文楽十二月公演 源平布引滝 国立劇場小劇場 [文楽]2008-12-18 [文楽アーカイブス]
文楽を初めて観てから、ちょうど今月で30年になった。当時の中堅が幹部になり、メンバーも大きく入れ替わった。12月は次代を担う中堅と若手が中心になった公演で、20年後、30年後の人間国宝が出演しているのだと思うならば面白い。しかしながら、さすがに年を重ねないと面白くならないのが古典芸能の特徴で文楽も例外ではないようだった。
「源平布引滝」の通し上演は、歌舞伎では九月に新橋演舞場で海老蔵が主演したばかりである。それと比較するのもなんだが、海老蔵の義賢、実盛も悪くなかったのだなあと改めて感じた。どちらも完成された芸とは言い難いものがあるのだが、華やかさ見応えといったものは、海老蔵が断然勝っていたからである。
歌舞伎では仁左衛門が孝夫時代の出世作となった「義賢館の段」は、文楽では昭和45年以来の上演というから38年ぶりということになる。筋書に載っていた写真の文雀の若さに驚いた。歌舞伎では壮絶な立ち回りが見せ場だが、人形には残念ながら限界があって、芝居の発端という以上には面白さを感じることができなかった。
一番の原因は、この場面だけではないが大夫と三味線の非力さによると思う。特に「竹生島遊覧の段」の完成度の低さは耳を塞ぎたくなるほどだった。ある大夫の音声障害?と思えるような絶不調が原因なのだが、こうして消えていった大夫を何人もみてきたので、やがて淘汰されていってしまうのだろうか。
「九郎助内の段」は四人の大夫の語りわけである。次代を担う大夫の競演ということだろうが、睦大夫、文字久大夫、千歳大夫、咲甫大夫のいずれにも満足することはできなかった。やはり時間が必要ということなのだろうと思う。
人形陣は、玉男亡き後、大夫よりも人材に対する危機感があるのか、勘十郎、玉女、和生、清十郎といったところが本公演同様に主役を遣う。彼らの上の世代が、もう何人もいないので、必然的にそうした立場になるのだが、やはり20年、30年の時間は必要のようで、感動はなかった。周知の物語でも感動できるのは演者が、長年積み上げてきた芸の力に他ならない。それを突き抜けるような天才の出現はないものだろうか。満足気に帰る多くの観客の中で、イライラとしていた。何をやっても満員御礼、厳しい観客の目もない、ぬるま湯的な環境で何かが生まれるとは到底思えない。
2008-12-18 00:49
「源平布引滝」の通し上演は、歌舞伎では九月に新橋演舞場で海老蔵が主演したばかりである。それと比較するのもなんだが、海老蔵の義賢、実盛も悪くなかったのだなあと改めて感じた。どちらも完成された芸とは言い難いものがあるのだが、華やかさ見応えといったものは、海老蔵が断然勝っていたからである。
歌舞伎では仁左衛門が孝夫時代の出世作となった「義賢館の段」は、文楽では昭和45年以来の上演というから38年ぶりということになる。筋書に載っていた写真の文雀の若さに驚いた。歌舞伎では壮絶な立ち回りが見せ場だが、人形には残念ながら限界があって、芝居の発端という以上には面白さを感じることができなかった。
一番の原因は、この場面だけではないが大夫と三味線の非力さによると思う。特に「竹生島遊覧の段」の完成度の低さは耳を塞ぎたくなるほどだった。ある大夫の音声障害?と思えるような絶不調が原因なのだが、こうして消えていった大夫を何人もみてきたので、やがて淘汰されていってしまうのだろうか。
「九郎助内の段」は四人の大夫の語りわけである。次代を担う大夫の競演ということだろうが、睦大夫、文字久大夫、千歳大夫、咲甫大夫のいずれにも満足することはできなかった。やはり時間が必要ということなのだろうと思う。
人形陣は、玉男亡き後、大夫よりも人材に対する危機感があるのか、勘十郎、玉女、和生、清十郎といったところが本公演同様に主役を遣う。彼らの上の世代が、もう何人もいないので、必然的にそうした立場になるのだが、やはり20年、30年の時間は必要のようで、感動はなかった。周知の物語でも感動できるのは演者が、長年積み上げてきた芸の力に他ならない。それを突き抜けるような天才の出現はないものだろうか。満足気に帰る多くの観客の中で、イライラとしていた。何をやっても満員御礼、厳しい観客の目もない、ぬるま湯的な環境で何かが生まれるとは到底思えない。
2008-12-18 00:49
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