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春の寿 車引 京鹿子娘道成寺 与話情浮名横櫛  壽初春大歌舞伎・夜の部 1月歌舞伎座 [歌舞伎]2010-01-07 [歌舞伎アーカイブス]

語る、歩む、にらむ、芸はいろいろ


 歌舞伎座の初日、昼の部の『勧進帳』が終わってロビーに出ると、夜の部の『春の寿』へ久しぶりの出演が予定されていた雀右衛門が体調不良のため休演という知らせがでていた。本当に25日間の興行に出演できるのか危惧されていただけに、真っ先にと初日に駆けつけたのだが残念な結果で落胆は大きかった。

 インタビューに「本興行はしばらくお休みしておりましたので、久しぶりの舞台に少々緊張しております(笑)。歌舞伎座は私にとってホームグラウンドと言える劇場ですので、さよなら公演の最後のお正月興行に出演できてとても嬉しいです」と答えていただけに、雀右衛門の無念の想いはいかばかりかと、代役の魁春の踊りを眺めながらも冷静ではいられなかった。

 長唄舞踊の新作で、雀右衛門、梅玉、福助の出演を前提につくられたらしく、優雅な王朝物で前半は在原在平、小野小町の二人による踊り。背景が飛んで後半の女の帝は座ったままで、扇を動かすのみの振付でめでたく舞い納めるという趣向で極力足などに負担をかけないように配慮されたようだった。それだけに雀右衛門が出演でなければ意味のないような演目である。それでも、王朝物の登場人物が最も似合う梅玉、台詞がなければ安心の福助、貫禄不足とはいうものの、立女形としての重責を務めた魁春と、かつて歌舞伎座に君臨した成駒屋に所縁の役者が揃ったので、お正月の気分を味わうには十分だった。

 『車引』は、松王丸に幸四郎、梅王丸に吉右衛門という兄弟の競演。80歳を越えて初役の桜丸を演じた芝翫。五代目幸四郎の錦絵、「演芸画報」に載っていた初代・吉右衛門の写真を参考に、隈をとらず、衣裳も従来の物とは違ったものを用意して、その成果を世に問おうとした富十郎の時平と、現在考えられる配役としては、最高の大顔合わせが実現した。昭和の終わりに、歌右衛門、梅幸、幸四郎、勘三郎、松緑、仁左衛門ら大幹部連中が、さまざまな芝居で見せた大顔合わせに心を躍らせた頃のことが思い出された。まさに歌舞伎を観る醍醐味とはこれだったのだ。

 大きくて特徴のある顔を持った六頭身の体躯、実年齢を感じさせない前髪姿の似合う若さ、芝翫の桜丸こそは、1年以上に渡る「歌舞伎座さよなら公演」の白眉である。そして、やがて失われてしまう歌舞伎美の極致でもある。理屈だけをいったら、けっして美しくもなければ、若くもない。むしろグロテスクである。それを美しいと言い、若いと語ることができるのが歌舞伎の美である。これは忘れないでおこうと思う。

 役者になって70年以上。大ベテランになっても新しい表現に挑戦しようという富十郎の姿勢にも敬服した。型があるのが歌舞伎だとばかりに、やたらと型、型と言いたがる風潮に逆らい、自ら演じることによって、別の演じ方を残そう、歌舞伎の可能性をみせようとしたのであろう。歌舞伎が実はいかに自由なものだったか、改めて知らした意義は大きい。

 従来の奇怪さを表現しようと藍で隈をとった典型的な公家悪の姿ではなく、隈をとらずに金色の衣裳、白い長袴をさばいてきまるなど、単なるおつきあいの役ではない自己主張があって面白くみた。衣裳や化粧の力を借りずに、藤原時平という悪の権化を表現するのは富十郎の存在あってこそなので、今後も定着するようなものではないが、長く記憶されていい時平であったと思う。

 最近になって共演がふえた幸四郎と吉右衛門の兄弟による松王丸と梅王丸である。実に20年ぶりとのことだという。本物の兄弟であるばかりでなく、立役として拮抗した役者同士であればこそ醸し出される興奮があった。残念なのは、荒事を演じるには吉右衛門の後ろ姿に老いが目立ち始めたことである。正面からは立派な梅王丸ではあるが、背中には隠せない老いがある。吉右衛門も歳をとるのかと、当たり前のことながら驚いた。

 むしろ年上の幸四郎の方が元気だったように思う。この大顔合わせの中にあって、一歩もひけをとらない存在感。周囲の充実にも助けられて、役者の大きさが増したように思えた。空前とはいわないが、絶後の舞台になることは間違いがない。新しい歌舞伎座で、これを超える芝居を観ることができることを、ただただ祈るばかりである。

 『京鹿子娘道成寺』は勘三郎は道行から押戻までを演じる。押戻しは團十郎で、歌舞伎座では5年前の勘三郎の襲名披露以来の上演である。先頃は、三津五郎・大和屋の娘道成寺が傑作だっただけに、歌舞伎座最後の娘道成寺の重責に心中期するものがあったに違いない。かつてのような身体能力の限界に挑むような激しさは影をひそめ、精神性の深さの充足に重きを置いたようである。特に羯鼓を打ちながら踊る部分や振鼓を鳴らすくだりは、以前のような全力投球スタイルが姿を消し、変な目立ち方をしなくなっただけ進歩したということだろうか。本当は勘三郎らしくない大人の芸になってしまっているともいえるが・・・。
 
 それは義父の芝翫に学ぶことで、祖父の六代目菊五郎に肉薄しようとしているかのような勘三郎である。道行では扇をくわえ、両手で帯を持ち、鐘をきっと見込むくだりなど劇的に展開するかと思えば、懐紙を取り出して化粧をする振りの後、1枚の懐紙を丸めて客席へほうるところなど、勘三郎らしい愛嬌のある部分で観客を嬉しがらせて実に自在である。

 先月の奮闘公演で、声をつぶしてしまったのか耳障りな勘三郎な発声になった台詞での所化との問答があって、三宝にのせた金烏帽子を持って上手から登場する所化は、今年90歳になる小山三であった。先月の『大江戸りびんぐでっど』に続いて美味しい登場の仕方である。現役最長老?の弟子への愛情を持つ勘三郎の優しい心に打たれるものがあった。

 金烏帽子をつけ、中啓を持ち花道まで行く勘三郎の白い足袋の爪先が、何か別の生物のように美しい。真女形ではなく、所化が言うように絶世の美女ではないのだが、振り出し笠、手拭いを使っての「恋の手習」のクドキなど、肉体を通じて観客に語り続ける踊りが進むにつれ、どんどん美しくなっていった。これは腕のある証拠で、苦しいに違いない形も難なくきめていき、興奮を呼び起こしていった。

 鐘入りでは、鐘が下りるのと同時に鐘に飛び込む離れ技?を披露した。所化の祈りの振りや鱗四天の「とう尽くし」など、普段の娘道成寺では観られない場面で興味深い。やがて蛇体となり團十郎の押戻しである大館左馬五郎と対峙。立ち回りなど、意外に力感があふれてこないで、さしたることもなく幕になってしまって物足りなく思った。團十郎が「にらむ芸」を派手目にみせて、勘三郎はは押さえた芸よりも、発散する芸の人なのだと感じた。

 初春歌舞伎という普段よりも華やかな興行で、福助と染五郎の『与話情浮名横櫛』から「木更津海岸見染の場」と「源氏店妾宅の場」である。大顔合わせの興行であっても、最後の演目は新しい歌舞伎座の中心になるだけに、中堅と花形に任されたようである。

 このところ舞踊以外は、何を演じても品がなく、おかしな方向へ爆走ぎみの福助のお富だけに、いかに崩れるのか大いに心配させられた。相手役の染五郎も初役ではないものの共演は珍しく、意外な組み合わせといってもよい配役で舞台成果はなかなか予想できないものだった。 

 美男美女で演じられることの多いお富と与三郎だが、福助のお富には、そうした意味での美しさには乏しい。他の役者が、美=清という図式で演じる中、福助のお富には、身請けされた元・深川芸者という前身がよく理解できる雰囲気があって独特である。染五郎との浜辺での出会いも、清純な若者同士といった風ではない。濃厚な色気が漂う年増女と、心ならずも放蕩三昧している若者の、肉体と精神が満たされない者同士の出会いといった風情が面白い。 与三郎の羽織落となどお決まりの型なのであるが、染五郎が演じると美女に見とれて我を忘れることのおかしみよりも、未来への危うさが見え隠れするのも印象的だった。

 妾宅になると、いかにも囲い者という立場に安住していている自堕落さといったものがお富に感じられるのも福助ならではである。自分を取り巻く状況は大きく変化しても、お富自身は、あまり変わっていないかのようで、染五郎の与三郎が恨み事を並べたくなるのも納得である。歌六の多左衛門が呼ばれて出ていき、誤解のとけたお富と与三郎が抱き合って幕になるという判りやすいものだが、この二人は前途多難な未来だと思わせて、手放しで喜べない感じなのも、この二人ならではである。

 こうもり安に彌十郎、鳶頭金五郎に錦之助など、これまた中堅に脇役が任されたようだが、福助の珍しく節度ある演技と独特の雰囲気の役作りに助けられたか、劇世界が崩壊するどころか、なかなか魅せる芝居になっていて、成功していたのは何よりだった。

2010-01-07 22:41
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