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11月のMVP  ケニー・オルテガ 「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」監督 [エッセイ]2009-11-30 [エッセイ アーカイブス]


 早くもDVDの発売が決定した「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」。しかも10,000セット限定のメモリアルDVD BOXは売り切れだそうな…。
いまさらなのだが、マイケル・ジャクソンの追悼式の映像を観ていたら~We Are The World~を歌っているのは、「THIS IS IT」のコーラスのメンバーとギタリストの女性だと気がついた。その歌声を聞いたら、こみあげてくるものが押さえきれなかった…。切ない。

わずか5ヶ月前のことなのに、すでに「THIS IS IT」の映画の公開が終わり、DVDの予約が開始されている。あまりの展開の早さに驚くばかりなのだが、その渦中にいるケニー・オルテガ監督が今月のMVPに決定です。

仕事の大切なパートナーであるばかりでなく、親友だったマイケル・ジャクソンを失ったことの喪失感に耐えながら、マイケルのために、世界中のファンのために映画「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を完成させた彼の努力、勇気、信念に敬意を表したい。この映画が幸福だったのは、実際のステージを構成演出したケニー・オルテガ自身によって作られたことにほかならない。マイケル自身も、それを一番望んでいたことだと思う。

映画は冒頭に6月25日の出来事について触れているが、基本的には実現しなかったステージの構成をたどる形式になっている。マイケルの葬儀も、その原因についても、過去の事件についても一切触れられていない。余計なナレーションもなければ、「THIS IS IT」の歌詞と「スリラー」の台詞以外には、歌詞の日本語字幕も出てこない。これは監督の指示なのか、単に時間がなかったのかはわからないが、素晴らしいことである。

美術館に絵画を見に行くと、多くの人は企画展ならば、会場入口に掲げられた説明パネルに見入っている。絵を見る前に解説を読むのは可笑しいと思うのだが、ジッと動かない人で大渋滞になっていて肝心の絵の前が空いていたりする。絵の前に来ても、題名をまず見る人が多い、本当ならば肩書きも説明も何もない絵と対峙するべきで、イヤホンから流れる絵の解説に耳を傾けるなど天使の理解を超えている。それで一体何がわかるのか?

書の展示ならば、人は何が書いてあるか知りたがる。歌舞伎ではイヤホンガイドが懇切丁寧に説明してくれて判ったような気になる。文楽はイヤホンガイドの他に、字幕表示まであって、肝心の舞台に集中できるのかどうか疑問である。オペラも字幕を見ながら舞台を観ることになるので、演出の細部を見落とすことも多い。バレエだけは、余計な説明がなくても音楽とダンスだけで理解できるのがありがたい。

もっとも12月に上演されるシルヴィ・ギエムの「聖なる怪物たち」では、シルヴィとアクラム・カーンの台詞を事前に翻訳して、ホームページにアップしている。二人の対話が大きな役割を果たしているものの、字幕に集中するあまり、舞台での二人の表情や動きを見逃して欲しくないとシルヴィは願っているからだという。まさしく舞台人ならではの発想で、ケニー・オルテガも観客にマイケルの表情や動きを見逃して欲しくないではないかと思った。確かに観れば観るほど、マイケルとその周囲の人々への興味が広がっていき、天使がどんどん観る回数を重ねる原因ともなったように思う。

歌舞伎舞踊では、長唄にしろ、清元にしろ、常磐津にしろ、同じ日本語でありながら、ほとんど意味が聴き取れない。それでも、なんとなく理解できてしまうのは、音楽の調子であったり、役者の身体から発せられる雰囲気であったりする。巧みな英語使いではない天使であっても、14回も観てくると、さすがに切れ切れな単語の意味とマイケルの表情で、リアルタイムに意味が理解できるようになってきて面白さは倍増した。たぶん天使が受け身の観客であったなら、そこまではたどり着けなかっただろうが、何としても知りたい、自分から調べようとする能動的な態度であったことも幸だっようだ。

ミュージカルの演出もする重鎮?だけあって、ダンサーへの愛情にも深いものが感じられた。映画の冒頭は、オーディション直後のインタビューから始まるからである。無名なダンサーではないはずなのに、名前がクレジットされるわけではない。マイケルと一心同体だから?あるいは、マイケルのパフォーマンスを身近で体験した無名の観客の代表でもあるから?天使はダンサーと一緒にマイケルと一緒に舞台に立つ、あるいは観客席で見守るダンサーと一体になっているように感じた瞬間が何度もあった。彼らは観客が自分と重ね合わせられる存在でもあったような気がする。絶対彼らのようには踊れないはずなのに、踊ったような気になっている自分を発見したりもした。

ダンサー達の稽古や基礎訓練の場面も面白くみた。ちょっと書くのが恥ずかしくなるような振付…。「バリシニコフは…」とトレーナー?が一生懸命に説明する場面には苦笑するしかないが、その後に続くダンサー達の見せ場とそこに登場したマイケルとそれを囲むダンサー達の笑顔が素晴らしかった。そういえば、天使はABTの芸術監督として来日したバリシニコフと握手したことがあったけ。あのゴツゴツした手の感触は忘れない。そして歌舞伎座にNBSの関係者と見物しにきていたこともあった。歌舞伎ファンで彼に気がついた人は、ほとんどいなかったけれど…。

そして何よりも、マイケルに対する愛情と、彼が表現し、訴えたかったことを、いかに映画の観客に伝えようと苦闘したはずのケニー・オルテガの姿勢が映画の成功の要因となった。ドキュメンタリー映画ならば、最初からある視点で描こうと演出が入るものなのだろうが、残されものはメイキング映像としての映画仕様の映像記録と手持ちのビデオカメラで押さえられた映像しかない。その困難に立ち向かう勇気、使命感、そしてマイケルへの深い愛に感動するのである。

その努力は大いに報いられたのではないだろうか。最終日が近づくにつれ、全国の映画館で満員状態が続いた。今まで公開最終日に深夜どころか早朝まで上映がくり返され、満員の観客を集めた映画があっただろうか。ある劇場では、画面に合わせてライブのような反応する観客であふれたり、映画が終わると同時に拍手が起こったり、異例の状況であったようである。彼にも、この熱狂が伝わったのだろうか?

素晴らしい1ヶ月を与えてくれて、ケニー・オルテガ監督、ありがとう。

2009-11-30 22:26

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