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国立劇場・歌舞伎雑感 [エッセイ]2010-01-16 [エッセイ アーカイブス]

 今日は国立劇場で「通し狂言 旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)」を観る。菊五郎を中心に、菊之助、松緑などの若手花形と時蔵、團蔵など菊五郎劇団でお馴染みの顔ぶれで、肩の凝らない初芝居である。2階のロビーの無料休憩所にはお茶席が設けられ、立礼席でお点前が披露されていた。天使も20代の後半から30代の終わりまで、週に一度だけだが茶道の稽古をしていたので、最前列でお点前を見学。あんまりに凝視してしまってお嬢さんには気の毒だったかも。雪持の松の小饅頭に、同じく文様の茶碗でいただいた。手際よく点てられなかったのか、湯が冷めていたのか、少々ぬるめで味わいは・・・。天使にも経験があるが、あれだけ大勢を前にすると、いくら稽古を積んでいても緊張するものなのです。

 1階のロビーでは、芝居に因んで名古屋市のブース?が設けられていて、名古屋城築城400年のイベントを盛んに宣伝していた。今回のこの公演も、パートナーシップ事業という位置づけであるらしい。もっとも東京では全く話題になっていないので気の毒ではある。パンフとマスコットキャラクターの「はち丸」のメモパッドのノベルティをもらってしまった。歴女とかが話題のようだが、今年くるブームは「龍馬」と「平城京1300年」であって、けっして名古屋城ではないのだけれど、その辺りの感覚の鈍さが、いかにも大都会?の田舎である名古屋らしい。名古屋城開府400年祭はこんな感じ?とっても微妙…。

 さて芝居の感想は後日にすることにして思い出したことをいくつか。幕開きはお茶畑で茶摘み娘に扮した遊女が踊るという趣向である。舞台は宇治なのだが、富士山の麓の茶畑に囲まれた集落に生まれ育った天使には、とっても懐かしい風景だった。天使の実家の窓からは富士山はこんな感じに見えるのである。

 そんな地区の中学校の運動会では、女子は姉さんかぶりで絣の着物に、赤い襷で「ちゃっきり節」を必ず踊るのである。思春期の少女達が嬉し恥ずかしといった感じ踊るのは悪くない。歌舞伎の脇の女形さんの色気とは、まったく別の色気があった。

 女子は「ちゃっきり節」なのだが、男子は「東海道五十三次」といって、駕籠を担いでリレーしていくという団体競技が待っているのである。男子は全員が人足というこころで、六尺褌一丁で駕籠を担ぐのである。さすがに思春期の少年達に荷が重すぎたのか、天使が中学生になる頃には消滅してしまったけれど、初めて見たときにはあまりの光景に驚いたのなんのって…。菊之助が赤い下帯ひとつで「鯱つかみ」を演じていたので、そんなことを思い出したのである。

 天使の住んでいた地域は、純農村地帯で保守的な土地柄だったからか、他の地域ではとっくになくなっていた競技が残っていたようである。なにしろ、天使が小学一年生だった昭和41年の元旦には、小学校の講堂に集まって「一月一日」を歌い、紅白の落雁をもらった記憶があるのである。「君が代」も歌ったし、「天皇陛下万歳!」の記憶は、さすがにないが翌年から廃止になったところをみると、相当に批判があったに違いないのである。

 そんな土地柄なのだが、柔らかい部分もあって、村の天神様のお祭りでは境内に丸太で組んだ舞台ができて、青年団が「ヤクザ芝居」をやっていた。レコードにあわせて、マドロスやら、股旅者やらの扮装で踊るのである。ちょっとした大衆演劇風なのだが、農作業で日に焼けてお兄さんが、やたらに白粉を塗っているので、なんだかとっても異様な世界になってしまって正視できないような、いたたまれないような思いを味わったものである。 
 
 それも、お正月の行事がなくなったのと同時期に廃れてしまったが、天使の父親は、その「ヤクザ芝居」のスターだったらしく、なにかというと飲み会で踊り始めて、恥ずかしい思いを何度もしたものである。アカの他人がするのは面白がってみていればいいのだが、身内の人間にやられると、恥ずかしくてたまらなくなるのである。菊五郎の「千手観音」ならぬ「金鯱観音」を見ていて、同じような感覚があって、嬉しいような恥ずかしいような懐かしい思いをした。そんな父親の子供なので、そういうのも嫌いではないが、菊之助にも同情したくなるような複雑な思いを抱いた。

2010-01-16 19:27
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