バレエ・ザ・シック Ballet the Chic -バランシン/サープ/ドゥアト 新国立劇場バレエ公演 [バレエ]2009-03-29 [バレエ アーカイブス]
2009年3月29日(日) 14:00開演 新国立劇場中劇場 上演時間2時間30分
<セレナーデ>
寺島ひろみ、厚木三杏、堀口 純
森田健太郎、中村 誠
ほか 新国立劇場バレエ団
<空間の鳥>
真忠久美子
貝川鐵夫、江本 拓、八幡顕光、高木裕次、佐々木淳史、末松大輔、アンダーシュ・ハンマル、泊 陽平、清水裕三郎、野崎哲也、原 健太、三船元維
<ポル・ヴォス・ムエロ>
湯川麻美子、遠藤睦子、西川貴子、本島美和、丸尾孝子、高橋有里
吉本泰久、貝川鐵夫、陳 秀介、冨川祐樹
芳賀 望
<プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ>
デニス・マトヴィエンコ
厚木三杏
本島美和
西山裕子
山本隆之
ほか 新国立劇場バレエ団
新国立劇場の中劇場でのバレエ公演である。バランシンの「セレナーデ」、井口裕之の新作「空間の鳥」休憩をはさんでナチョ・ドゥアトの「ポル・ヴォス・ムエロ」、また休憩になってサープの「プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ」というバラバラなプログラム。期待はサープの作品だったのだけれど、パリ・オペラ座の来日公演でパトリック・デュポンらが踊ったはずなのに、ド厚かましくも「日本初演」と宣伝していたのが全てを語っていたようにまったくの期待外れ。サープ作品は、驚異的なテクニックとショーマン・シップがないと凡作になってしまうのを見事に証明。かつてLDでバリシニコフが踊った映像やパトリック・デュポンの面白さは何処へ消えたのか?
何よりも主役のデニス・マトヴィエンコの体型がこの作品に向いていないようで、長い手足を持てあましてみえるのが損なのと、大スターの風格に欠けるのでなんとも締まらない作品になってしまった。客席のノリも悪かったけれど、もっと観客を挑発し驚嘆させてくれないと駄目な作品である。新国立劇場バレエ団というよりも日本人にはもともと無理なジャンルな作品なのだと思う。
バランシンの「セレナーデ」はチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」にのせて踊る作品。渡辺一正指揮の東フィルが、この作品だけに演奏という贅沢さ。中劇場なので手が届くような近さで踊るので、ちょっとしたミスでも目立ってしまい、案外楽しめずに終わってしまった。それでも女性ダンサーたちが手をかざして立っている幕開きと女性ソリストが捧げられて進む幕切れが印象に残る。バランシンとはいえ、観客に何かを伝えようとしないと、ただただキレイキレイなだけなのと、音楽に合わせた塗り絵で終わってしまいそう。ソリストが地味なのとコールドの盛り上げかたが不足していたように思う。
有名な振付家の作品と並んで初演された井口裕之の「空間の鳥」。男性ダンサーが赤いスカートを翻して上半身裸で踊るのは、いつかどこかで観たようなアイディアで新鮮さに乏しい。客席の向かってスライディングをくり返すのも度重なると鬱陶しい。照明で変化をみせたり、幕を振り落としたり工夫はこらしているが、これもどこかで試していたようなアイディア。パクリとまではいかないが、もう少しなんとかならなかったのだろうか。
「鳥は卵のなかからぬけ出ようと戦う。卵は世界だ…」というのにインスパイアされたというが、幕切れの幕を使った演出など説明的過ぎないだろうか。もっと舞踊哲学が必要かも。なんのために踊るのか、その部分からスタートしないと、単なるテクニックとアイディアの発表会になってしまうと思う。
ナチョ・ドゥアトの「ポル・ヴォス・ムエロ」は裸のダンサーに始まって、古典的な衣裳をつけて、また裸に戻って終わるという判りやすさ。最後の活人画のポーズまで計算し尽くされているとは思うが、意外に観客の想像力を刺激しない作品で退屈。再演らしいが、何度も何度も上演するに値する作品かどうかは疑問。「プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ」で落胆させられたので、すべての作品に点が辛くなってしまったかもしれないが。
2009-03-29 23:11
<セレナーデ>
寺島ひろみ、厚木三杏、堀口 純
森田健太郎、中村 誠
ほか 新国立劇場バレエ団
<空間の鳥>
真忠久美子
貝川鐵夫、江本 拓、八幡顕光、高木裕次、佐々木淳史、末松大輔、アンダーシュ・ハンマル、泊 陽平、清水裕三郎、野崎哲也、原 健太、三船元維
<ポル・ヴォス・ムエロ>
湯川麻美子、遠藤睦子、西川貴子、本島美和、丸尾孝子、高橋有里
吉本泰久、貝川鐵夫、陳 秀介、冨川祐樹
芳賀 望
<プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ>
デニス・マトヴィエンコ
厚木三杏
本島美和
西山裕子
山本隆之
ほか 新国立劇場バレエ団
新国立劇場の中劇場でのバレエ公演である。バランシンの「セレナーデ」、井口裕之の新作「空間の鳥」休憩をはさんでナチョ・ドゥアトの「ポル・ヴォス・ムエロ」、また休憩になってサープの「プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ」というバラバラなプログラム。期待はサープの作品だったのだけれど、パリ・オペラ座の来日公演でパトリック・デュポンらが踊ったはずなのに、ド厚かましくも「日本初演」と宣伝していたのが全てを語っていたようにまったくの期待外れ。サープ作品は、驚異的なテクニックとショーマン・シップがないと凡作になってしまうのを見事に証明。かつてLDでバリシニコフが踊った映像やパトリック・デュポンの面白さは何処へ消えたのか?
何よりも主役のデニス・マトヴィエンコの体型がこの作品に向いていないようで、長い手足を持てあましてみえるのが損なのと、大スターの風格に欠けるのでなんとも締まらない作品になってしまった。客席のノリも悪かったけれど、もっと観客を挑発し驚嘆させてくれないと駄目な作品である。新国立劇場バレエ団というよりも日本人にはもともと無理なジャンルな作品なのだと思う。
バランシンの「セレナーデ」はチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」にのせて踊る作品。渡辺一正指揮の東フィルが、この作品だけに演奏という贅沢さ。中劇場なので手が届くような近さで踊るので、ちょっとしたミスでも目立ってしまい、案外楽しめずに終わってしまった。それでも女性ダンサーたちが手をかざして立っている幕開きと女性ソリストが捧げられて進む幕切れが印象に残る。バランシンとはいえ、観客に何かを伝えようとしないと、ただただキレイキレイなだけなのと、音楽に合わせた塗り絵で終わってしまいそう。ソリストが地味なのとコールドの盛り上げかたが不足していたように思う。
有名な振付家の作品と並んで初演された井口裕之の「空間の鳥」。男性ダンサーが赤いスカートを翻して上半身裸で踊るのは、いつかどこかで観たようなアイディアで新鮮さに乏しい。客席の向かってスライディングをくり返すのも度重なると鬱陶しい。照明で変化をみせたり、幕を振り落としたり工夫はこらしているが、これもどこかで試していたようなアイディア。パクリとまではいかないが、もう少しなんとかならなかったのだろうか。
「鳥は卵のなかからぬけ出ようと戦う。卵は世界だ…」というのにインスパイアされたというが、幕切れの幕を使った演出など説明的過ぎないだろうか。もっと舞踊哲学が必要かも。なんのために踊るのか、その部分からスタートしないと、単なるテクニックとアイディアの発表会になってしまうと思う。
ナチョ・ドゥアトの「ポル・ヴォス・ムエロ」は裸のダンサーに始まって、古典的な衣裳をつけて、また裸に戻って終わるという判りやすさ。最後の活人画のポーズまで計算し尽くされているとは思うが、意外に観客の想像力を刺激しない作品で退屈。再演らしいが、何度も何度も上演するに値する作品かどうかは疑問。「プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ」で落胆させられたので、すべての作品に点が辛くなってしまったかもしれないが。
2009-03-29 23:11
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