SSブログ

文藝春秋四月号 市川團十郎遺言インタビュー公開『文化あってこその経済です』を読んで [エッセイ]


文藝春秋 2013年 04月号 [雑誌]

文藝春秋 2013年 04月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/03/09
  • メディア: 雑誌



現在発売中の文藝春秋4月号。「新・歌舞伎座の明日」と題した特集を組んでいる。坂田藤十郎による「勘三郎さん、團十郎さんはいないけれど」という追悼文と、関容子による「團十郎さん、みんなあなたが好きでした」と題したエッセイにはさまれて、團十郎の「文化あってこその経済です」が掲載されている。さらには、中村哲郎の「勘三郎、まぼろしの『助六』というエッセイが冒頭にあるので今月号は歌舞伎ファンは買っておいても良いのではないだろうか。

2012年10月10日に新歌舞伎座の開幕に向けての抱負を新橋演舞場の楽屋で語られたものだという。こんな世の中だからこそ、市川家の荒事の主柱となっている「勧善懲悪」を訴えいきたい、という主旨の談話原稿を「文春オピニオン 2013年の論点100」に掲載されたものを、遺族の了解を得て、一問一答を今月号に掲載したということだ。


質問は以下の通りである。

2010年4月の歌舞伎座の幕が閉じてから、新しい歌舞伎座が落成するまで三年かかりました。この間、どのような心境ででしたか?

新しい歌舞伎座について、俳優の方々から施主であり、興行主である松竹にご意見、ご要望はだされたのでしょうか?

旧歌舞伎座にはエスカレーターやエレベーターがありませんでした。バリアフリーは進んでいるでしょうか?

團十郎さんは、ご著書『團十郎復活』のなかで、フランスのパリ・オペラ座が壊され、再建されることが決まったら、フランスの国中で反対の嵐が吹き荒れるだろう、と書かれていました。日本では文化や伝統への尊敬の念がまだまだ希薄だとお考えでしょうか?

1951(昭和26)年に級歌舞伎座ができた時には、開幕早々、お父様(十一代目市川海老蔵)が光君を勤められた「源氏物語」が大変な評判を呼びました。新歌舞伎座においても、新しい演目、新しい演出が期待されていると思います。そのようなものが出てこないと歌舞伎界が活性化していかないと思うのですが、團十郎さんはどうお考えでしょうか?

先ほど歌舞伎界は一つの大きな世代交代の時期を迎えている、とおっしゃっていましたが、若い世代には何を期待されますか?

團十郎さんは若い世代をどうご覧になっていますか?

観客として若い世代のなかから台風の眼になるような役者が何人も出てくることを期待してしまいます。ご長男の市川海老蔵さんにはどのようにきたいされていますか?

こんな演目に挑戦して欲しい、というようなご要望はありますか?

市川家の荒事がしっかりと継承されていくことをやはり大切に考えられているのでしょうか?

最後に2013年の抱負をお聞かせください。

それぞれの質問に興味深い考え方が述べられているので、是非買求めて読んでいただきたいものである。
最後の質問に答えて團十郎は以下のように答えている。

團十郎 そうですね、歌舞伎界にとってはお祭りの年になるでしょう。間違いなくお祭りになると思います、まあ、お祭りっていうのは、楽しむ、そのお祭りがすんだ後が大変ですけれどね(笑)。

2月3日、祭りの前に急逝してしまった團十郎。大幹部の相次ぐ死は集客への影響は避けられそうもない。祭りが盛り上がるのかどうか。歌舞伎ファンなら誰もが心待ちにしている歌舞伎座の新開場だが、世間一般の関心はそれほど高くない。3月27日の午前中に銀座でパレードがあるようだが、平日の時間帯なので、どの程度の集客力があるのだろう。オリンピックの凱旋パレードまでとはいわないが、ある程度の人が集まらないと盛り上がらない。その後に、開場式が行われメディアも取り上げるだろうが、今のところメディアへの露出が多いとはいえない。本当に大丈夫だろうか。

インタビューの中で興味深かったのは、新しい歌舞伎座のバリアフリーへの團十郎の考え方である。東銀座と直結し、エスカレーター、エレベーター、手すりつきのスロープ、身障者用のトイレなど、車椅子での観劇スペースは多くないようだが、劇場としては最先端のバリアフリー化が進んだようである。介助があれば、歌舞伎座へでかけたいと思う観客層は多いように、日頃感じているのでバリアフリー化は悪いことではない。それを受け入れる他の観客の温かい目が必要だと思うが、自分の権利ばかりを主張する殺伐とした風景にならないよう願うばかりである。

團十郎は次のように答えていた。

ええ、そうですね。バリアフリーもかなり充実しております。でも、私は松竹さんとのミーティングで、100パーセントのバリアフリーはやめてください、90パーセントまでにしてください、という意見を申し上げました。10%はお客様ご自身の力で、自分の座席に行っていただくことが大切ではないかと考えたからです。
 
 バリアフリーという概念は大変けっこうな話だと思いますけれど、今はコンピューター時代ではないですか。そんな時代だからこそ、人間は肉体を介して行動しなければならないと思うのです。劇場に足を運んでいただいて、共通の空間と時間を楽しんでいただくのが、演劇であり、歌舞伎です。人間同士はコンピューターやツイッターでいくら会話をしてもダメなんですよ。人間同士がじかに話す大切さを忘れないためにも、100%のバリアフリーはよくない、と思ったのです。

白血病の病に冒されたことで、身体的な弱者のことはよく理解しているはずの團十郎の言葉だけに重く響いた言葉だった。今の技術であれば、誰の助けも借りずに自分の席までたどり着くことは可能であろう。そににより、周囲の観客が無関心になることを團十郎は恐れているように思った。お年寄りに気配りをするのは陶然と考えている天使には信じられない光景を何度も目撃しているからである。

休憩時間になって、新橋演舞場の2階のロビーに出た。広めの3人がけのソファの両端に天使と若い女性が座った。女性はお弁当を広げ、天使は筋書を眺めていた。ソファの中央のスペースは広く開いていて、お互いに詰めれば4名がかけられないことはない。

そこへ2名の年配の女性がやって来て、「つめていただけますか?」と静かに尋ねてきた。天使は詰めてスペースを空けたが、反対側の女性は「つめろってか?」と不愉快そうに冷たく言い放った。当然詰めるものと思っていた3人は驚いたが、女性は平気である。もちろん天使が席をゆずったのだが、自分の権利を主張し正当化しようという空気が劇場に限らず、社会全般に満ちているようだ。

劇場だからこそ、感動の時間と空間を分ち合う観客同士が思いやれる空気がやはり望ましい。観客の中には通路側の端の席を好む観客がいるという。他の観客に前を通る時にお願いをしなくていいからという理由である人もいるという。大人としてなんとも情けない話で、他の人と積極的に交流するのを好む天使には理解できない理由である。

そして何よりも理解できないのは、他の観客が前を通る時でも、足をずらして通りやすくしてあげようという発想のない人で、荷物も置きっぱなしでまたいでいけといわんばかりの人がいるのも困る。天使は人様の荷物を平気でまたぐなどという無作法な教育は受けていないのである。

何から何まで他人の力を借りないで済む劇場ではなく、他者とのかかわりを残しておくべくという團十郎の主張は間違っていないと思った。新しい劇場では、お年寄りには今以上に心を配って快適な劇場にして團十郎の遺志を生かしたいと心から思う。

團十郎の新作や新しい試みについての考え方も興味深かった。

ただ、どうなのかな、と思うのは、たとえば歌舞伎座ができると、新橋演舞場はどのような位置づけになっていくだろう、ということです。新橋演舞場では歌舞伎の古典的な演目も新作も上演します。一方、フランスのパリではガルニエは主にバレエを、バスティーユは主にオペラを上演していて、劇場の特色がはっきりしています。そのように、歌舞伎座は古典を中心にして、たまに新作をやり、新橋演舞場は新しいことにチャレンジする劇場にして、たまに古いものもやる、というような棲み分けも必要ではないかと思っています。

これは今までの歌舞伎座とスーパー歌舞伎を上演していた頃の新橋演舞場のあり方が理想的と考えているように思えた。閉場前の歌舞伎座では、勘三郎を中心にすえた新しい試みがあったが、興行的には集客ができても、作品としてはほとんど失敗している。新橋演舞場で冒険して、成功したら歌舞伎座へ進出するといった道筋も必要なのではないだろうか。気がついたら、新橋演舞場がジャニーズ事務所に占領されていたなどという帝国劇場のようにならないことを望みたい。

團十郎の次の言葉を肝に銘じて劇場へ通いたいと思う。

とにかく人間が動かないのは、生物としていちばんいけない。やっぱり動くことが大事なんですよ。人間がだんだん動かなくなって、それでことが済んでしまう、という世界は、間違った方向へ向かっていると思います。やっぱり生物である以上、身体を動かして、はたらいて、汗をかいて、夜はぐっすり寝られる、というのが、いちばんですよ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。