「森繁節」と呼ばれる独特の節回しでファンを魅了した。

 56年にブルーリボン賞と毎日映画コンクールの主演男優賞をダブル受賞した後、NHK放送文化賞(65年)、菊池寛賞(74年)、菊田一夫演劇賞の大賞(76年)などを受け、84年に文化功労者となった。97年公開のアニメ「もののけ姫」ではイノシシの長の声を演じ、99年のCD「葉っぱのフレディ いのちの旅」では朗読を担当。近年まで現役で存在感を示した。

 ヨットが好きで、91年に日本一周を果たした。伴淳三郎の後を継いだ「あゆみの箱」の会長や、「アフリカへ毛布をおくる会」の会長など慈善運動にも力を注いだ。

 静岡生まれの田舎者の天使。進学のため東京へ出てきたばかりの頃、帝国劇場で『屋根の上のバイオリン弾き』を観た。ミュージカルは劇団四季の『ウエストサイド物語』などを、すでに観ていたけれど、東京の一流の劇場で、生のオーケストラを使ったミュージカルは『屋根の上のバイオリン弾き』が生まれて初めてだったように思う。何しろ劇団四季の『ウエストサイド物語』は日生劇場公演といえどもカラオケだったので…。

 とにかく大感動してしまって、その後くり返された再演を律儀に、森繁久弥の最終公演まで何度も観に行くこととなった。何に感激したのかといえば、流刑になった恋人を追ってシベリアへ旅立つ次女を見送る場面。その父性愛に大いに泣かされた。そして計算しつくされ、演出された熱いカーテンコール。田舎者がコロッとまいってしまう要素に満ちていた。今から考えれば、日本的なあまりにウエットな演出と演技で鼻白む。しつこいほどくり返されるカーテンコールも演出過多で辟易とさせられるのだが、「カーテンコール一番良かった」なんていう声を何度も聞いた。本末転倒だと思うが、本人が一番好きだったらしい。「サンライズ・サンセット」を観客と一緒に歌うなんて、今から考えると嫌味な趣向だった。

 それでも『屋根の上のバイオリン弾き』を持って全国を巡演したのは評価できよう。少なくとも劇団四季のようにカラオケでミュージカルは上演しなかったようだから。もっとも米国の西海岸まで行って日系人に見せようと本気で思っていたらしいのは笑えない。なんという不遜な考え方なんだろう。慈善活動でも、そうした思い上がった態度があったらしい。そんな噂を聴いてから、急速に森繁久弥を見聞きするのをやめた。東宝では『レ・ミゼラブル』を初演するのと前後して、森繁久弥はミュージカルの舞台に立たなくなった。

 森繁久弥は東宝で森繁劇団を旗揚げしたものの、実質は座員はいなくて毎回人を集めるプロデュース公演だったという。主に喜劇を上演したが、初日に台本ができあがっていなかったりという毎回綱渡りというか、いい加減な公演をくり返していたらしい。公演中に出演者による隠し芸大会があって、そこで認められて良い役がつくこともあったという。また、毎回のアドリブで、その時間になると他の出演者が舞台袖に集まって見物するなんていうこともあったらしい。ノリノリになれば上演時間が延び、客が良くないと判断すれば短くしてしまうなんていうことも。

 社会情勢の変化もあったから仕方がないが、森繁久弥が活躍した東宝の舞台からは商業演劇が消えた。後継者となるべき人材も育てられなかったし、これで森光子が舞台に立てなくなるようなことがあれば、商業演劇の舞台は東宝の舞台から完全に消えてしまうに違いない。人間にとって本当に必要な演劇を生み出せず、単なる消耗品にしたのではないだろうか。これから世の中には礼賛の記事や番組があふれるだろうが、テレビでは市橋容疑者の逮捕で、あまり露出がないのが不運というべきだろうか。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。

森繁久弥の功罪  [エッセイ]
森繁久弥さん死去、96歳 大衆芸能で初の文化勲章

 舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」をはじめ、映画やテレビ、ラジオで幅広く活躍し、戦後芸能界の最前線に立ち続けた俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。喪主は次男建(たつる)さん。

 森繁さんは、「駅前旅館」「社長太平記」などの各シリーズをはじめ、「警察日記」「夫婦善哉」などの映画、「七人の孫」「だいこんの花」などのテレビドラマで喜劇から悲劇までを器用にこなす多彩な演技で知られた。また、「知床旅情」の作詞・作曲なども手がけ、91年には大衆芸能の分野で初の文化勲章を受けた。

 13年大阪府生まれ。早大を中退し、36年に東宝劇団へ。ロッパ一座を経て39年、NHKに入り、アナウンサーとして旧満州(中国東北部)に渡る。50年、NHKのラジオ番組「愉快な仲間」のレギュラーになり、芸達者なコメディアンとして注目された。

 52年からのサラリーマン喜劇の映画「三等重役」シリーズが出世作となり、「次郎長三国志」の森の石松役のほか「駅前」「社長」などの人気シリーズに出演。ドタバタだけの喜劇俳優とは違う、渋さの中に独特のユーモアをたたえた演技派として評価が高まった。また、再放送を含め、57年から08年まで2千回以上続いたNHKラジオ「日曜名作座」では、間の取り方に工夫を凝らした巧みな朗読で新境地を切り開いた。

 61年、「森繁劇団」を旗揚げし、舞台にも力を入れる。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテビエ役は、67年の初演以来、19年間に上演900回を重ねる代表作となった。自ら作詞作曲した「知床旅情」など、歌手としても「森繁節」と呼ばれる独特の節回しでファンを魅了した。

 56年にブルーリボン賞と毎日映画コンクールの主演男優賞をダブル受賞した後、NHK放送文化賞(65年)、菊池寛賞(74年)、菊田一夫演劇賞の大賞(76年)などを受け、84年に文化功労者となった。97年公開のアニメ「もののけ姫」ではイノシシの長の声を演じ、99年のCD「葉っぱのフレディ いのちの旅」では朗読を担当。近年まで現役で存在感を示した。

 ヨットが好きで、91年に日本一周を果たした。伴淳三郎の後を継いだ「あゆみの箱」の会長や、「アフリカへ毛布をおくる会」の会長など慈善運動にも力を注いだ。

 静岡生まれの田舎者の天使。進学のため東京へ出てきたばかりの頃、帝国劇場で『屋根の上のバイオリン弾き』を観た。ミュージカルは劇団四季の『ウエストサイド物語』などを、すでに観ていたけれど、東京の一流の劇場で、生のオーケストラを使ったミュージカルは『屋根の上のバイオリン弾き』が生まれて初めてだったように思う。何しろ劇団四季の『ウエストサイド物語』は日生劇場公演といえどもカラオケだったので…。

 とにかく大感動してしまって、その後くり返された再演を律儀に、森繁久弥の最終公演まで何度も観に行くこととなった。何に感激したのかといえば、流刑になった恋人を追ってシベリアへ旅立つ次女を見送る場面。その父性愛に大いに泣かされた。そして計算しつくされ、演出された熱いカーテンコール。田舎者がコロッとまいってしまう要素に満ちていた。今から考えれば、日本的なあまりにウエットな演出と演技で鼻白む。しつこいほどくり返されるカーテンコールも演出過多で辟易とさせられるのだが、「カーテンコール一番良かった」なんていう声を何度も聞いた。本末転倒だと思うが、本人が一番好きだったらしい。「サンライズ・サンセット」を観客と一緒に歌うなんて、今から考えると嫌味な趣向だった。

 それでも『屋根の上のバイオリン弾き』を持って全国を巡演したのは評価できよう。少なくとも劇団四季のようにカラオケでミュージカルは上演しなかったようだから。もっとも米国の西海岸まで行って日系人に見せようと本気で思っていたらしいのは笑えない。なんという不遜な考え方なんだろう。慈善活動でも、そうした思い上がった態度があったらしい。そんな噂を聴いてから、急速に森繁久弥を見聞きするのをやめた。東宝では『レ・ミゼラブル』を初演するのと前後して、森繁久弥はミュージカルの舞台に立たなくなった。

 森繁久弥は東宝で森繁劇団を旗揚げしたものの、実質は座員はいなくて毎回人を集めるプロデュース公演だったという。主に喜劇を上演したが、初日に台本ができあがっていなかったりという毎回綱渡りというか、いい加減な公演をくり返していたらしい。公演中に出演者による隠し芸大会があって、そこで認められて良い役がつくこともあったという。また、毎回のアドリブで、その時間になると他の出演者が舞台袖に集まって見物するなんていうこともあったらしい。ノリノリになれば上演時間が延び、客が良くないと判断すれば短くしてしまうなんていうことも。

 社会情勢の変化もあったから仕方がないが、森繁久弥が活躍した東宝の舞台からは商業演劇が消えた。後継者となるべき人材も育てられなかったし、これで森光子が舞台に立てなくなるようなことがあれば、商業演劇の舞台は東宝の舞台から完全に消えてしまうに違いない。人間にとって本当に必要な演劇を生み出せず、単なる消耗品にしたのではないだろうか。これから世の中には礼賛の記事や番組があふれるだろうが、テレビでは市橋容疑者の逮捕で、あまり露出がないのが不運というべきだろうか。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。


2009-11-11 00:19
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11月1日の劇場の天使~歌舞伎座初日雑感~ [エッセイ]2009-11-02 [エッセイ アーカイブス]


歌舞伎座での最後の顔見世興行は『仮名手本忠臣蔵』の通し上演である。幸四郎の四段目の大星、七段目の平右衛門。仁左衛門の石堂、七段目と十一段目の大星。富十郎の師直、芝翫のお才。梅玉の若狭、定九郎、服部、魁春の顔世、孝太郎の四段目の力弥。菊五郎の勘平、勘三郎の判官。お軽は道行と五段目、六段目が時蔵。七段目が福助である。

 かつてポスト玉三郎として、昭和58年12月の歌舞伎座でお軽を競演した時蔵と福助ではあるが、やはりここは、歌舞伎座の最後のお軽として玉三郎に登場して欲しかったというのが正直な気持ちである。また、このところ絶好調の吉右衛門が四段目の大星、七段目の平右衛門を演じてくれれば、もっと盛り上がったかもしれないとも思った。

 昼の部、夜の部を初日に通して観たのだが、感想は後日にして、初日の雑感を少々。新型インフルエンザ対策なのか、歌舞伎座のロビーにマイナスイオンの発生器?が何箇所にも置かれていた。空気中のウイルスや花粉などを除去する効果があるらしいが、果たして広いロビーを数台の機械でカバーできるかどうかは疑問である。それでも休憩時間は、その機械の前をウロウロしていたし、幕間ごとに化粧室へ手を洗いに行き消毒液を手のひらにすり込んでいた。客席には、けっこう咳き込んでいる人もいたので、用心にこしたことはないかもしれない。

 初日ゆえに舞台上ではいろいろの失敗があったように思う。まず大序では、富十郎の師直が顔世に文を渡すときに扇を落としたこと。これは大きな傷ではないし、何事もなく舞台は進行して行った。心配された膝の疾患も階段の登り降りにも支障がなかったようで安心。ここでは梅玉の若狭之助が上出来だった。

 大序と三段目は短い休憩をはさんで続けて上演された。三段目はさすがに膝をかばってか、かつての松緑のように蔓桶に腰掛て若狭と応対。判官とはさすがに座っていては芝居にならないので、正座を巧みに避ける方法で乗り切っていた。初めて判官の前に進み出るときに、前のめりになって手をついてしまったのでハッとさせられたが、大きな事故にならずにすんで安心した。判官の刃傷になって、勘三郎の判官が本蔵の顔を見るのと、本蔵が顔を出すタイミングがずれてしまったので、判官が本蔵を見ないまま幕になってしまった。ここでは橘太郎の伴内が身の軽いところをみせて素晴らしい。

 四段目は判官の切腹になって諸士が飛び出して平服したのはいいが、上手側に余裕がありすぎて、下手側の諸士の一人が納まりがつかなくなり、前後になってしまった。基本的な心得の問題だと思うが、歌舞伎の様式美を破壊して最悪。

 道行では定式幕が通常通りに上手に引かれたので、幕切れはどうするのかと興味津々でいたところ、團蔵の伴内が花四天が肩を組んだ上に乗って刀を望遠鏡のようにして、花道の勘平とお軽を見る演出だったのだが、花四天に乗り損ねて中途半端な位置でしがみついて、なんとか落下を免れるというお粗末。さすがに菊五郎の勘平も苦笑いするしかなかった。

 五段目と六段目では猪が二度ほど転んだり、定九郎の刀が一度で鞘に納まらなかったりしたが、大きな失敗はなかったような気がする。七段目では、仁左衛門の大星が平右衛門の願書を扇で床に落とせずに起き上がってしまったりという大失態。これで緊張の糸が切れたのか、終始緩んだ舞台になってしまって感心しなかった。上演時間の関係なのか仲居たちの見立てはカットされてしまって、なぜ舞台に大勢が並んだのか意味がなくなってしまい華やかさに欠けた。

 十一段目の最後は「両国引き揚の場」だったはずなのに、単なる「引き揚の場」に変更されていた。筋書やチラシは両国橋で、大間の看板は「引き揚の場」に変わっていた。ロビーを探したら一箇所だけポスターの表示が・・・。四段目の「通さん場」の注意書きとは大違いである。

 十一段目は炭小屋まではいつもの通りで、浅黄幕が降りての舞台転換。少々長めの転換で、幕が落とされると両国橋ならぬ花水橋。確かに仮名手本忠臣蔵の世界としては正解なのだが、そんなにこだる理由もないような気がした。舞台一杯に花水橋が作られていて、舞台奥から大星らが行進?してくるという演出。一同が舞台上手に移動しようとすると、花道から馬に乗った梅玉の服部が来て別の道をすすめるという展開。そして一同が花道を去って、馬上から梅玉が独り見送って幕になった。終演予定時間は9時6分だったが、珍しく5分ほど早く終わる。大掛かりな舞台転換があったにもかかわらず、終演時間が早まったなら、カットした場面は復活しないものだろうか。少々残念な気もした。せっかくなら最後の引き揚の場の平右衛門にも幸四郎が出て欲しかったが、さすがにそれは難しかったようである。カーテンコールが好きな幸四郎なはずなのに…。

2009-11-02 00:10
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またまたマイケル・ジャクソンのTHIS IS ITへ [エッセイ]2009-11-01 [エッセイ アーカイブス]

 なんだか映画館へ毎日通っているような気がする。まあ、実際そうなんだけれど…。映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」は何度観ても飽きないどころか、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と回数を重ねるごとに良くなっているような気がする。同じ映像と音響なので、そんなことは有り得ないのだけれど、こちらの受け取り方が深化しているからだろう。

 明日は歌舞伎座、3日は新橋演舞場で歌舞伎三昧の一日なので、映画館には行けないが、来週も2回は確実に足を運ぶだろうと思う。地元のシネコンでも、最大のスクリーン、最高の音響の劇場なのだけれど、都内あたりの大劇場へでもでかけてみようかとも思っている。

 世界同時公開ということで、この瞬間にも、どこかで、この映画が観られているのかなあと思うと感慨深い。地球環境に関するメッセージが、この映画を観た世界中の人々に伝わって、温暖化をストップできたなら、どんなに素敵だろうと思った。それこそがマイケルが望んだことなのだから。

 今日も映画を観ている間は幸福でした。次回は、チュッパチャプスを持参するつもり。本当は飲食物の持ち込みはいけないのだけれど…。


2009-11-01 00:28
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