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歌舞伎座さよなら公演 1月歌舞伎座・初日雑感 [エッセイ]2010-01-02 [エッセイ アーカイブス]

 今日は車で歌舞伎座の初日へ。実は湾岸高速を豊洲で下りれば、天使の自宅から一番近い劇場は歌舞伎座なのである。帰りは空いていたので40分足らずで自宅に到着。帰りの道では、反対車線が東京ディズニーリゾートの辺りから大渋滞。 今朝は市川から大渋滞で歌舞伎座には大遅刻して「春調娘七種」は観ることができなかった。これは日を変えて観るつもり。

先月観て感激した歌舞伎座の月の撮影に成功した。明日の夜の部にお出かけの方は、終演後に歌舞伎座の建物を晴海通りを渡ったところで観ることをおすすめしたい。歌舞伎座の冬の月とも、もうお別れなのである。NHKの劇場中継で外観を撮影するためか、場外にライトがいくつも取り付けられて、建物がいつもより美しく浮かび上がっていた。



 さて大ショックは、雀右衛門が初日から体調不良のために休演してしまったこと。場内には昼の部の「勧進帳」の後の幕間に掲示がでたので、ギリギリまで出演が検討されていたのだろうか?なんとか千秋楽だけでも出演できないものかと、ひたすら体調の回復を祈るばかりである。昼の部の低調さに比べて、夜の部は圧倒的に面白い。これで雀右衛門が出てくれていたら文句なしなのだが、非常に残念である。

 筋書によれば、3月と4月の歌舞伎座は3部制なのだとか。料金は、先日までの2部制と同じなのも???で納得しがたいものだが、一人でも多くの観客に最後の歌舞伎座を見せたいなら、あまり商売に走らないことだと思うが、どうだろうか?疑いたくはないが、雀右衛門が当初から出演できる見込みだったかどうかも怪しい。魁春の代役の女帝は、座ったままの振付なので雀右衛門のための演目であることは間違いないし、唄も出演者が詠み込まれているのだが…。客寄せのためだけだったら許し難いことである。

新玉の 春成駒と祝うたる 尽きぬ高砂金銀の 向かい雀の飛び交いてご贔屓重ねる京屋結び 目出度かりける年始め

 さらに今月から歌舞伎座の2階ロビーに七代目松本幸四郎の胸像が飾られることになった。同じ朝倉文夫の作で五代目菊五郎、九代目團十郎、初代左團次らの名優に混じっての展示である。初代吉右衛門、六代目菊五郎すら展示されていないところへ、いくら名優だといっても幸四郎の胸像って…。松本幸四郎家から松竹株式会社へ贈られたという名目なのだが、何故このタイミング?新しい歌舞伎座にも当然飾られますよね?恥を知る人なら当然しないし、辞退する行為だと思うのだが、いかにも幸四郎らしい抜け目のなさである。

 幸四郎は「石切梶原」と「車引」の松王丸への出演。幸四郎の梶原は花道からの出ではなく、八幡宮への参詣をすせて社頭に到着したという心で浅黄幕が落ちるという演出。花道から出ると、参拝もしないまま手水鉢だけを切ってそのまま帰ってしまうトンデモない奴になってしまうからなのだとか…。いかにも幸四郎が考えそうな論理的な演出のようにみえて、歌舞伎独特の論理からは大きく逸脱しているヘンチキ論である。理屈の前に見た目の派手さだと思う。周囲の配役の台詞術が充実していたので楽しめた。

 團十郎が歌舞伎座の最後の「勧進帳」を演じることになった?なにしろ、この1年間で3回目の歌舞伎座上演である。もしかしたら人気演目だけに3月、4月にも上演されるかもしれない。さすがに年齢を重ねただけあって、体力勝負の弁慶では、すべてが手放しで誉められるところばかりではなく、ところどころ素晴らしいのだが、全体では平凡な出来に終わってしまった。とにかくマイ・ペースな弁慶だった。ひょっとして血液型が変わると芸風も変化する?そんな訳はないか…。梅玉の富樫、勘三郎の義経という異色?の顔合わせなのだが、あまり魅力を感じさせないのも辛い。義経が神妙に演じているが、少々声に安定感を欠いていた。梅玉と役を取り替えても面白かったかも。

 「松浦の太鼓」は、客観的に見ると我が儘なトンデモない殿様のお話なので、役者の愛嬌で見せないと面白くない。やはり先代・勘三郎が御機嫌で演じていたもの懐かしい。「明日待たるる その宝船」ということなので年末の話だが正月に相応しくないこともないし、旧暦ならばピッタリの演目ではある。役者が機嫌良く演じてくれれば客席も沸くのだが、吉右衛門はあまり得意としていないのか、少々照れがあるようである。梅玉の大高源吾と歌六の其角、芝雀のお縫は安定していた。

 今月の最大の見物は、なんといっても「車引」である。これを見逃しては(歌舞伎ファンで見逃すような人は最初からいないとは思うが)一生後悔するし、歌舞伎座さよなら公演の白眉である。なんといっても80歳を越えての初役・芝翫の桜丸につきる。見事な六等身で役者向きの大きな特異な顔。昭和歌舞伎の残照といっては失礼になるかもしれないが、今後は絶対に観られない桜丸である。

 吉右衛門の梅王丸と幸四郎の松王丸も60歳を過ぎて、さすがに老いは隠せないが、歌舞伎の荒事のお手本のような舞台を見せてくれていて、もっと早く、この兄弟の共演が実現していたと思わすにいられなかった。そして、80歳になっても探求心を失わない富十郎の時平。従来通りの演じ方であれば無難だし、批判も少ないはずなのだが、敢えて新しい表現に挑戦した姿勢こそ真の芸術家だと思う。その志の高さに脱帽である。

 「京鹿子娘道成寺」は勘三郎らしい道成寺で、超絶技巧をいとも簡単に繰り出すのに、何度も驚嘆させられた。決して所化の言うような絶世の美女ではないが、踊り込むうちにどんどん美しくなっていって驚く。小山三が烏帽子を持って所化で登場し、美味しいところを今月もさらっていった。恐るべき90歳?押戻は團十郎なのだが、「大江戸りぶんぐでっど」の悪夢を思い出してしまって、この部分が上演される度に思い出すかもしれない。困った。

 天使をホラー演技で震撼させ続ける福助のお富と染五郎の与三郎という顔合わせ。ともに初役ではないのだが、結果が予想できないだけに、ちょとしたギャンブルをしているような高揚感…。福助のお富がなかなかよくて、ただの美しい人という感じではなく、頭の中はアレばっかりというのが納得できるような下半身先行型?なお富の造型。福助には、とっても合っていてピッタリすぎて恐いくらい。染五郎の方は、そんなお富に引っ張られるような感じで肉体関係を結んでしまったような若者といった風情なのが好ましかった。

 今日は歌舞伎座の通しだったが、友人のCypressさんもご一緒だった。昨年、夜の部の吉兆の予約をしておいたからというメールが届いた。最愛の人を亡くしてから「吉兆」どころか、様々な食事のシーンが天使から消えてしまっていた。さすがに独り吉兆、独りフレンチ、独り焼き肉なんてできない…。Cypressさんが東京にいたときには、一緒に食事に出掛けることもあったが、最近はすっかりご無沙汰である。



 歌舞伎座の「吉兆」を再び訪れることなどないものと思っていただけに、Cypressさんの心遣いが嬉しかった。たった30分間の食事とはいえ、吉兆だけあって内容が充実し、お値打ち価格なのは相変わらずだった。お正月らしい献立で大いに満足した。店を出たところで、Cypressさんが一言。

「泣かないで」

「どうしてわかるの?…、本当に、ありがとう」と天使。

 感傷的になりそうな天使に釘をさし、ニコニコしながらCypressさんは先に歩いていってしまった。持つべきものは友である。


2010-01-02 23:23
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