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ドン・カルロ 初日 ミラノ・スカラ座2009年日本公演 [オペラ]2009-09-10 [オペラ アーカイブス]

 今月はミラノ・スカラ座の2演目をはじめ、新国立劇場の「オテロ」とさながらヴェルディ月間といった趣である。これまでのスカラ座の来日公演では、アバド、クライバー、ムーティ、シノポリと巨匠と呼ぶに相応しい指揮者を揃え、他の来日公演とは一線を画す内容であった。今回も、あのタフで意欲的なバレンボイムに依頼すれば、全演目を振ってくれたような気もするが、昨年の開幕を飾った新演出の『ドン・カルロ』を指揮したダニエレ・ガッディが登場。すでにバイロイトにも登場しており、メトロポリタン歌劇場やザルツブルグ音楽祭への登場も予定されているイタリアの俊英であるらしい。

 まだ大指揮者とはいえないものの日本初登場?の才能、さらに新演出時の公演よりもキャストが充実していた面もあって、大いに期待されたのだが、初日の宗教裁判長を歌うはずだったサミュエル・レミーが降板してしまい残念だった。フィリッポ二世を歌うルネ・パーペ12日と13日は連投となってしまい負担が心配される。

 さて劇場へ入ると通常のオペラカーテンのラインからはみ出して、白っぽい大理石風の床がオーケストラピットまで伸びていた。プロンプターボックスはなく、オーケストラピットも背後の壁が取り払われて舞台の下までピットになるという大編成仕様。楽員がびっしりと並び壮観な眺めで、そのせいか珍しく指揮者は舞台中央の出入り口から登場という変則型だった。ひじょうに低速でオペラカーテンが左右に引かれると、数段の階段とそれを額縁のように取り囲む枠が舞台上部まであり、舞台奧に向かって遠近法を使って伸びる傾斜した木製の床とが基本な装置となる。それに紗幕で舞台前と後方を仕切って使用したり、背景と周囲に森?が出現したり、抽象的なドアの並んだ黒い壁、森の樹木をイメージさせ火刑台にもなるオブジェ、フィリッポ二世の孤独を表現するような無機質な壁、そして先王カルロ五世の墓など、極力小道具や装飾を廃したシンプルな舞台で、照明に映えて美しいのが取り柄。16世紀の時代物の衣裳とも妙にマッチして違和感がなかった。場面、場面を切り取ると上野の公募展にでも展示されていそうなアートに見えないこともない。もっともアイディアだけで絵画としては見るべきものがなく入選も危ういレベルなのだが…。

 「アイーダ」のように音楽によって「愛と平和」を感じるような瞬間もなく、本当に伝わってくるものが少ないので、ひたすら何もない舞台に耐えるような時間を過ごし辛かった。特に第1幕のヨレヨレぶりは、本当にこれがスカラ座なのかと驚くような酷さで落胆させられた。全編を貫く重要なテーマであるはずのドン・カルロとロドリーゴのニ重唱など全然盛り上がらなくてがっかりさせられた。主に原因は指揮者の非力さとラモン・ヴァルガスの低調さに起因していて、第2幕のエリザベッタとの二重唱など拷問に等しく、これだけ緩みきった音楽を聴くのは久しく体験していないことだった。それに影響されたのかエボリ公女のドローラ・ザージックも大味で繊細さに欠けるアリアで本領を発揮しないままだった。

 演出は、弛緩しきった音楽を補うつもりか、紗幕越しに、ドン・カルロとロドリーゴの友情物語?を同じ衣裳を着た子役に演じさせたり、先王のカルロ五世を見せたりと、音楽で説明するべき物語の視覚化に心血を注いでいたようである。あまりに説明過多で煩わしいだけで効果は限りなく薄いように思われた。それを救ったのはルネ・パーペが演じるフィリッポで、その登場した瞬間の存在感だけで舞台が締まったのに驚く。今回の公演では、花も実もある歌手はバルバラ・フリットリが第一で、ルネ・パーペがそれに続くという感じだった。とにかく指揮者と演出者の非力さが露呈してしまい、各歌手が自分の聴かせどころで勝負といった個人技の競いあいに終始してしまったようだった。

 第2幕の冒頭で、プログラムにはエリザベッタとエボリ公女がベールを交換する場面を指揮者の強い要望により挿入と書いてあったが何故かカット。第3幕の第2場には書かれているようにロドリーゴの死を前にしてフィリッポのアリアが歌われた。とにかく四幕版であるのに上演時間が長いのでカットになったと思われる。挿入されていたとしてもフィリッポの部分同様に効果があったかどうかは疑問であるけれど…。

 第3幕の第2場は異端者が火刑台にかけられる場面で演出家が最も心血を注いだ場面であると思われた。火刑台は舞台奧にあるポールのようなオブジェで、カルロ役の子役が中央で宙乗りになり火刑が始まると宙乗りになるというケレンたっぷりの場面であった。残念ながら、その意味するところは客席に伝わってこなくて何故にここで昇天しなければならないのか疑問だった。

 もっと理解できないのは、舞台の主な登場人物は16世紀の衣裳であるのに、合唱団の演じる群衆の衣裳は19世紀末風だったことである。たぶんヴェルディの作曲した当時、イタリア統一を阻む宗教者のおぞましさと、為政者がいかに宗教者の前で無力であるか、そして作曲された当時の政治状況を観客にイメージさせようという演出意図だったのだと思う。イタリア人ならともかく、そんな歴史的な意図は邪魔だし、知っている人だけが知ればいいような知識で、舞台の調和を崩してまで挑戦するような価値があるか、これまた疑問だった。演出家はそうしたことに夢中だったのか、せっかく劇的に盛り上がるはずの舞台を弾ませることはできなかったよである。

 第3幕は三方を壁が囲んでいてフィリッポの心象風景を象徴するという場面と考えれば、全編でも最も充実していたように思う。何もない舞台で余計なことをせずに音楽に集中できる状況をつくりだしたのが最大の功績だったかもしれない。フィリッポの「ひとり寂しく眠ろう」やコチェルガの宗教裁判長との二重唱、つづく四重唱、さらにエボリ公女のアリアは、何もない演出とヴァルガスの不在で、充実したものとなったのは皮肉だった。

 ここでの問題は舞台転換に時間が掛かりすぎたことで、終幕近くになって10分以上もかかるのは音楽の流れを断つばかりでなく、ミラノの観客と違って、東京近郊に住み2時間近く電車に揺られなければならない観客にとっては腰が落ち着かなくなるのが困る。第2場は後方の壁を移動して入れ子式の部屋をつくり、第4幕は周囲の壁をすべて撤去して別の壁を建て込むというアイディアなのだが、そんなに大掛かりな転換が必要だったかどうか…。

 長い転換の後、第4幕が始まったのが22時過ぎ、もう出ないと思っていたカルロの子役とからみながらエリザベッタのアリアが歌われる。いくらなんでも子供が登場する時間として遅すぎるし夜遅くて可哀想。別にいなくても物語の進行上では問題ないと思う。突然のフィナーレは後方のドアからカルロ5世が宗教者を従えて登場し、墓石の上に横たうカルロに両手を広げてポーズして全曲が終わった。何だろうと観客に考えさせる時間も与えない唐突な終わり方だった。もっとも伝えるような内容はなかったような気もするけれど…。終わってみれば不満以外には何もなかったようなないない尽くしの舞台だった。

 ロビーにはミラノ・スカラ座の外観の大きな電飾パネルが置かれ、柱にはイタリア国旗が飾られ雰囲気づくりに懸命だったようだ。とにかく休憩時間にはロビーに人が溢れ、化粧室は女性用も男性用も大行列だった。初日だけあってお洒落な人も多く見かけて華やか。さすがに上野?だけあって女装した男性もいたようだった。オペラカーテンはゆっくり締まったのだが、未だに音楽が終わらない内に拍手をしてしまう人が少なからずいて呆れる。

ミラノ・スカラ座 2009年日本公演
「ドン・カルロ」全4幕(イタリア語版)

指揮:ダニエレ・ガッティ

演出・舞台装置:シュテファン・ブラウンシュヴァイク
衣裳:ティボー・ファン・クレーネンブロック
照明:マリオン・ヒューレット
合唱指揮:ブルーノ・カゾーニ

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フィリッポ二世:ルネ・パーペ

ドン・カルロ:ラモン・ヴァルガス

ロドリーゴ:ダリボール・イェニス

宗教裁判長:アナトーリ・コチェルガ

修道士:ガボール・ブレッツ

エリザベッタ:バルバラ・フリットリ

エボリ公女:ドローラ・ザージック

テバルト:カルラ・ディ・チェンソ

レルマ伯爵:クリスティアーノ・クレモニーニ

国王の布告者:カルロ・ボージ

天の声:イレーナ・ベスパロヴァイテ

フランドルの6人の使者:
フィリッポ・ベットスキ
アレッサンドロ・パリャーガ
エルネスト・パナリエッロ
ステファノ・リナルディ・ミリアーニ
アレッサンドロ・スピーナ
ルチアーノ・バティニッチ


ミラノ・スカラ座管弦楽団 /ミラノ・スカラ座合唱団


◆上演時間◆

【第1幕】 18:00 - 19:15
休憩 30分
【第2幕】 19:45 - 20:25
休憩 30分
【第3幕】 20:55 - 22:00
-舞台転換-
【第4幕】 22:05 - 22:25

2009-09-10 23:29
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