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大江戸りびんぐでっど ネタバレ大会! 其の参 [歌舞伎]2009-12-21 [歌舞伎アーカイブス]

 さて舞台は、ここからが観客の神経を逆撫でする様々な差別意識が見え隠れしている場面の連続。たぶん作者は、受ければいいとか、笑いがとれればいいとか、とっても安易な気持で筆をすすめたと思うのだが、無意識なだけに余計に罪は重いと思う。

二場の1 南町奉行所二場の2 新島・くさや小屋(回想)二場の3 南町奉行所二場の4 街道

主な配役

半助…染五郎
お葉…七之助
お染…扇雀
根岸肥前守鎮衛…彌十郎
辰の女房 お静…芝のぶ
町娘…小山三
佐平次…井之上隆志
与兵衛…亀蔵
大工の辰…勘太郎
お菊…萬次郎
四十郎…三津五郎
新吉…勘三郎

 舞台は回って南町奉行所の場。背後の大きな襖が動いて多場面を構成。ここではゾンビが誕生した理由が述べられる。いわく「ゾンビ」とは、あまりの臭さに鼻の存続が危ぶまれるから「存鼻」=ゾンビなのだとか…。
彌十郎は「ああ、いいよ。楽にして」が口癖のC調な南町奉行。ゾンビの反省のポーズに「そんなもの猿でもできる」に答えて「かわいいかも」とか…妙に軽い。ゾンビに喰われそうになって「めちゃめちゃ、びっくりした」とか。

 ゾンビの説明で、水桶に入った水を柄杓でゾンビの手にかけ指文字で「水」「水」とやり、ゾンビが「うぉ~」じゃなかった「み、ず」と答える場面。これはウイリアム・ギブソン作の「奇跡の人」の最も感動的なヘレン・ケラーが物には全て名前があるということを理解する有名な場面である。初日は多くの人が理解できなかったからか、二度目に観たときには「奇跡、奇跡の人だ」と染五郎がフォロー。三重苦を克服した偉人であるヘレン・ケラーとサリバン先生の有名な場面をパロディにもならないような程度の低いコントへのパクリで、しかもほとんど笑いがとれない最悪の結果。さらにゾンビ=障害者というイメージだけを植え付けた最も不愉快な場面となる。

 ゾンビがこの世に出現した原因は「くさや汁」にあるという珍妙な説を説明するために再現ドラマが挿入される。

「ばりばり女房っす」とか「現金書留です」とか「どうかオメコ、オメコぼしを」とか、全然笑えないギャグで脱力させられた。結局、半助が新吉を殺したのだが、死んだはずの新吉はくさや汁を浴びてゾンビ第一号として蘇る。すなわち「くさや汁が死んだ人間を蘇らせたという訳である。

 ゾンビは生きた人間しか食べないし、食べられた人間はゾンビになるので、どんどんゾンビが増えていくのである。新島はゾンビだらけになるが、船で逃げる途中に、飼い犬のコロに噛まれた与兵衛はゾンビになってしまう。

 ゾンビ=死にぞこないの図式が成立。生命についての定義らしき青臭い台詞あり。

奉行とゾンビは心を通わせ?E.Tのように指と指をくっつけるギャグあり。「これいいかも」
火あぶりにされかかったゾンビ達だが、結局は死人の人材派遣が決定。ゾンビ=らくだ衆=ハケンと呼ぶことに。

いくらなんでも、死にぞこない=ゾンビ=らくだ衆=派遣社員という図式の成立は不穏当である。そこに何の痛みも感じないでスルーできたとしたら、社会的弱者に対する思いやりに欠け、作者や役者同様に、精神構造に大いに問題ありである。少なくとも、非常に不愉快に感じた人がいたことは忘れない方がよい。

 駱駝の馬太郎、手斧目の半次、紙屑屋 久六という歌舞伎の「らくだ」でお馴染みの面々が何故か死人にカンカンノウを踊らせにくるが、あえなくゾンビの餌食に…。勘太郎がマイケル・ジャクソンの真似をして踊る。なかなかファンキーな感じがでていて良いのだが、完全に浮いていて滑ったギャクだった。女郎買いが、4年に一度の自分へのご褒美だとかなんとか。

 新吉の勘三郎が「情けねえ」と花道へ進む。そこへ町娘に扮した89歳の小山三が登場。「わたし恐いわ。わたし、まだ死にたくないわ」勘三郎「お前の方がこわいよ」と軽く笑わせて消える。
(つづく)

2009-12-21 00:39
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