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三谷幸喜 文楽に新作を提供?! 文楽の危機なのか [文楽]

三谷幸喜、3か月連続舞台上演に挑戦!初ものづくし!! - シネマトゥデイ



パルコ劇場で三谷幸喜の新作文楽『其礼成心中』(それなりしんじゅう)が8月に上演されることが発表された。確か昔の西武劇場には「船底」があったハズなので改装されていなければ文楽の上演は可能なハズである。最初は国立劇場の定期的な公演で上演されるのかと思ったら、3ヶ月連続舞台上演の一環ということらしい。チケットの入手は困難を極めると思われるので観ることはかなわないだろうけれど、果たして文楽の将来のためにプラスになるかは、はなはだ疑問である。

近松の「曽根崎心中」「心中天網島」が下敷きで、店の前での心中を逆手に「曽根崎饅頭」を売り出す饅頭屋を巡る爆笑譚なのだとか。作者は「甘美な心中も、はた迷惑と思えば笑いの要素がいっぱい」と自信を見せているのだとか。まあ、興行的には成功するだろうけれど、「これを機に若者が文楽を応援してくれれば大きな力になる」と吉田一輔は語っているようだけれど、三谷幸喜の作品に群がる若者?は絶対に国立劇場の文楽なんて観に来ないし、観に来ても二度目はないと思った方がよい。

今月の文楽公演の筋書で住大夫が対談で次のように語っていた。

『私は、新作もやらないかんと思うてます。新作を呼び水にして「文楽ってこんなんやったはるから、いっぺん公演を見てみよか」というふうにね。ええ本書いてもらわないけまへんけれど、浄瑠璃調に書いてもらわんでも、口語体でええのです。それを演者が浄瑠璃風に脚色し、節付けして、人形遣いが振りを考えたらええのですから。宇宙船が出てきてもいいし、宇宙人が出て来ても僕はええと思うてます。いつも新作ばっかりという訳ではいきまへんけど』

この発言は三谷幸喜の新作を指しているのは明らかである。果たして思惑通りにいくかどうか。今月の文楽公演は恒例の三部制である。住大夫と源大夫が語り、お里を簑助が遣う「すし屋」のある第二部に人気が集中したようで、平日公演というせいもあるのか第一部と第三部には空席が目立った。東京の文楽ファンは何が何でも全部観るということではないようであるし、観客も高齢化していて若者の姿は皆無だった。

玉男が活躍した数年前までは、割り振りが上手くいっていて、どの部も満員御礼が続いていたが、世代交代の時期を迎えて観客動員に翳りが出てきたのは確かなようである。この惨状を見れば大阪市の橋下市長の文楽協会への補助金見直しに説得力を与えかねない。目先の演目の彩りを変えれば問題が解決するような単純な話ではないのである。

今の文楽は観客不在なのだと思う。大夫と三味線の組み合わせは固定化してしまって例えば住大夫と寛治、あるいは清治などという夢の組み合わせは本公演では絶対にない。それが当たり前の世界なのであるが、どうしてそんな非常識なことを考えたかといえば、源大夫が病気休演のために代役として天使の大好きな英大夫が藤蔵の三味線で語ったからである。

第一部で「杉坂墓所の段」の奧を語った英大夫は、低めの音に難があるように思えたが誠実に語っていて好感が持てた。三味線の清介の第一音から観客を劇世界に誘うような深い音を聴かせてくれて満足させてくれた。第二部では清介に替わり源大夫のパートーナーである藤蔵との顔合わせが実現した。「すし屋」という大曲、しかも第一人者の住大夫の後に語るのでは、相当な重圧があったはずだが破綻なく語っていて新しい彼の魅力を発見したように思う。その後を語った千歳大夫の大音量で騒々しいだけの語りと違って表現が深いのである。固定した組み合わせでは発見できなかった可能性を見出すことができて嬉しく思った。代演を見事に務めた英大夫に心からの拍手を贈りたい。

さて第三部では嶋大夫らによる『寺子屋』の後で、清治による補綴・補曲による『日本振袖始』が上演された。何よりも感心したのは音楽面の充実で、三味線、胡弓、琴?と打楽器群が見事に調和して浄瑠璃語り、人形の振付とが高度に絡み合い充実した劇世界を構築していたことである。その中心となった清治が、通常の公演では冷遇されているとしか思えないのはどうしてだろう。

今年は古事記千三百年?なのだとか。それで八岐の大蛇の物語というのも安易な気がしていたが、上演成果は充実していたし、四匹?の大蛇の造型と動きの面白さは通常の文楽公演を超えていたと思う。それなのに空席が目立っていたのは残念なことである。確かに三部を全部観ようとすれば合計で2万円近くの出費になってしまうので、どれかひとつでもということになれば、やはり第二部を選んでしまうだろうなと思う。実際にあぜくら会の売り出し初日には第二部、第三部、第一部という順番で購入したのだから、皆考えていることは同じなのだと思う。

かつてシェイクスピアの「テンペスト」を翻案した『天変斯止嵐后晴』が上演されたが結局再演されることなく終わってしまった。三谷幸喜の初歌舞伎作品『決闘!高田馬場』も再演されていない。文楽の新作といのは困難を伴うようである。それでいて技芸員を平等?に出演させなければならないという制約があるのか、明らかに技芸が劣るものを我慢をして見せられる。これでは人間国宝が活躍している間はともかくも、文楽の衰退は避けられないのではないだろうか。

天使自身三十数年見続けてきて、最近はなんとなく惰性で見ているような気がしてならない。今の文楽の舞台に「夢や希望」を見出しているだろうかと自問自答してみる。前向きに生きる力が湧いてくるような舞台だったろうかと今日一日の舞台をふり返ってみる。結局は英大夫の切々たる語りだけだったなあと思い返した。

英大夫の舞台に二度も接することの他に嬉しかったことは、憧れのT氏に第三部でお会いできたこと。今日は会えるかもしれないという予感が的中したのだった。帰りは方向が同じなのでT氏おすすめの路線で一緒に帰ることに。ちょっとした工夫でずっと座って帰ることができた。しかも到着時間は、いつも立ちっぱなしで帰る電車と同じ。多少費用はかかっても、こんな裏技があるのかと感心した。そして何よりT氏と親しくお話しできたことが何より嬉しかった。お互いに電話番号やメールアドレスを交換するなどという気が全くなくて、劇場での偶然の出会を期待しているという緩い関係がなんとも心地よいのである。
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keyston3939

 親父は大昔『蝶々夫人』でピンカートンを遣ったり、ハムレットで客席上空を飛んだりしたらしいですが、新作は橋下市長じゃありませんが『二度と見る気はしません!』ですねぇ。
 それにしても住大夫さん、そんな発言をされていましたか?それなら話は早いです。別に新作をやらずとも、今の演目の日本語が分かり辛い所だけを現代人にでも分かる言葉にすれば、字幕を見なくても若者でも興味が持てると思いますが・・・。勿論、さわりの名場面はそのままです。
 素浄瑠璃と文楽用の浄瑠璃の二本立てで、天使さんのような玄人ファンには物足りなさを感じるとは思いますが、文楽の生き残る道は、これしかないような気がいたします。
 親父は『東京は大阪と違って、いつも満員じゃ』と自慢していましたが、心配ですねぇ・・・
by keyston3939 (2012-02-10 03:43) 

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