近江源氏先陣館 日高川入相花王 9月文楽公演・第2部 国立劇場・小劇場 [文楽]
三部制とはいいながら、第一部は10月歌舞伎公演と連動した演目である『双蝶々曲輪日記』の通し上演。第三部はシェイクスピアを原作とした新作文楽。従来の三部制らしい短い時間と手頃な料金で名作を揃え文楽に親しめるのは第二部である。16時に始まって18時30分に終演というのは、なんとも中途半端な気がしないでもないが、10分の休憩を入れて2時間30分の上演時間に収めるというのは好企画である。
『近江源氏先陣館』は、母微妙を遣う文雀を除いては人間国宝の出演はなく、中堅に活躍の場が与えられたという感じである。咲甫大夫、千歳大夫、文字久大夫と引き継がれていく。次代の文楽を背負って立つべき俊英たちの出演である。いずれも日頃の修業の成果が出て上出来なのだが、師匠の住大夫が引退してしまった文字久大夫が、「盛綱陣屋の段」の後半を語って素晴しい。住大夫のドキュメンタリーでは、徹底的にしごかれる役回りで気の毒なほどだったが、その甲斐あっての成長とあれば、師匠への恩返しが出来たといったところだろう。人物描写が的確で、登場人物の気持が手に取るように理解できるなど、なかなかないことである。人形では盛綱を遣った玉女が大きく、思慮深さを感じさせて、こうした役柄は今後はこの人に委ねられるのだろうなと思った。
文雀の微妙は身体の動きに不安を抱かせながらも最後まで破綻することなく、早瀬の勘彌、篝火の勘壽など、これまでなかなか注目されてこなかった人々が、実はかなり高度な表現力と技術を持っていることに気づかされた格好である。
『日高川入相花王』は、有名な物語であり、蛇体の仕掛けなど派手な見せ場もある割りに上演時間が短いということもあって、地方公演で取り上げられることが多い。今回も初心者が多いであろうという想定のもとに取り上げられたのかもしれない。
清姫を遣った蓑二郎も、あまり脚光を浴びてこなかった人の一人だと思うのだが、他の中堅の人々と同じく地道な努力が実を結んだという風で、文楽の将来へけっして暗くないと確信させてくれた。
そして客席。他のジャンルの劇場の観客に比べ、舞台への集中力ということであれば一番なのではないだろうかと思った。その姿は、教会に集うクリスチャンと重なって見えた。少なくとも文楽を観なくても、生きていく上には何も支障がない。たぶん大多数の日本人は、劇場で文楽を一度も観ることなく死んでいくのである。劇場に文楽を観に来る人達は、本当に文楽が好きでたまらなくて来るのである。手に入りにくいチケットを、それこそ涙ぐましい努力の末に手配しているのである。
教会の礼拝に参加するクリスチャンも、日本人の中では絶対の少数である。だが、彼らも日曜日の度に教会に行かないではいられないのである。クリスチャンではない人には全く理解されない行動である。真摯に神に祈る姿と、舞台を食い入るように見つめる人々に何か共通のものがあるように思えたのである。
もっとも肝心な時に、寝てしまうような人がいるのも同じなのだけれど。そこへ、文楽に全く興味のない人がドカドカと土足で踏み込んだからといって簡単に理解できるような世界ではないのである。謙虚になって、舞台に対峙する姿勢を求められるのが文楽だと強く感じた。字幕もあり、床本付のプログラムあり、イヤホンガイドあり、しかも他のジャンルに比べて安い料金と至れり尽くせりであっても難しい。「縁なき衆生は度し難し」で、どこかの市長のように傲岸不遜な言動しかできないとなれば悲しいことではある。だが、少なくと第二部を見る限り、文楽は滅びないし、滅びさせない。絶対に。
<第二部>4時開演
近江源氏先陣館
和田兵衛上使の段 4:00~4:25
咲甫大夫/宗助
盛綱陣屋の段 4:26~5:55
千歳大夫/富助
文字久大夫/清介
母微妙 吉田文雀
妻早瀬 吉田勘彌
佐々木盛綱 吉田玉女
小三郎 吉田蓑次
小四郎 吉田玉翔
和田兵衛秀盛 吉田玉志
高綱妻篝火 吉田勘壽
<休憩10分>
日高川入相花王
渡し場の段 6:05~6:30
三輪大夫/芳穂大夫/希大夫/小住大夫/亘大夫
團七/清馗/寛太郎/錦吾/清允
清姫 吉田蓑二郎
船頭 吉田玉佳
<第二部>
1等席 5,900円(学生4,100円)
2等席 4,800円(学生2,400円)
3等席 1,500円(学生1,100円)
『近江源氏先陣館』は、母微妙を遣う文雀を除いては人間国宝の出演はなく、中堅に活躍の場が与えられたという感じである。咲甫大夫、千歳大夫、文字久大夫と引き継がれていく。次代の文楽を背負って立つべき俊英たちの出演である。いずれも日頃の修業の成果が出て上出来なのだが、師匠の住大夫が引退してしまった文字久大夫が、「盛綱陣屋の段」の後半を語って素晴しい。住大夫のドキュメンタリーでは、徹底的にしごかれる役回りで気の毒なほどだったが、その甲斐あっての成長とあれば、師匠への恩返しが出来たといったところだろう。人物描写が的確で、登場人物の気持が手に取るように理解できるなど、なかなかないことである。人形では盛綱を遣った玉女が大きく、思慮深さを感じさせて、こうした役柄は今後はこの人に委ねられるのだろうなと思った。
文雀の微妙は身体の動きに不安を抱かせながらも最後まで破綻することなく、早瀬の勘彌、篝火の勘壽など、これまでなかなか注目されてこなかった人々が、実はかなり高度な表現力と技術を持っていることに気づかされた格好である。
『日高川入相花王』は、有名な物語であり、蛇体の仕掛けなど派手な見せ場もある割りに上演時間が短いということもあって、地方公演で取り上げられることが多い。今回も初心者が多いであろうという想定のもとに取り上げられたのかもしれない。
清姫を遣った蓑二郎も、あまり脚光を浴びてこなかった人の一人だと思うのだが、他の中堅の人々と同じく地道な努力が実を結んだという風で、文楽の将来へけっして暗くないと確信させてくれた。
そして客席。他のジャンルの劇場の観客に比べ、舞台への集中力ということであれば一番なのではないだろうかと思った。その姿は、教会に集うクリスチャンと重なって見えた。少なくとも文楽を観なくても、生きていく上には何も支障がない。たぶん大多数の日本人は、劇場で文楽を一度も観ることなく死んでいくのである。劇場に文楽を観に来る人達は、本当に文楽が好きでたまらなくて来るのである。手に入りにくいチケットを、それこそ涙ぐましい努力の末に手配しているのである。
教会の礼拝に参加するクリスチャンも、日本人の中では絶対の少数である。だが、彼らも日曜日の度に教会に行かないではいられないのである。クリスチャンではない人には全く理解されない行動である。真摯に神に祈る姿と、舞台を食い入るように見つめる人々に何か共通のものがあるように思えたのである。
もっとも肝心な時に、寝てしまうような人がいるのも同じなのだけれど。そこへ、文楽に全く興味のない人がドカドカと土足で踏み込んだからといって簡単に理解できるような世界ではないのである。謙虚になって、舞台に対峙する姿勢を求められるのが文楽だと強く感じた。字幕もあり、床本付のプログラムあり、イヤホンガイドあり、しかも他のジャンルに比べて安い料金と至れり尽くせりであっても難しい。「縁なき衆生は度し難し」で、どこかの市長のように傲岸不遜な言動しかできないとなれば悲しいことではある。だが、少なくと第二部を見る限り、文楽は滅びないし、滅びさせない。絶対に。
<第二部>4時開演
近江源氏先陣館
和田兵衛上使の段 4:00~4:25
咲甫大夫/宗助
盛綱陣屋の段 4:26~5:55
千歳大夫/富助
文字久大夫/清介
母微妙 吉田文雀
妻早瀬 吉田勘彌
佐々木盛綱 吉田玉女
小三郎 吉田蓑次
小四郎 吉田玉翔
和田兵衛秀盛 吉田玉志
高綱妻篝火 吉田勘壽
<休憩10分>
日高川入相花王
渡し場の段 6:05~6:30
三輪大夫/芳穂大夫/希大夫/小住大夫/亘大夫
團七/清馗/寛太郎/錦吾/清允
清姫 吉田蓑二郎
船頭 吉田玉佳
<第二部>
1等席 5,900円(学生4,100円)
2等席 4,800円(学生2,400円)
3等席 1,500円(学生1,100円)
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