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楽劇「ニーベルングの指環」序夜 ラインの黄金 初日 新国立劇場 [オペラ]2009-03-07 [オペラ アーカイブス]

2009年3月7日(土) 14:00開演

スタッフ
【作曲/台本】リヒャルト・ワーグナー

【指 揮】ダン・エッティンガー

《初演スタッフ》
  【演 出】キース・ウォーナー
  【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
  【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル

キャスト
【ヴォータン】ユッカ・ラジライネン
【ドンナー】稲垣俊也
【フロー】永田峰雄
【ローゲ】トーマス・ズンネガルド
【ファーゾルト】長谷川顯
【ファフナー】妻屋秀和
【アルベリヒ】ユルゲン・リン
【ミーメ】高橋 淳
【フリッカ】エレナ・ツィトコーワ
【フライア】蔵野蘭子
【エルダ】シモーネ・シュレーダー
【ヴォークリンデ】平井香織
【ヴェルグンデ】池田香織
【フロスヒルデ】大林智子
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

  2001年3月30日にプレミエ上演された「TOKYO RING」の待望の再演。一時四演目連続上演も噂されたが延期になって、今年が「ラインの黄金」と「ワルキューレ」来年が「ジークフリート」と「神々の黄昏」の二年がかりの連続上演である。初演では一年ごとの新演出というプロジェクトだったために四年がかりとなってしまった。四話完結したところでチクルス上演が理想だったのだが、様々な理由によって上演が困難だったようで、8年も間が開いてしまって、ハテどんな演出だったか?細部については思い出せないまま客席に座った。

 序奏が始まると舞台奧から小さな光が客席に向かって放たれる。裸舞台でヴォータンが映写機の脇に座り記録映画を見ているといった風情で、ラインの三人の乙女とアルベリヒが客席にいる映画館のセットが迫り上がるという前回も印象深かった開幕である。三人の乙女が観ているスクリーンには川面の映像。やがて黄金色に輝くジグソーパズルになってラインの黄金が示されるなど、今回も快調な滑り出しではあった。最終幕では、ローゲの手に持った小さな火が暗闇に残るので、呼応した演出だったのかしれない。

 そのスクリーンは大きく湾曲していて、その昔、スーパーシネラマ方式だった映画館「テアトル東京」で巨大なシネラマスクリーンを前方の脇席から眺めた時を思い出した。正面からならともかく、湾曲したシネラマ・スクリーンはサイドからは真っ直ぐな地平線が歪んで見えたりしたものである。さらにスクリーンが鉄骨に張られているのは、地元のシネコンでスクリーンの裏を見せてもらった時のことを思い出した。劇場のスクリーンの裏には、スピーカー以外には何もない殺風景な場所だった。

 映画がこの演出のモチーフになっていて、各場面はスクリーンの裏側から眺めているような工夫がされていて面白いような煩わしいような微妙な雰囲気。最後のヴァルハラ城がシネコンで八百万の神様=お客様?が入場していくというのも・・・。初演の時は、後の三作の演出を知らないだけに、次は何が出てくるかと固唾を飲んで身構えていたのだが、結局、単なる思いつきだけだったのだと今さらながら気がついてガッカリ。あんなに気負っていたのが馬鹿みたい。

 実は変に自己主張の強い個性的な演出?だけに歌手陣もよほどの実力がないと埋没してしまうという恐ろしいもののようである。圧倒的な印象を残したのは、アルベリヒを演じたユルゲン・リン。歌唱もさることながら、芝居も上手いし、その存在感で「ラインの黄金」の主役は彼だったのかと改めて思いしらされる。ラインの乙女に翻弄されたり、騙されて蛙にされてしまうし、徹底的ないじられキャラで、最後には指をナイフで切り落とされて指環を奪われ、挙げ句の果てに自分の股間を自傷して退場するという凄まじさ。ある意味美味しいキャラなのだが、ユルゲン・リンは自在に演じて見事だった。

 それに匹敵するのは、突然現れるエルダを、これまた存在感タップリに歌い演じたシモーネ・シュレーダーである。演出家もこの二人には見せ場を用意したようで、演出も緊迫感があったのが良かった。それ例外の歌手は残念ながら、この二人の存在感を前にしては影が薄い。ヴォータンを演じたユッカ・ラジライネンは存在感に乏しく、家長としての貫禄は皆無。ローゲのトーマス・ズンネガルトも神々の世界を冷ややかに見るような冷え冷えとした感じもなく、火の神の熱さも感じさせないという中途半端な存在でただの親父然としているのはいかがなものか。そういえば、初演の頃は、二組のキャストがあって、日本人だけで「ラインの黄金」を上演した組もあったように思う。初演から8年も経過しているのに、日本人歌手は成長どころか、進歩よりも退行してしまったかのようで全員が精彩を欠いていた。

 それが最も端的に出てしまったのは、アルベリヒの登場しない第2場で、演出のユルユルぶりと音楽の不安定さには驚かされた。俊英という言葉が似合いそうなダン・エッティンガーの指揮する東京フィルハーモニー交響楽団も健闘している部分とエッ?部分があり落差が大きな演奏だったように思う。筋金入りのワグネリアンは満足できたのだろうか?

 舞台では床に穴を開けてあって、そこからトリックを使っての人間の出入りが多用され、簡単な手品?もあってマジックショーさながら。さらに新国立劇場の舞台機構を目一杯使いましたというように、ヴァルハラ城が舞台後方からスライドしてきて、七色の風船が落ちてくる第4場は、初演のような珍妙な印象はなく、むしろ今回一番完成度が高かったかも。このキース・ウォーナーの演出した四部作のなかでも屈指の名場面なのかもしれない。途中の中ダルミが嘘のように、ワーグナーの音楽と舞台に繰り広げられる光景に珍しく興奮を覚えた。

 ところどころに、後の作品への伏線が隠されていたような気もするが、他の作品の記憶もあいまいなので判らないままだったのが残念。この演出は壮大な失敗作だったのかもと不安を抱かせた。4月の巨大な木馬や炎に包まれるベッドなどが記憶に残っている「ワルキューレ」の上演が待たれる。

2009-03-07 23:55
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