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寿曽我対面 黒塚 春興鏡獅子 新橋演舞場 初春花形歌舞伎・昼の部  [歌舞伎]2010-01-08 [歌舞伎アーカイブス]

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 5月から歌舞伎の専門劇場になるであろう新橋演舞場に、今年も海老蔵、獅童、段治郎を除いた右近をはじめとする猿之助一門が出演する公演である。12月は休館して、舞台が張り替えられたり、観客用のドリンク・カウンターが新設されたりと、歌舞伎を迎え準備は整ったようだ。

 昨年は歌舞伎の名作を若手花形で上演という内容だったが、今年は猿之助の指導による夜の部『伊達の十役』をメインに、昼の部は猿之助が上演を重ねてきた名作『黒塚』を右近が継承するというのも話題である。『伊達の十役』が上演時間5時間半の完全版の上演となったため、昼の部は三演目ながら上演時間4時間と短めの内容となった。

 『寿曽我対面』は、さまざまな役柄が網羅されていることもあり、これぞ歌舞伎というような芝居である。本興行以外にも例えば「稚魚の会」のような勉強会のような場で取り上げられてきた。歌舞伎役者では、誰でも演じていて当たり前のような演目でもある。ところが、歌舞伎の王道を歩んできたのではない獅童、こうした狂言とは縁のなかった猿之助一門の役者たち、ほぼ全員が初役という珍しいことになった。

当然のことながら、型どおりの演技なので間違いはないが、感動に値するべき部分を見つけるのは困難だった。老優の放つ不思議な力もなければ、伸び盛りの若手の奔放さもない。唯一、梶原平次を演じた新十郎の元気のよい台詞が目立っていた程度だった。

 お正月らしい「曽我狂言」であること、初役の役者に経験を積ませること以外に、上演の意義はなかなか見出すことができなかったのが残念だった。ひたすら舞台にあふれる色彩美を楽しむのに徹するのみである。工藤の右近、五郎の獅童、十郎の笑也、大磯の虎の笑三郎、化粧坂少将の春猿、朝比奈の猿弥と顔ぶれがそろっていただけに意外の感があった。場内のチラシに三越劇場の秋の新派の公演「滝の白糸」があった。主演は春猿であるという。彼ならば新感覚をもった新派女形を現出させるに違いないが、肝心な歌舞伎では成果を上げられないのがもどかしい。猿之助の公演で周囲をかためることが多かっただけに、あまりに遅すぎたという感じである。

 勉強芝居のレベルだった『寿曽我対面』に続いて、猿翁十種の内『黒塚』の待望の上演である。猿翁から猿之助に引き継がれ、段四郎の代役以外には、全部猿之助が演じてきたものである。実に東京では10年ぶりの上演となった。歌舞伎舞踊としては異色な作品であるばかりでなく、猿之助という役者の魅力が最大限に発揮されたものだけに、後継者に指名されたも同然な右近にとって、大きな挑戦であったことは間違いがない。

 東京では歌舞伎座以外では上演しなかったこともあって、新橋演舞場では、広大な舞台に広がる薄原といったスケール感が乏しいのに違和感があった。岩手を演じた右近は、粘ったような台詞回しなど猿之助そっくりなのだが、所詮は物真似のレベルでしかなったのが辛い。

 能仕立ての上巻では役の掘り下げが足りず、新舞踊形式の中巻では観客を喜ばせる高揚感、一転しての爆発的な身体能力などが欠けていた。歌舞伎形式の下巻では、仏倒し、花道から舞台へ中腰のまま引き戻される部分など、右近の体力では十分な表現ができたともいえず、なんとも中途半端な印象だけが残った。舞台端につけられた照明器具で浮かび上がった鬼女が、大きな口をあけて両手を振りまわすという、恐ろしさよりも役者の愛嬌をみせるような遊び心のあふれる趣向も不発に終わった。右近の初演がもっと早い時期に実現していればと残念でならない。失礼な言い方かもしれないが、この役は生意気で意欲的な役者の方が似合うわけで、亀治郎による一刻も早い初演を望みたい。

 『春興鏡獅子』は九代目團十郎によって初演された新歌舞伎十八番であるだけに、海老蔵が積極的に踊っている演目である。本興行では三回目だが、すでに海外でも上演しているだけあって、一応は危なげなく踊るし、大きな破綻はない。舞台を歩いて移動することも容易ではなかった、初めて歌舞伎座で踊った10年以上前の初役ときの箸にも棒にも掛からない悲惨な鏡獅子から比べれば格段の進歩である。その一方、同世代で踊っている菊之助、勘太郎、亀治郎、七之助らに比べ、ここが優れているという点がないのが辛いところである。

 あえて美点をあげるとすれば、立役である海老蔵の意外なほどに美しく可憐な弥生であったり、初演の意地だけで踊っているようなトゲトゲしい荒削りな部分がなくなり、役者としての自信と余裕をもっているところ。本当は肉体的に辛いはずの部分でも、涼しい顔で踊っているところで体力的には問題がないことろなどであろうか。

 しかしながら、観るべきものがないのは、『黒塚』の右近と同様で、どちらも歌舞伎舞踊の人気演目であるというのに、それほど有り難味を感じなのは、第一人者との差があまりに大きく、そうしたハンディを抱えているにせよ、肉体から放たれる力の弱さによるものだと思う。このままでは、天使にとって初めて観た『鏡獅子』である、かつて立役の初代・辰之助でも踊れるんだと驚いた昭和53年9月の新橋演舞場での珍品というか、新春かくし芸大会?といった扱いになるのではないかと心配である。

 正月らしい歌舞伎狂言、人気舞踊が二演目と、短い時間ながら充実した内容と舞台成果を狙ったのだろうが、すべてにおいて薄味で、華やかさもなく、物足りなさばかりが目立ったのが残念だった。

2010-01-08 23:33
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