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コジ・ファン・トゥッテ 新国立劇場 [音楽]

東京電力の嘘が次々に暴かれ、菅政権の対応の迷走ぶりは目を覆わんばかり。今月来日するメトロポリタン歌劇場は、直前の降板が相次ぎ出鼻をくじかれた格好になった。新国立劇場の新演出モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』も降板が相次いだものの、悪条件のなか初日にこぎつけたことを喜び素直に感謝したい。だから今回は多少の音楽の綻びには目をつぶることにする。見るべきものはダミアーノ・ミキエレットの演出にあったからである。

指揮:パオロ・カリニャーニ →ミゲル・A.ゴメス=マルティネス
フィオルディリージ:アンナ・サムイル →マリア・ルイジア・ボルシ 
デスピーナ: エレナ・ツァラゴワ →タリア・オール
フェルランド:ディミトリー・コルチャック→グレゴリー・ウォーレン

今回の上演は、6月になってから『蝶々夫人』との交互上演で、ちょっとしたレパートリーシステムみたいなものである。毎日の舞台転換が必要になるだけに、『コジ・ファン・トゥッテ』は回り舞台の舞台面を使用した単一の舞台装置で、新国立劇場自慢の四面舞台を使用するので、毎日の舞台転換が容易に可能になったようである。もっとも、それでなくてもオペラ上演が6月に集中してしまい、観客動員の面では困難な部分があったようで、日曜の新演出初日というのに満席にはならなかった。高水準の興味深い舞台だけに残念だった。

オペラの舞台となるのは、何と現代のキャンプ場である。舞台はスーパーリアリズムの装置で、芝生と土に見える地面がステージ面から一段高くなっていて、日本風に言えば築山といった感じの小高い丘が真ん中にあり、大木が並んでいて、その回り舞台を回して場面を構成していく。歌舞伎でいう三方飾りなのだが、回り舞台全体を使うので演技スペースが狭いという感じはしない。まず最初の場面は、アルフォンソ・キャンプ場?の受付とカフェのある建物の場面。時計回りに舞台が回転すると建物の背面にあるテーブルのある窪地?というか背景は小高い丘になっているので、巧みに背後の舞台装置を隠している工夫が上手い。

さらに回転すると、フィオルディリージたちが宿泊しているキャンピングカーという場面。それが順番通りに回転していけば、ちゃんと場面が繋がっていくという計算し尽くされたもの。さらに第二の場面は、休憩時間以降は、地面の蓋が外され、なんと浅いながらも池が出現。登場人物たちが水しぶきを上げならが歌と演技を披露という面白さ。

この演出で最も優れていたのは、夏の午後遅くから、夕闇の迫る黄昏どき、さらに深夜へと続く、時間経過を見事に照明で表現していたことである。日本のジトッというやりきれない暑さではなく、爽やかな夜になれば肌寒さも感じるような西欧独特の空気感を伝えていたことである。

オペラを観ながら、かつてフィンランドのサボリンナ音楽祭が行われるオラビリンナ城近くの湖畔にあるサマーハウスを訪れたことを思い出していた。地元の人たちとバーベキューを楽しみ、サウナに入り、素っ裸でサウナ小屋から外に飛び出し、湖にジャンプして飛び込み泳ぎ回ったものだった。疲れると陸に上がり、サウナ小屋のポーチに座って夕暮れ中でビールを飲んだときの何ともいえない気持ち良さがよみがえってきた。あの時と同じ空気や時間の移ろいが見事に照明が表現していた。本火を使った焚き火さえも、あの時の心地よさを再現してくれるような気がしていた。

大胆な読み替え演出というわけではないが、アルフォンソは訳知りの老人といった風情ではなく、人間嫌いの世捨て人風な冴えない中年男である。フェランドとグリエルモは、世間知らずのおぼっちゃま風の大学生でグラビア雑誌にも登場するイケメンという設定。実際の歌手には辛い設定で肉体美を披露する場面もあるので、典型的なオペラ歌手体型では少々辛い。とにかく優等生タイプすぎる?衣裳だったので何故こんなに地味?という感じだったのだが、変身後はヘアスタイルから衣裳まで完全にバイク野郎というかなんというか…。あまりの変わり様に、これなら変身が気がつかない訳だし、男性として別の魅力も横溢していたように思う。鼻ピアスやタトゥーに髑髏マーク入りのレザースーツというワイルドな姿に、尖がったヘアスタイルなので、全く別の価値観を持った人間なのだということが一目でわかるというのに唸った。荒唐無稽な物語がリアリティをもったのである。

フィオルディリージやドラベッラもキャンプ場へやって来た若い女性という設定なので、服装もカジュアルだし露出も多い。ロココ調の衣裳に身を包んだ歌手が典雅?な姿のまま、赤裸々な思いを歌に託すのを聴くという複雑な楽しみ方。歌舞伎のお姫様が、切ない恋の想いに身悶えるのを観て、さらに想像を膨らませるといった楽しみは一切ない。そうした段階がないので、、歌の意味がストレートに伝わってくるものの、フィオルディリージが「岩のアリア」をキャンピングカーの屋根に上って歌うなど、視覚的にさらに歌の持つ背景を強化して演出家は上手いのだが、全てにおいてストレートな球を投げすぎのような気もした。

変化球はドン・アルフォンソとカフェのウエイトレスのデスピーナで、この二人も恋仲になっているという設定。現代化の課題としては、SEXあるいはSEXの香りをいかにふりまくかということで、実際に若い男女が同じテントに入ったりといった工夫はあるが、露骨な表現は避けたようである。それだけに説明がしずらく、視覚化も困難な恋愛感情を納得いく形で提示するのは難しかったと思う。

それ故に、本来なら無理矢理としか思えない和解などという結末はなく、恋人たちは別々の方向へ立ち去り、デスピーナさえもアルフォンソの元を去る。一人残されるのが訳知りのはずだったドン・アルフォンソいったほろ苦い結末を迎える。それはそうだよなあという納得な結末で、キャンプ場のコジにはふさわしい終わり方ではあったように思う。現代人には「永遠の愛」なんてないし、信じられないというのは自らのことをふりかえっても思い当たることである。せめて舞台上だけでもという気はしないでもないが、モーツァルトの音楽はそうした終り方をも受け入れる懐の広さがあったことを再認識した格好である。

舞台上に本物にも見える4WDが登場するかと思えば、軍艦のプラモデルをコーラスが順繰りに持って大海原を表現する舞台でしか可能にならない表現方法とか、あらゆるアイディアが詰め込まれた舞台で、小ネタが満載。恋人たちの動きにもアレアレといった部分もあって、なかなか目の離せない舞台だった。これは是非とも劇場で実際に体験していただくほかはないようである。


Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti
2011年5月29日(日)  14:00開演   17時35分終演予定

【指揮】ミゲル・A.ゴメス=マルティネス

【演出】ダミアーノ・ミキエレット

【美術・衣裳】パオロ・ファンティン

【照明】アレッサンドロ・カーレッティ

キャスト
【フィオルディリージ】 マリア・ルイージャ・ボルシ

【ドラベッラ】 ダニエラ・ピーニ

【フェルランド】 グレゴリー・ウォーレン

【グリエルモ】 アドリアン・エレート

【ドン・アルフォンソ】 ローマン・トレーケル

【デスピーナ】 タリア・オール


【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【合唱】新国立劇場合唱団
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