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東京バレエ団<ベジャール・ガラ> 「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」 [バレエ]2009-02-10 [バレエ アーカイブス]


2009年2月9日(月) 19:00開演 ゆぽうとホール
モーリス・ベジャール追悼公演V / 東京バレエ団創立45周年記念公演II
 
「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」

振付:モーリス・ベジャール  振付指導:ジル・ロマン、小林十市

◆主な配役◆

「ギリシャの踊り」 音楽:ミキス・テオドラキス

I.イントロダクション 
II.パ・ド・ドゥ(二人の若者):高橋竜太-小笠原亮
III.娘たちの踊り 
IV.若者の踊り 
V.パ・ド・ドゥ:吉岡美佳-中島周
VI.ハサピコ:井脇幸江-木村和夫
VII.テーマとヴァリエーション 
ソロ:後藤晴雄
パ・ド・セット: 西村真由美、高木綾、佐伯知香、田中結子、福田ゆかり、川島麻実子、阪井麻美
VIII.フィナーレ: 全員

「中国の不思議な役人」 音楽:ベラ・バルトーク

無頼漢の首領:平野玲
第二の無頼漢―娘:宮本祐宜
ジークフリート: 柄本武尊
若い男:西村真由美
中国の役人:首藤康之

「ボレロ」 音楽:モーリス・ラヴェル

シルヴィ・ギエム

平野玲、松下裕次、長瀬直義、横内国弘

◆上演時間◆

「ギリシャの踊り」 19:00 - 19:40
【休憩】 15分
「中国の不思議な役人」 19:55 - 20:30
【休憩】 15分
「ボレロ」 20:45 - 21: 05


ベジャールの申し子たち


 2007年に亡くなったモーリス・ベジャールの一連の追悼公演の最終公演にでかけた。公演は今月末の沖縄公演まで続くのだが、「ボレロ」にジルヴィ・ギエムが特別出演するので、それがお目当である。最後の「ボレロ」と銘打って全国公演もしたのに…。とは思うものの、もう一度彼女の「ボレロ」が観られるのは素直に嬉しい。会場に足を運べなかったファンにも、NHKが収録していたので3月20日教育テレビでの放送を楽しみにしてもらいたい。

 天使が初めてベジャールのバレエを観たのは、完成したばかりの簡易保険ホール、現在のゆぽうとホールでだった。天使も、この舞台に立ったことがあるので、楽屋や舞台裏など知っているが、舞台裏は広くなく使い勝手は、あまり良くはないのだが、1800人収容の大ホールでありながら、どの席からでも観やすいのが何よりであり、オペラカーテンや、今回は使用しないがオーケストラボックスも付帯しているので、バレエにとっては手頃なホールではある。ロビーの飾り気のなさ、休憩時間のトイレの大行列は雰囲気を損ねて残念だが、ここでギエムを観られるのは贅沢でもある。しかも今日は何故かオーケストラボックスの上の席で手を伸ばせばダンサーに届きそうな距離の席。足元があまり見えないので、良い席とは言い難い面もあるのだが、ダンサーの汗の匂いまで感じられて臨場感は満点だった。

 「ギリシャの踊り」は波音で始まる。男性は上半身裸で白のギリシャ風パンツ。女性は黒のレオタードが基本の衣裳でシンプル。ダンサー達がゆっくり身体をうねらせるので観客は海の中にいるようだった。ソロダンサーとコールドが、それぞれの動きに反応しつつ、音楽に乗せて爆発的なダンスを次々に披露していった。健康的であり、陽気であり、ギリシャの神々の前での祝祭のようだった。感心したのは、無表情だとばかり思っていたダンサーが、実は生き生きとしていて個性的だったこと。特に男性ダンサーに活躍の場が多い本作では、目を惹くダンサーが何人もいた。

 ソロを踊った後藤晴雄は、以前はものまねのコロッケが踊っている!といった具合にしか見えなかったのだが、堂々たる主演ぶりで、技術的にも表現力も一流で日本のベジャール・ダンサーといった感じで満足させてくれた。吉岡美佳-中島周、井脇幸江-木村和夫のそれぞれのカップルもベテラン?らしく安定したダンスを見せてベジャールのカンパニーと遜色がないのではと思わせた。一番感心したのは、パ・ド・ドゥ(二人の若者)の高橋竜太と小笠原亮で、若い、美しい、テクニックがある。といったベジュールダンサーの資質を身に着けていて素晴らしかった。何時の間に、東京バレエ団はこんなにも魅力的な男性ダンサーを揃えていたのだろうか。特に高橋竜太には大きな可能性を感じた。

 こうした作品は、日本人には難しい部類だと思っていたが、多分海外のカンパニーと同じレベルに達しているのは間違いがない。ベテランと若手のバランスの良さに、このバレエ団の明るい未来を感じさせたのが嬉しい。東京バレエ団のベジャール作品の初演は、1982年7月第3回世界バレエフェスティバルでのドン主演「ボレロ」かららしいが、四半世紀の歳月をかけてここまで成長したのは喜ばしいことである。

 「中国の不思議な役人」はバルトークの曲にのせて、多分に演劇的であったり、難解に感じさせる部分もあるベジュールお得意の作品で、まったく説明的ではないだけに観る人の想像力を試されているかのようである。それだけに凡庸なバレエ団では上演不可能だと思う。東京バレエ団のベジュール作品では、彼の生前に上演が許可された最後の作品であるらしい。それだけ東京バレエ団の成熟が振付家にも認められた訳で、これを振付家の期待以上に上演できたのではないかと思わせる完成度の高さだった。しかも二組のキャストで上演しているので、その人材の豊富さが頼もしい。

 前半は平野玲の無頼漢が、キレの良いダンスで圧倒する。それに対する第二の無頼漢(娘)を踊った宮本祐宜も健闘していたが、もう少し妖しさが加われば、さらに完成度が高まったと思う。ここでもベジャールダンサーと呼びたい人がいた。中国の役人の役人を演じ踊った特別出演の首藤康之である。その狂気を孕んだような目の輝きは、ジル・ロマンを思い出させた。強靱なテクニックを持ちながら、哀愁の漂う、観ている者に「哀しさ」の本当の意味を感じさせるダンサーであることを再認識させてくれた。かけがえのないダンサーであり、また東京バレエ団の舞台に立って欲しい人である。

 2回目の休憩後は、無粋なアナウンスがないまま場内が暗くなり「ボレロ」が始まった。正真正銘、東京ではシルヴィ・ギエムの「ボレロ」は最後のハズである。そんな観客の気負いを知ってか知らずか、意外なほどギエムは冷静に淡々と踊っていたように思う。観客の過剰な思い入れは無関係とでも言いたげにメロディを踊っていった。かつての空間を切り裂くような鋭さは影を潜め、痛々しいまでの悲壮感も消えていた。そこには謙虚に作品に向かっている一人のダンサーがいただけだった。

 初めて気がついたのは、赤い円形の台の上に乗ったギエムが身体を折り曲げるように床に近づくと上半身の床に面した部分が赤く染まる。黒のタイツは赤くならないので、一瞬だがギエムが血まみれのように、あるいは炎に照らされているように見えたことだ。単純な照明の効果なのだが、実は細かな計算がされていてのに、ようやく今日になって気がついた。音楽が佳境に入れば入るほど、彼女の肉体は紅に染まっていくわけで、観客の興奮は否応なく高まるのである。音楽と振付と照明の効果を計算し尽くしたベジャールは、今さらながら天才であると思った。

 隋所に見せるギエムならではの身体能力の高さが、たとえば「ここまで足が上がるのは私だけ」といった次元の低いこれ見よがしの技術の誇示などはなく、むしろ控え目で、あくまで作品の本質に迫ろうという姿勢のようだった。近年はモダンな作品に意欲をみせる彼女だけに、作品への理解がより深まった証拠なのだと思う。音楽を具体的に表現しようとした作品で、それを誰よりも高度な技術をさりげなく駆使して踊っているのが今日のギエムだった。音楽を身体で感じて踊ること、過剰な思い入れを廃して踊ること。余人の到達できない高みに達した姿を観客は観たのである。

 踊り尽くしたダンサーにしか到達できない境地だと思った。もう一人、「ボレロ」を踊り続けたジョルジュ・ドンは、世界バレエフェスティバルのガラ公演で、痛々しいままで踊り納めたが、もし生き続けていたらどんな「ボレロ」を見せてくれただろうか。無我の境地に至るような情熱あふれる舞踊よりも、さらに先に待っていたのは、こんな「ボレロ」だったのかと知って、嬉しいとも悲しいとも、複雑な気持ちになった。ベジャールは彼女の「ボレロ」をどう観るだろうか?振付家の手を離れ、思わぬ世界が開かれたことを喜ぶだろうか。そして、それが永遠に封印されてしまうことを残念に思うだろうか。何時の日か、さらに深化したギエムの「ボレロ」が観られる日を祈りたい。

 何度か目のカーテンコールで場内はスタンディング・オベーションに。舞台上から笑顔で手を振ってギエムの「ボレロ」とは「さようなら」だった。本来ならば悲しいといった感情が湧いてきそうだが、むしろ彼女のダンサーとしての未来に光明を見出した思いがして、むしろ清々しさを感じた。たぶん世界バレエフェスティバルに参加するだろうが、どんなに成長し変貌した姿を観客に披露するのか楽しみである。確実に彼女には老いが迫っているが、それを軽々と乗り越えてみせる何ものかをギエムは掴んでいるようだ。

2009-02-10 00:56
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