ラ・マンチャの男 帝国劇場 1120回 [ミュージカル]2008-04-29 [ミュージカル アーカイブス]
イープラスの特別企画で2階S席ながら12,500円のところ10,000円でお弁当とお土産付きというのに惹かれて、本当に久しぶりに幸四郎の「ラ・マンチャの男」を観ることにした。お弁当には煮物、焼き物、揚げ物等が入っており、ちょっと豪華なコンビニの幕の内弁当というレベル。それにパック入りのお茶がついていた。ミュージカルにお弁当とお茶という発想が帝国劇場らしいというか東宝らしいというか田舎臭くてあか抜けない。お土産は帝国劇場の隣のビルにある某パテスリーのお菓子の詰め合わせである。チケット代が8,000円でお弁当とお土産が2000円といったところだろうか。まあ安かったので文句はない。
なかなか完成度の高い舞台で感動的だったが気になったことがいくつか。まず舞台はオーケストラピットに張り出し舞台が出ていてオーケストラは上手と下手に分かれている。序曲が始まると指揮者が舞台中央に立って指揮をする。もっとも楽員はパーカション担当以外は指揮者を誰も観ていないという珍妙さ。たぶん小型のモニターが譜面代のところに設置されているのだろうが指揮者が舞台中央に出張する必要があるだろうか?しかも最後は振り返ってポーズを決めるのである。仮面ライダーかと思った。可笑しくて大笑いしたら周囲から睨まれてしまったような…。
カーテンコールも何度かくり返され、1階席はスタンディングオベーションだったような…。そしてセルバンテスの扮装のまま「見果てぬ夢」を英語で歌うというオマケつき。前からやっていたパフォーマンスだろうが、せっかくの感動が台無しになる。劇中だから感動できるのであって、カーテンコールにサービスのつもりか歌う神経が理解できない。確かにブロードウエイで主演したのは勲章だろうが、自慢したいのかと突っかかってみたくなる。
そして幸四郎が引っ込んで、オーケストラが後奏を始める。歌舞伎で言えば追い出しのお囃子みたいなものだから、BGMとして聴きながら会場を後にするというのが粋だと思うのだが、最後まで聴かなきゃ損と思っているのかなかなか通路側の人が立ってくれて困った。
肝心のミュージカルの方だが、幸四郎と松たか子の登場している場面は完璧。歌舞伎の時代物と世話物の台詞回しを駆使してみたり、見得のようなものあったり、立ち回りも歌舞伎役者である幸四郎の美点が活かされていた。
松たか子も歴代のアルドンサの中では出気色の出来ではないだろうか。成熟した女というよりも野性味のある若い女という役作りが本来はふさわしいのだろう。歌唱も地声と頭声を上手くコントロールしていて聴かせた。
残念ながら他の出演者の場面では、歌唱の不安定さや芝居の上手さにバラツキがありすぎて楽しめなかった。キホーテのラ・マンチャの邸で、姪のアントニアやアラスコ博士が出奔したキハナ老人を心配している場面。その後の宿屋で、アルドンサにむかいサンチョが主人を想う心を吐露していた。「旦那が好きなのさ……」〈本当に好きだ〉アルドンサにはさっぱり分からない。なぜ自分がドルシネアなのか、だからといってどうだというのかといった場面は舞台が弾まなくて全く不満。
幸四郎が登場すると舞台の空気が一変するのだから、やはりミュージカルにはスターが必要なのかもしれない。「夢は稔り難く、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん」と歌われる「見果てぬ夢」は圧倒的な感動を与えてくれた。今回一番感心したのは「あるがままの自分」と「あるべき姿の自分」を語るセルバンテスが戦場での体験を述べる部分である。とても新鮮に感じられたし深さがあった。この作品が生まれた1960年代の時代背景といったものにまで思いがいって感慨深い。
以前は帝国劇場の食堂街に配慮したのか途中で休憩が入ったが2時間ノンストップというのも役者には辛いところだろう。あの暗くて長い階段を下を見ることなく降りてくる幸四郎はたいしたものだが、いつか降りられなくなったらミュージカルは引退となるのだろうか。後継者は?ハテ誰がいるだろうか?
2008-04-29 23:38
なかなか完成度の高い舞台で感動的だったが気になったことがいくつか。まず舞台はオーケストラピットに張り出し舞台が出ていてオーケストラは上手と下手に分かれている。序曲が始まると指揮者が舞台中央に立って指揮をする。もっとも楽員はパーカション担当以外は指揮者を誰も観ていないという珍妙さ。たぶん小型のモニターが譜面代のところに設置されているのだろうが指揮者が舞台中央に出張する必要があるだろうか?しかも最後は振り返ってポーズを決めるのである。仮面ライダーかと思った。可笑しくて大笑いしたら周囲から睨まれてしまったような…。
カーテンコールも何度かくり返され、1階席はスタンディングオベーションだったような…。そしてセルバンテスの扮装のまま「見果てぬ夢」を英語で歌うというオマケつき。前からやっていたパフォーマンスだろうが、せっかくの感動が台無しになる。劇中だから感動できるのであって、カーテンコールにサービスのつもりか歌う神経が理解できない。確かにブロードウエイで主演したのは勲章だろうが、自慢したいのかと突っかかってみたくなる。
そして幸四郎が引っ込んで、オーケストラが後奏を始める。歌舞伎で言えば追い出しのお囃子みたいなものだから、BGMとして聴きながら会場を後にするというのが粋だと思うのだが、最後まで聴かなきゃ損と思っているのかなかなか通路側の人が立ってくれて困った。
肝心のミュージカルの方だが、幸四郎と松たか子の登場している場面は完璧。歌舞伎の時代物と世話物の台詞回しを駆使してみたり、見得のようなものあったり、立ち回りも歌舞伎役者である幸四郎の美点が活かされていた。
松たか子も歴代のアルドンサの中では出気色の出来ではないだろうか。成熟した女というよりも野性味のある若い女という役作りが本来はふさわしいのだろう。歌唱も地声と頭声を上手くコントロールしていて聴かせた。
残念ながら他の出演者の場面では、歌唱の不安定さや芝居の上手さにバラツキがありすぎて楽しめなかった。キホーテのラ・マンチャの邸で、姪のアントニアやアラスコ博士が出奔したキハナ老人を心配している場面。その後の宿屋で、アルドンサにむかいサンチョが主人を想う心を吐露していた。「旦那が好きなのさ……」〈本当に好きだ〉アルドンサにはさっぱり分からない。なぜ自分がドルシネアなのか、だからといってどうだというのかといった場面は舞台が弾まなくて全く不満。
幸四郎が登場すると舞台の空気が一変するのだから、やはりミュージカルにはスターが必要なのかもしれない。「夢は稔り難く、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん」と歌われる「見果てぬ夢」は圧倒的な感動を与えてくれた。今回一番感心したのは「あるがままの自分」と「あるべき姿の自分」を語るセルバンテスが戦場での体験を述べる部分である。とても新鮮に感じられたし深さがあった。この作品が生まれた1960年代の時代背景といったものにまで思いがいって感慨深い。
以前は帝国劇場の食堂街に配慮したのか途中で休憩が入ったが2時間ノンストップというのも役者には辛いところだろう。あの暗くて長い階段を下を見ることなく降りてくる幸四郎はたいしたものだが、いつか降りられなくなったらミュージカルは引退となるのだろうか。後継者は?ハテ誰がいるだろうか?
2008-04-29 23:38
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