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1月新橋演舞場・2日目雑感 [エッセイ]2010-01-03 [エッセイ アーカイブス]

 5月から歌舞伎座の代替劇場として歌舞伎専用劇場として使用されることが予想されている新橋演舞場の2日目の公演を通しで楽しむ。12月は丸々休館して、歌舞伎の専用化に備え舞台の床を張り替えたらしく、真新しい桧舞台が眩しいほどだった。そのほか2階ロビー中央にあった正方形の休憩スペースが撤去され、ドリンクカウンターが新設された。それに伴い床のカーペットも張り替えられたようだった。さらに舞台プロセニアムの左右にあった休憩時間の案内板が電光掲示板に替わり、文字情報も流れるようになった。もっぱら観劇マナーの徹底を呼びかけたり、売店の案内だったりするが、芝居の字幕表示も可能といえなくもない。もっとも4字から5字のみの表示では、目まぐるしすぎて実用的ではないと思うけれど…。そのほか、今回の改装から変わったのかは判らないが、2階席と3階席の左側にあるモニターがハイビジョンになっていて、撮影するカメラも3CCDのデジタル仕様になったため、画質が格段に上がったようである。

 歌舞伎専用の劇場が3年以上も休館することに対して、あまり危機感がないように思える。今の新橋演舞場が再開場してから四半世紀になろうとしているが、旧・新橋演舞場で上演していた定番公演は、花形歌舞伎を除いて、ことごとく数を減らしたか消滅した。本拠地の劇場をなくすことばかりが原因ではないが。新派、松竹新喜劇、前進座には昔日の面影はない。果たして歌舞伎座の替わりを新橋演舞場がつとめることができるのだろうか。
 
 まず収容人数が大幅に減少する。特に廉価な席は半減以上ではないだろうか。チケットの入手は大変困難になることが予想される。とりあえず、なんとか歌舞伎を観たいと思い立って、たとえ全席売切でも、強い意志さえあれば、幕見席で観る事は今は可能である。新しい歌舞伎ファン、熱心な歌舞伎ファンのための仕組みがある。商売だけのことを考えたら、人件費やらなにやらコストばかり高く、儲からない事業には違いない。それでも、歌舞伎を将来も繁栄させるには絶対に必要なシステムである。それが3年以上もなくなる。大変な危機である。松竹座や博多座のように本席を幕見席用に確保すれば、事足りるというような単純な話ではない。

 さらに劇場が小さくなると、観客との親近感が増して効果的という見方もあるようだが、小さな劇場空間にこだわる某役者のように、演技の質が変化してしまうのではないかと心配である。それに新橋演舞場のデジタル?式の最新照明では、舞台を均一に明るく照らすことができないようである。今月の舞台も例外ではなく、むらがありすぎて歌舞伎座の照明のレベルがいかに高いか思い知らされる。それは舞台装置にもいえて、大阪のフェスティバルホールやザルツブルグの祝祭大劇場に匹敵する幅広いの舞台に飾られた舞台装置に馴れた目からすいると「黒塚」の装置など、狭すぎて物足りない。回り舞台のスピードや迫りの昇降速度など、あまりに機械化が進んでいて、歌舞伎座のようなヒューマンタッチがないのも違和感がある。

  昨年は国立劇場の初日とNHKホールのニューイヤー・オペラコンサートへ出かけたのだが、今年はどうしても海老蔵の挑戦を観たかったからである。海老蔵に獅童、段治郎を除く、猿之助若手という顔合わせの一座である。今回は昼の部に右近が「黒塚」を、夜の部には海老蔵が「伊達の十役」を猿之助直伝で上演するのが話題である。劇評は後日にして寸評を少々。

 「対面」は曽我物なので正月にふさわしく、色々な役柄があるので役者も使いやすいのだろうが、苔のはえたような役者が出てくれないと一向に面白くならない。歌舞伎の研修生が試演会で演じているレベルと大差なしでは悲しい。

 「黒塚」も改めて、猿之助や太郎吾を持ち役にしていた段四郎の偉大さを思い知った感じである。初役の右近に多くを求めるのは無理だとしても、猿之助に後継者として指名された重みを理解して欲しい。もっと努力を、もっと力強さを、もっと深さを、足りないことばかりである。

 「鏡獅子」を海老蔵は、すっかり自分のものにしたようで、安定感があるし、自信といったものも感じられる。それが感動につながらないのが歌舞伎の不思議なところで、まるで踊れていなかった初演の感動を超えることはなかった。

 ここまでて昼の部は終わり。芝居ひとつに、舞踊が二演目という変則な狂言である。それもこれも「伊達の十役」を第一に考えてのことなのだと思う。猿之助初演と同じように大喜利の所作事まで上演すると、5時間半を超える。ちょっとしたワーグナーの楽劇の分量である。21時30分前後に終演させなければならないとなると、16時に開演は必須であるからである。30年前のように、終演が22時過ぎても大丈夫な観客は少なくなっているからだ。

 猿之助の「伊達の十役」初演は、早替わりが好評だった「加賀見山再岩藤」を超える演目をということで企画されたようだった。下町の親しみやすい劇場というイメージの明治座へ初めて足を踏み入れたのもこの演目の初演のときである。猿之助の挑戦が大いに話題だったし、観客を熱くさせる必死さがあった。それに比べれば、海老蔵の人気も立場も安定していて、他の役者から目の敵にされることもなく、恵まれすぎているといってもいいくらいである。

 十役では、ほとんど女形経験のない海老蔵に累など発声に無理があって、観客に失笑されたりしてしまい辛いところである。前半がさっぱり面白くなってくれないのは、慣れない女形のせいばかりでなく、共演者に恵まれていないからでもある。猿之助の初演時には、八汐と祐念上人に鴈治郎、民部に宗十郎という名優が盛り立てててくれたのも大きかった。それに、猿之助自身が舞台上演から遠ざかってしまっているので、少々現代の観客の生理を飲み込めていないのではないかと思えるくらい、スピード感が乏しく、前半は観ていて辛い部分が多すぎた。

 それは立役が活躍する後半が素晴らしかっただけに、余計に前半の失速が惜しまれるのである。弾正、勝元、男之助がいずれも高得点。弾正に「おじいさん、そっくり」という声が掛かったほどだし、勝元の見事さと役へのはまり具合が絶妙である。そして、歌舞伎座の團十郎との競演となった押戻しの眼力の物凄さ。お正月早々から、大変なものを体験してしまったようである。大喜利「垂帽子不器用娘」を観ないで帰ってしまった少なくない観客は大損したと思う。絶対最後まで観るべきである。

 新橋演舞場のファサードの背後には、移転してしまって無人になった日産の本社ビルが建っていた。歌舞伎座もこんな具合なのかと嘆息。帰りに歌舞伎座の前を通ると、昨日同様に歌舞伎座の瓦屋根の上に月がでていた。どうして歌舞伎座がなくなってしまうのか、今でも信じられない。

2010-01-03 23:32
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