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劇団四季 春のめざめ [ミュージカル]2009-05-04 [ミュージカル アーカイブス]

2009年5月3日(日) 自由劇場 13時開演 15時30分終演

ベンドラ : 林 香純
マルタ : 撫佐仁美
イルゼ : 金平真弥
アンナ : 松田佑子
テーア : 有村弥希子
メルヒオール : 柿澤勇人
モリッツ : 三雲 肇
オットー : 加藤 迪
ハンシェン : 一和洋輔
エルンスト : 竹内一樹
ゲオルグ : 白瀬英典
大人の女性 : 中野今日子
大人の男性 : 志村 要

【男性アンサンブル】
伊藤綾祐
玉井晴章
【女性アンサンブル】
岸本美香
浦壁多恵

 四季の会の会報「ラ・アルプ」5月号に浅利慶太が「日経ビジネス」2009年3月23日号に掲載されていたインタビュー記事が転載されていた。ちょっと気になった部分があった。

 劇団四季の舞台に多くのお客様が来てくださる第一の理由は、台詞が明晰に聞こえるからです。演劇の感動の80%は、戯曲です。演出や俳優、音楽、美術など様々な要素は残りの20%の中にあります。台本が良くなければ、俳優がいくら頑張っても良い舞台にはなりません。
 ですから演劇で最も大切なのは、台本の言葉を正確に客席に届けることです。そのための方法論も徹底的に研究しました。ある時、親友の音楽家、小澤征爾君に優れたピアノ演奏の特徴を尋ねたら、「それは音の分離だ」と言われました。音量の大小ではなく、一音一音がしっかり分離していないと美しい演奏にはならない、と言うのです。
 これに啓示を受けました。舞台でも全く同じで、一音一音の分離ならば言葉が確実に客席に届きます。そして日本語の音は母音だけです。子音は口の形に過ぎません。そこで音を司る母音の分離を明晰にするための方法を考え、「母音法」を作り上げたのです。劇団四季の俳優たちは、この方法論で徹底的に鍛えられています。


 四季節と揶揄される四季の朗誦術は、この「母音法」と「折れ」で構成されている。「折れ」は台詞の中にある感情の切れ目まで一息でしゃべる台詞術。台詞には意識の方向が決まっており、それはきっちり「折れ」ていると言う考え方で、千々に乱れる物思いを表すものとしての息継ぎ(ブレスポイント)の取り方は重要だという考え方である。理論はごもっとも。音楽と台詞を同列に語る神経はどうかと思うが、劇団四季の新作ミュージカル「春のめざめ」を観て、改めて劇団四季の「母音法」と呼ばれる朗誦術に失望させられた。

 劇中に同性愛を告白しあい結ばれる場面がある。いわゆるBoys Loveなのだけれど、これほど感情のこもらない言葉が並んだラブ・シーンを観たことがない。いくら言葉が明晰に客席へ伝わったとしても、感情が全く伝わらないのでは、それは「死んだ言葉」でしかない。「死んだ言葉」で何を語ろうと、キリスト教の倫理観に反する同性愛の純粋さなど観客が理解できる訳がない。「愛」すら伝えられない方法論など早く棄ててしまった方がよい。

 『春のめざめ』というミュージカルで感じた不満はこの部分だけである。劇団四季としては冒険ともいえる内容のミュージカルを20代前半の若手俳優らが中心になり上演し、大きな感動をよんだことは賞賛に値する。本当に素晴らしい舞台だった。もう一度どころか、何度も観たくなるような深さがある。きっと何度も通い詰めるリピーターが大量に発生するだろうと思う。一度観ただけではわからない小技な演技が散りばめられていて、カルト的な人気も博しそうである。「えっ、あんなところであんな小芝居を…」というネタが満載である。

 天使が確認できた小芝居の数々。主人公の少年と少女が再会したシーンで、少年が持っている本をさりげなく動かして勃起した様子をさりげなく表現したり。自慰をして自分の手に出してしまった?ザーメンの匂いをかいでしまうとか…。テーマがテーマだけに際どいシーンが満載ではある。自慰行為、SM、近親相姦、同性愛、虐待、自殺、妊娠、堕胎、リストカット未遂、そしてそのものズバリのSEXも、ロープで四方を吊られた戸板?の上で衆人環視の中で演じられる。

 見方を変えれば「空中マナ板ショー」みたいなもので、ヒロインは乳房を露出し、ヒーローは尻を出して腰を動かし、昇天演技までも披露するのである。そしてご丁寧にも第1幕の最後と第2幕の冒頭にもくり返される。しかし、スマートに処理された演出のせいか、少しも嫌らしさを感じさせないで、とっても自然な行為に感じさせた。もっともブロードウエイでは、もっと濃厚な行為だったようで、劇団四季版はだいぶ大人しかったようだけれど…。これが劇団四季の舞台なのかと目が点になった観客もいたのではないだろうか。ちょっと修学旅行の学生達にも見せてあげたい気がした。 全体的に性的な表現は控え目で、性器の呼称もペニスとヴァギナと英語で言ったりする。さすがチンポにマンコとはストレートに言えなかった事が全てを物語っているような気がする。それにしても少年少女のSMシーンで暴力的なシーンは生理的に嫌だった。泉鏡花の「山吹」くらいにいっちゃていると、それはそれで面白いのだけれど…。

 劇場に入ると、舞台前面は階段状になっていて、舞台の上手と下手に観客席がある。ステージシート自体は珍しくはないが、観客に混じって、劇場係員が座っていたり。サプライズなゲストが紛れ込んだりしている。手の込んだことに普通の観客と同様に案内係に案内してもらったりするので、アンサンブルとして突然歌い出したりするのには驚く。ちょっとお洒落な格好と普通の観客とは明らかに雰囲気が違うので目立ってしまっているので直ぐにわかるのだけれど。

 舞台は三方向を煉瓦の壁に囲まれている。教室のようにも、壁のようにも、牢獄のようにも感じる閉塞感のある舞台装置である。壁面には様々なオブジェが飾られていて、さながら現代アートの作品を見るかのようである。これにも、きっと一つ一つの深い意味が隠されているに違いないのだが、丸くて中央にボッチのある照明器具は乳房のように、キャンドルの照明器具はペニスのように見えてくる。そうするとヴァギナは…。なるほどあれか?となかなかお下劣な想像力も刺激してくれる舞台装置である。ブラックライトまで使用した多彩な舞台照明が何もかも美しく照らし出していて素晴らしかった。

 舞台奧には、ピアノ、ギター、ベース、ドラムス、ヴァイオリン、ヴィオラ&ギター、チェロの七人のバンドが陣取る。第1幕と第2幕では床に敷かれたパネルが撤去されるなど大仕掛けではないが工夫があり、俳優が舞台端まで押し出されるワゴンがあったりする。

 芝居は主に中央で演じられ、演じていない俳優は舞台上の観客と一緒に座っていたり、客席で演技したりして飽きさせない。かつて西武劇場で福田善之が演出したストレートプレイの「春のめざめ」を観たことがあるが、ロックミュージカルだと、登場人物達の感情が体感できて興奮と昂揚がある。32年前でも、ちょっと古いと感じたヴェデキントが見事に現代に蘇った感じである。

 とにかく舞台に若さのエネルギーが溢れるのがよい。劇団四季の若手というと、お子様向けのミュージカルでお上品な歌とダンスを披露する優等生達というイメージがあったが、性をテーマにして劇団四季の枠を破った感じでなんとも心地よい。演出協力に浅利慶太とクレジットされているが、一体何をしたのか?濡れ場の監修で際どいシーンに、ストップでもかけたのだろうか。それだけ従来の劇団四季のイメージを打ち砕いた画期的な舞台ではある。

 さて母音法はともかく、若手俳優はいずれも歌が上手く魅力的である。とびきりのイケメンもいないし、とびきりの美人もいない。ヒロインのベンドラを演じた林 香純など、手つかずの素材といった感じで、オボコ娘を演じるにはうってつけの体型で幼いのに成熟した肉体というアンバランスさを上手く醸し出していた。さすがに三人の出演候補者から初日を任されただけあって悪くない。男性も女性も健闘以上の好演で爽やかな感動を呼ぶ。最後の最後で劇団四季が上演するにふさわしい作品だったのが分かる仕掛けで、命の大切さ、自分を支えていてくれる亡き友や愛する人というテーマに泣かされた。

 自由劇場という最適のサイズの劇場を得た幸福なミュージカルの誕生である。センセーショナルな売り方もできるのに正攻法で売っている姿勢も悪くない。二人で何役も大人を演じた中野今日子と志村要も同じ衣裳で、演じ分けるという難しい役で支えた功績も忘れてはならないだろう。何度も観たくなる舞台だと思う。

2009-05-04 00:05
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