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鈴ヶ森 口上 鏡獅子 ぢいさんばあさん 六代目中村勘九郎襲名披露・二月大歌舞伎・夜の部 新橋演舞場 [歌舞伎]

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失われた十年、歌舞伎のこれから

勘九郎の襲名披露に吉右衛門が参加すると聞いて驚きを隠せなかったが、果たして同じ舞台に立つのかどうか初日を迎えるまで半信半疑だった。吉右衛門が幸四郎や勘三郎と長い間共演しなかったのは歌舞伎ファンなら誰でも知っていることだったからだ。

幸四郎とは近年になって共演を重ねているし、歌舞伎座の閉場式では勘三郎と同じ舞台は踏んでいるものの、本格的な共演はこの興行が初めてだからである。相次ぐ大幹部の死、勘三郎が病気になったこと、東日本大震災など、共演に至った原因はわからないが二人の共演を待ち望んでいたファンにとって、こんなに喜ばしいことはない。ただ直ぐに二回目の共演予定はないようなので、新しい歌舞伎座の新開場まで待たなければならないのだろうか。これが最後なんていうことにならないよう祈るばかりである。

『鈴ヶ森』は勘三郎に負担をかけないように選ばれた演目だろうが、吉右衛門の幡随院長兵衛、勘三郎の白井権八という考えられる最良の配役を得たことで面白さが倍増した。吉右衛門の貫禄、大きさ、こぼれるような愛嬌、望み得る全てを体現した存在として舞台に出現した。

一方の勘三郎は『対面』の十郎で見せたみずみずしさをそのままに、前髪姿も良く似合って、吉右衛門に対峙してみせた。火花の散るような共演ではなかったが、お互いのプライドをかけたといっても良いような緊迫感を感じさせて面白かった。

この二人が顔をあわせてくれれば、どんなに素晴らしい舞台が出現しただろうかと思えば思うほど、失われた時間、かけがえのない時間を取り戻せないことが、歌舞伎界にとって、どれほどの損失だったことか。もう残されている時間は少ないのである。つまらない意地など張らず観客本位で舞台を務めて欲しいと思う。

『口上』は新しい勘九郎が、いかに父が名乗っていた名前にあこがれていたかを語り、可愛がってくれたお弟子さんたちへの感謝を語って清々しい。ただし、勘太郎のままでも良かったのではないかとも思う。誰が望んで誰が決めたのか、幕内の事情はわからないが、同じく初舞台を踏んだはずの七之助の名前が変わらないのもおかしくないだろうか。兄弟で同時に襲名した梅玉や魁春の例もあることだし。

『鏡獅子』は、六代目菊五郎、先代・勘三郎、当代・勘三郎と受け継がれてきた勘九郎襲名に最もふさわしい演目である。さらに六代目に薫陶を受けた芝翫にも連なる人だけに大きな期待があった。開幕には今年93歳になるという小山三が飛鳥井で登場。それだけで大拍手なのだが、子供の頃から勘九郎を見ていただけに感慨も一入といったところだろう。勘九郎の長男の初お目見得も遠くないことである。是非、中村屋四代の舞台を見守って欲しいものである。

さて勘九郎の『鏡獅子』は、かつて若い頃に父親が踊っていたような火の玉のようなものではない。むしろ端正で、女方だった芝翫の踊りに近いのではないだろうか。昭和60年9月に歌舞伎座で踊られた勘九郎の『鏡獅子』は、何故そこまで身体が動くのかと驚嘆するほど躍動感に満ちたもので、弥生でさえも獅子の精の魂が宿っているのではと思えるほど大暴れだった。六代目の『鏡獅子』とはこんな感じだったのかと思わせるような観客を挑発し興奮に導くような独特な世界があった。年齢を重ねるにしたがって勘三郎は大人しく?なってしまって、かつての覇気は感じられなくなってしまった。

それ故、新しい勘九郎にも父親と同じ青春の輝きを期待してしまうのだが、彼自身の初役だった12年前も今回も同様に、父親と比べて平凡だったと言わなければならない。もちろん踊りが達者な勘九郎だけに安定感は若手の中でも抜群で安心して観ていられる。ハラハラさせられながら観なければならないような危うさがない。しかし、踊りの魅力は技術と正比例していないのが難しいところである。

優等生的でお手本通りに踊られれば踊られるほど、たとえ枠からはみ出していても面白く感動させる踊りは別にあるなあと思わざるを得ない。先代の勘三郎は自由奔放で我がまま気ままの「役者馬鹿」の典型だった。当代の勘三郎は父親ほどではないが、そうした気分を残していて、あちらこちらで波風を立てていた。それが役者の魅力のひとつなのであろう。勘九郎にそうした気分はなく、生真面目な好青年という印象である。海老蔵になれ!隠し子をつくれ!などとは言わないが、そうした味付けがあれば完璧な踊りになるように思う。後見に七之助がつくという異例で筋書にも出演者と同じ大きさの活字で書かれていた。

『ぢいさんばあさん』は三津五郎と福助が初役で務めた。誰でもが演じられそうな演目だが、実は立役も女方も選ばれた者しか演じていない。その中に彼らも入った訳だが、先達の役者と遜色ないばかりか、むしろ最上の上演だったかもしれない。

作者である宇野信夫自身の演出は踏襲されていて誰が演じても変わらない印象もあるのだが、今回も最も感心させられたのは三津五郎の伊織である。特に年老いてからの何気ない表情が絶妙である。特に微笑した顔の中に浮ぶ歳月の重さが深い。これを観ただけでも幸福な気分にさせられて素晴らしい。

それに対する福助のるんも、喜劇に傾きすぎる悪い癖を封印して神妙に演じてくれたおかげで劇世界が崩壊しなくてすんだのは幸い。むしろ問題なのは、笑いを福助に求めるような観客の方で、何故、ここで笑おうとするのか理解に苦しむ瞬間が何度もあった。橋之助の下嶋が嫌味な人間を好演。巳之助と新悟の若夫婦がさわやかな印象を残して後味がよかった。

さて勘九郎が80歳になる頃には、少子高齢化により日本の人口は3分の2になってしまうのだとか。観客も3分の2になるわけではないのだろうが、今後の歌舞伎を取り巻く環境は厳しくなるに違いない。彼らに歌舞伎の未来を託したい頑張れ。

夜の部

一、御存 鈴ヶ森

幡随院長兵衛      吉右衛門
東海の勘蔵       彌十郎
北海の熊六       錦之助
飛脚早助       家 橘
白井権八       勘三郎

4:30-5:08

幕間 20分

二、六代目中村勘九郎襲名披露 口上

勘太郎改め勘九郎
幹部俳優出演


5:28-5:48

幕間 30分

三、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子

小姓弥生後に獅子の精  勘太郎改め勘九郎
胡蝶の精   玉太郎
同       宜 生
用人関口十太夫       亀 蔵
家老渋井五左衛門       家 橘


5:28-5:48

幕間 15分


四、ぢいさんばあさん

美濃部伊織       三津五郎
宮重久右衛門       扇 雀
宮重久弥       巳之助
妻きく       新 悟
戸谷主税       桂 三
石井民之進       男女蔵
山田恵助       亀 蔵
柳原小兵衛       秀 調
下嶋甚右衛門       橋之助
伊織妻るん       福 助

7:30-8:54
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