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第8回 亀治郎の会 8月19日の【劇場の天使】 [歌舞伎]

 
 今日は平日ながら休みをとって国立劇場へ『第8回 亀治郎の会』を観に行く。最初に今日の観客について書いておきたい。亀治郎の熱烈なファンが集まったのは間違いがない。執拗に手を叩き続け拍手を先導しようという客、女性ながらに「澤瀉屋!」と叫ぶ大向こう。そして宙乗りで手拍子をしてしまう無邪気な観客たち。「何故、ここで手拍子?」と思わないでもなかったが、亀治郎の観客ってこんなレベルかと嘆息するだけだったのだが…。

 最悪だったのは『上州土産百両首』の幕切れでのことである。熱い友情に結ばれた亀治郎と福士誠治が花道を万感の想いで引っ込む感動の場面である。それなのに、幕が降り始めると、さっさと席を立って出口に向かって歩いていってしまう観客が続出。二人が揚げ幕に向かってまだ歩んでいるというのに、お構いなし出て行ってしまうとは…。しかも、さっきは宙乗りで手拍子をしてノリノリだったお客だというのに。国立劇場の主催公演ではないので劇場バスがあるわけでもなく、終演時間は16時なので急ぐ必要もないと思うのだが。あと10秒我慢してくれれば感動したまま帰れたのに、今日は馬鹿ばっかりだったのか。

 さて感想は後日にして寸評を少々。一番の海老蔵との競演となった『義経千本桜』である。双方とも猿之助が指導した澤瀉屋型。新橋演舞場の短縮版の舞台を観たばかりで、絶対に亀治郎の圧勝という予想は見事にハズレた。

 「道行初音旅」は、延寿大夫が出演する清元のみの演奏という猿之助が平成8年12月に試みて以来の上演。演舞場とは違って従来通りの振付と演出で見せ場もたっぷり。後に「四の切」が控えているので藤太は出ない演出なので花道の引っ込みもなく狐六方の派手さはない。「四の切」は、当然のことながら海老蔵と演じる型は同じなのだが、相当に違う味わいだった。 

 どちらについても言えるのは、二人の澤瀉屋型に取り組む姿勢の違いであろうか。どちらが良いとか悪いではなく二人の個性の違いなのだと思う。身体能力と容姿の良さは海老蔵の圧勝である。平舞台から高二重への跳躍という離れ業は海老蔵ならでは。誰が観ても美しいと思える二枚目度の差は大きい。

 そして説明過剰ともいえそうな細やかな演技は亀治郎。細部にこだわらずおおまかなタッチの演技は海老蔵である。澤瀉屋に連なる一員として最上級の尊敬と意気込みを感じさせるのが亀治郎、いろいろある選択肢のなかの一つで亀治郎ほどの思い入れを感じさせない海老蔵といったところだろうか。亀治郎は猿之助の精神を継承することに使命感を抱いているのがわかるし、海老蔵は継承よりも創意工夫していく方向に進みつつあるというのが違いであろうか。それぞれに長所があるし短所もある。それほどでもないと思っていた海老蔵が、実はそんなに悪くなかったというのがわかっただけでもでかけて良かった。それにしても亀治郎は猿之助の台詞回しを真似しすぎではなかろうか。声色屋でもあるまいし。

 継承ではなく挑戦という文字が似合ったのは『上州土産百両首』である。初演は六代目菊五郎、初代吉右衛門。勝新太郎と藤山寛美、中村錦之介と中村嘉葎雄といった顔合わせで上演されているらしい。DVDも出ている。

松竹新喜劇 藤山寛美 上州土産百両首 [DVD]

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歌舞伎以外の出演者と歌舞伎役者の力量の差が露わになって、あまり楽しめなかったのが正直な感想である。もっともっと感動できるはずだったのに安定感を欠いた舞台に集中できなかったのが残念だった。

物語のあらすじは以下の通りなのだが、同性愛ではない男と男の友情物語というのがピンとこなかったのも原因かもしれない。初演は昭和8年。作者は川村花菱という劇作家で、大正から昭和にかけて新派の作品を手がけ、「金色夜叉」の脚色をはじめ数多くの作品を残したのだとか。道理で「今月今夜のこの月」という台詞がでてきたけれど、実は洒落た趣向だったらしい。


【あらすじ】
正太郎は板前のいい腕を持ちながら、スリの子分から足を洗えないでいた。そんな正太郎に転機が訪れる。幼なじみの牙次郎との再会がそれだった。実は、牙次郎もまた空き巣狙いやかっぱらいなどをして暮らしていたのだが、十五年ぶりに再会した正太郎の懐から紙入れをすってしまった自分に嫌気がさし、また同様に正太郎も自分の懐から財布をすっていたことを知って、互いに足を洗おうと正太郎のところにすすめにやって来る。弟のように可愛がっていた牙次郎の財布をすって後味の悪い思いをしていた正太郎は、親分与一の「縁を切ろう」の言葉にも勇気づけられ、堅気になる決意をする。しかし、兄弟分の三次は正太郎の気持ちが理解できずに、「お前の足を引っ張っても仲間に戻す」と、出ていく正太郎に塩をまく。聖天様の森にやって来た正太郎と牙次郎は、死ぬ気になって地道に働こうと誓い合い、10年目の今日、ここで再び会おうと約束すると別れていくのだった。

それから10年近い歳月が流れた。悪事を積み重ねて江戸にいられなくなった与一と三次は館林を通りかかり、「たつみ」という料亭に入った。田舎には珍しい江戸前の料理が食べられ、すっかり気分の良くなった与一は、板前にやってくれと祝儀を弾む。なんでも元は流れ者の板前らしいのだが、腕はいいし、真面目でよく働くので、料亭の主人も娘の婿にと思っていると言う。その板前が祝儀の礼にやって来た。見れば、なんと正太郎ではないか!だが与一は他人のふりで「可愛がられているところが人間一生の死に場」と話す。ところが、三次は「あとで来るぜ」という言葉を投げつけるではないか。その夜更け、正太郎の帰り道にあらわれた三次は、金をゆする。
あまりのしつこさに、正太郎は縁を切ることを条件に、二百両という大金を渡す。実は、その金、何をやってもドジな牙次郎のことだから、いずれは自分が一生を面倒を見てやらなきゃならねぇ、と貯めてきた金だった。ところが、縁を切ると約束した舌の根も乾かぬうちに、三次は「銭がなくなりゃまた来る」と言うではないか。このままでは・・・。正太郎は思わず、持っていた包丁を逆手に持ち身構えるのだった。

約束の十年目も間近、御用聞きの勘次の家に牙次郎はいた。十年前に堅気になるにはと考えて、百八十度道を変え、勘次の手下になったのだ。が、生来のドジは相変わらずで、役立たずのままだった。そこへ、首に百両もの賞金のかかった下手人が、江戸に向かっているという知らせが。正太郎に会う日を前にして、何とか手柄を立てたいと思った牙次郎は、頭を下げて勘次に頼み込んだ。その一途な思いを汲んで、勘次は十手と握り縄を渡す。そして十年目の約束の刻限。聖天様の森で再会した正太郎と牙次郎は、互いの無事を喜びあう。土産を持ってきたと言う正太郎に対し、「兄貴に会えたのを百人力に、今夜手柄を立てるから喜んでくれ」と話す牙次郎。それを聞いた正太郎はかぶっていた笠をとって、「牙次、縄ぁかけてくれ」。なんと正太郎の額には、賞金首の人相書きと同じキズがあったのだ!まさか兄貴が・・・! 牙次郎は「堪忍してくれ」と逃げ出してしまった。
やがて呼笛の音がして、大勢の捕手に囲まれる正太郎。さては牙次郎が売ったかと恨み、抵抗するが、ついには縛られてしまった。自分の首にかかった賞金を牙次郎への土産に、ここまで逃げて来たと言う正太郎。牙次郎としては、欲しいと思った百両が兄貴の首にかかっていたとは思いもよらず、逃がしたいがそうもいかず、他人の縄にかかるよりはと仲間を呼んだのだった。十手と縄を捨て、兄貴の罪が決まったら後から一緒に行く気だと言う牙次郎の言葉に、正太郎は勘次に向かって「牙次郎の手柄にさせてくれ」と頼む。が、牙次郎は牙次郎で自主させてやってくれ、と頼む。勘次は黙って縄を解いた。牙次郎と正太郎はふたり並んで歩き出す。「あの世までもの道連れ」と言いながら。

道行初音旅    11:00~11:45

幕間         25分

川連法眼館の場 12:10~13:25

幕間         25分

上州土産百両首 13:50~16:00

イヤホンガイド、チラシの類は一切なし。2500円のThe 8th Kamejiro Galaと題された豪華?筋書はいつもの通り。見方によっては生意気なエッセイが読ませる。なるほどね。
「亀治郎の会」は2010年の第10回で終わりなのだとか。来年は8月19日(金)~21日(日)国立劇場大劇場で開催が決定したそうです。
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コメント 2

NO NAME

馬鹿じゃねえ
by NO NAME (2010-08-20 23:35) 

no name

劇評を書くファンを亀治郎さんは好きではないようですよ(笑)客質の悪さを馬鹿という言葉で表現しておりますが、男同士の話に同性愛を絡めないとピンと来ないというあなたの感覚もどうかと思います。
by no name (2010-08-21 00:04) 

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