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ラ・ジョコンダ 藤原歌劇団創立75周年記念公演 [オペラ]2009-02-01 [オペラ アーカイブス]

2009年1月31日(土) 15:00開演(18:30終演)
東京文化会館

指揮:菊池 彦典   演出:岩田 達宗

ジョコンダ    エリザベート・マトス
エンツォ     チョン・イグン
バルナバ    堀内 康雄
ラウラ      エレナ・カッシアン
アルヴィーゼ  彭 康亮
チェーカ     鳥木 弥生
ヅァーネ     坂本 伸司
イゼーネ     納谷 善郎
聖歌隊員    小田切 貴樹
水先案内人   水野 洋助

合唱    藤原歌劇団合唱部
児童合唱 多摩ファミリーシンガーズ
バレエ   スターダンサーズ・バレエ団
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団

女声陣の充実による感動
 

 ドラマチック・ソプラノの歌手が活躍するオペラは苦手である。何故なら単に声が大きいだけとか、感情のこもらない歌唱であったり、逆に声量が足りなくて欲求不満になってしまたり、満足させられたことが非常に少ない。今回、タイトルロールを歌ったエリザベート・マトスは完璧ともいえる歌唱で大満足させてくれた。特に第四幕のアリア「自殺」から死ぬまでの歌唱と演技は見事で、ジョコンダの心の動き、追いつめられていく過程の切なさなど、涙、涙、涙だった。とにかく彼女は第一幕から最後の場面まで、まったく文句のつけようのない名唱&名演技で、観客を魅了し興奮させ感動させた。

 それに対する恋敵であるラウラを歌ったエレナ・カッシアンもエリザベート・マトスに負けず劣らずの歌唱を披露。そして特筆したいのは、まだ若手歌手ながら老け役のチェーカを歌った鳥木 弥生の大健闘ぶりである。コントラルトの声はよく響かせたし、歌に心がこもっているという点では、エリザベート・マトスと肩を並べるレベルというか凌駕していた部分さえあったともいえる。女性歌手はいずれも高水準の歌唱をしめしたのが、大成功の一因だったのは間違いがない。

 それに比較すると浮き沈みが激しかったのは男声陣だった。まず韓国人テノールのチョン・イグンは、スピントの声質であるのに、響きが明瞭に伝わってこなかった。そうかと思えば第2幕の全幕中、最大の聴かせどころである「空と海」では、今までの歌唱はなんだったのかと思わせるほど、別人のような見事な歌唱を披露。まあ最後はうん?な部分もあったが、尻上がりに調子を上げていった。ただ背が低いらしく、バレバレの上げ底靴を履いても相手役との背の高さが釣り合わなかったのは辛かった。女性陣は階段の段差を使って、なんとか彼を引き立たせようとするのだが、背の低さはどうにもならない感じ。

 台本作者であるボーイトの「オテロ」のイヤーゴに影響を与えたのではないかと言われる悪役・バルナバを演じた堀内康雄は、悪の魅力全開だったものの、芝居をしているときはともかく、せっかくの舟唄「釣り人よ餌を投げよ」が意外に平凡に終わってしまって残念。それでも男声陣では一人気を吐いたといった感じで、狂言回しの役割を強烈な個性で演じていた。凄味や色気が、さらに加われば完璧だったと思う。

 大ブレーキだったのは、アルヴィーゼの彭康亮である。不調だったのか、それとも彼の実力だったのか、存在感に乏しい歌唱でがっかり。せっかくのアリア「彼女は死なねばならぬ」は、オーケストラの音にかき消されてしまうような声量のなさ。他の歌手が客席まで明瞭に歌詞を届けているので、その差はあまりに大きかった。藤原歌劇団では、バスの役柄は一手に引き受けている感じなのだが、他に適任者はいあなかったのだろうかと思う。それでなくても第3幕は完成度が低いのに、スタートの彼で躓いてしまったことの責任は大きいように思う。

 日本では、ほとんど上演する機会のないオペラを高水準で舞台上演を実現させたのは、指揮の菊池 彦典の力に負うところが大きいのは間違いがない。開幕のチェロの響きの美しさなど、思わずウットリ。菊池の思いを受けた東フィルも一部危ない部分もあるにはあったが、健闘していたと思う。

 演出は、舞台に置かれた石畳を模した大きな二重舞台が基本。それに左右から橋を繋げたり、背景を変化させる工夫に、沢田祐二の雄弁に語る照明で場面を上手く表現していった。第一幕は「獅子の口」サン・マルコ広場で中央に建物と下手側に獅子を頂いた塔があるというシンプルながら美しい。群衆の動きもよく計算されていて快調な滑り出しだった。

 第2幕は同じ土台に大きな帆を舞台に飾って、「トリスタンとイゾルデ」あるいは「さまよるオランダ人」かと思うような出来映えだった。実際に音楽も「さまよえるオランダ人」かと思わせような部分もあって不思議だった。ここでも人物の動かし方など、なかなか観客の想像力をする方向でよく考えられていたと思う。

 新演出の場合、時間切れになってしまったのか、どんなに名演出でも必ずエアポケットのように水準に満たない部分があるものでだが、今回は第3幕がこれに当たったようである。冒頭のアルヴィーゼの彭康亮のアリアにがっかりさせられたのも原因なのだが、幕前と脇舞台を使っての群衆処理などまったく平凡でつまらない。特に幕切れでラウラがチェーカをつけねらうような伏線の芝居をしておかないと、第4幕の出来事が唐突になってしまう。種あかしをしないという考えだとしても、何かしらのアクションがあっても良いだろうと思った。

 そして有名な「時の踊り」のバレエ。趣味が悪いとしか思えない衣裳を着て、考証が行き届いていたのかいないのか時代錯誤のバレエを見せられてもといった感じで浮き上がっていた。グランドオペラのお約束の趣向とは思っても、平凡なダンサーによる平凡な振付なので、技術的にも見るべきものがないので退屈した。狭い傾斜舞台でダンサーは得意の技を封印されてしまって大技を披露できないのも痛かった。

 第4幕は続けて上演されるので、極シンプルな装置だったが、かえって歌唱とドラマを的確に浮かび上がらせていたように思う。ジョコンダの心理が手に取るように理解できたのもエリザベート・マトスの歌唱と演技力に全てをゆだねた演出家の勝利だったと思う。最後に屏風を倒し、薔薇の花びらが舞うというのは、予想通りの演出で、歌舞伎風というか唐十郎の状況劇場のようなアングラ劇風というか、ヴェネチアが一挙に現代に飛んでしまった感じではあったが、そんなに悪くないアイディアではあった。

 NHKの収録があるらしく、会場にはテレビカメラが何台も設置されていた。この見事な舞台を数ヶ月後に再見できるのは嬉しい。ただし、一部の拍手したがりの観客の存在は残念だった。やたらと拍手していいものではなく、幕切れなど、もっと我慢して先走りはしないようにしてもらいたいたかったのだが…。日本では舞台上演が困難な作品を取り上げた英断、そして期待以上の舞台に仕上げた関係者の努力に敬意を表したい。この舞台を観たなら藤原義江旦那も喜んでいることだろうと思う。新国立劇場とも、二期会とも違う藤原歌劇団の特徴を、もっともっと強調して、藤原ならではの舞台をこれからも続けていって欲しいものである。

2009-02-01 00:43
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