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大江戸りびんぐでっど ネタバレ大会! 其の肆 [歌舞伎]2009-12-23 [歌舞伎アーカイブス]

 さて、ここまでのおさらい。新島の「くさやうり」のお葉は、江戸の芝の浜でくさやを売っている。お葉の亭主・新吉が何者にかに殺されてしまったからである。同じ職人仲間だった半助(何をやっても中途半端で半人前の職人だったらしい)が新島からお葉を追ってやってきて、一緒になろうと誘うが、お葉は拒絶する。

 大工の辰が四年に一度遊ぼうと品川の遊郭にあがると、そこへ「ぞんび」が出現。「ぞんび」は「らくだ衆」とも呼ばれ、「ぞんび」は生きている人間を喰らう。喰われた人間は「ぞんび」として蘇る。おかげで、江戸には「ぞんび」がどんどん増えていく。

 「ぞんび」は「くさや汁」を死人にかけたことで出現したことを半助が語る。どうやら、殺された新吉がくさや汁を浴びたことで最初に蘇ったらしい。「ぞんび」は殺しても死なないが、額が弱点で金槌でなぐると大人しくなったり、人間が「くさや汁」を身体に塗ると、その臭いから同じ仲間だと思って襲わない。

 「ぞんび」達は火焙りになりかけるが、半助は「ぞんび」を「はけん」と名づけ、南町奉行公認の人材派遣業を始めることになる。

 とここまでが、これまでの筋書。この程度なら別に問題ないと思うかもしれないが、歌舞伎の舞台としては生々しすぎる表現と、下品さが舞台を支配して不愉快極まりない。特に「ぞんび」の造型と、言語や動きなど障害者を侮辱するような演技の数々に配慮がなさすぎる。それなのに「大江戸りびんぐでっど音頭」を踊るときには、全員元気いっぱいで普通に踊る神経って…。理解できない。あれに何か意味ある?理解したくもないけれど。

 何が不愉快かって、舞台なので本物のくさやの臭いはしないけれど、「ぞんび」はくさや汁から生まれたので強烈な臭いがしているはずである。「ぞんび」=「はけん」=「臭い」っていう構図に何度も嫌悪感が走った。「臭い、臭い」と言われるたびに、さまざまな感情が浮かんできた。これに鈍感でいられる人は、ある意味、幸福なのかもしれない。

 三場 深川はけん長屋「はけん問屋」 

主な配役

半助…染五郎
お葉…七之助
お染…扇雀
大工の辰…勘太郎
与兵衛…亀蔵
佐平次…井之上隆志
石坂段右衛門…橋之助
女郎 喜瀬川…福助
四十郎…三津五郎

 半助とお葉は所帯を持って「ぞんび」の人材派遣を営み大繁盛である。危険な作業もいとわないし、口数も少なくもくもくと働くので重宝されている。永代橋の架け替えにも「はけん」が使われている模様である。そこへ女郎・喜瀬川がくる。実は心中して海に飛びこんだのだが、昔は海女をしていた喜瀬川は溺れなかったのである。

打ち掛けには、採取した海産物が…・サザエを渡し「サザエでございま~す」

 お染に土左衛門の代役を頼みに来たのである。

「替わってくれって、遅番、早番じゃないんだから」と言いながらも、お染は頭から水をかぶって、代役に派遣されていく。

 そこへ橋之助演じる武士・石坂段右衛門が鶴松の若様を連れてくる。敵討ちの助太刀を頼みにきたのである。ここで、若様は小便を漏らす。歌舞伎座の舞台を仕掛けとはいえ、小便で濡らしてしまうのは…。これって趣味の問題?理解不能である。実は四十郎が敵なのだが、それは明らかにならないまま、三人は去る。まるまるカットでいいような話なのだが、半助とお葉を二人きりにさせるためのエピソードだとわかる。くだらない。

 ここから、半助とお葉のラブ・シーン?島へ帰りたくないと語る半助。島では怠惰な生活で「生きる屍」同然だったと…。これが後半の伏線?らしい。お葉は、「来る日も来る日もあかぎれつくって…」なんて殊勝なことを言いつつも、「島に帰るならお土産が、私、子供が欲しいの」「帰るときは三人で」とか、甘い場面になるはずなのだが、全然雰囲気がでていない。この作者は女を描くのが苦手のようである。
(つづく)

2009-12-23 00:02
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