文藝春秋五月号 坂東三津五郎 復帰手記 膵臓がんでも務めあげた「約束の舞台」を読んで [歌舞伎]
2014年4月10日付 朝日新聞の夕刊に掲載された歌舞伎座の劇評は相変わらず酷かった。「三津五郎の所作、きっかり」と題された割には、「寿靱猿」は病癒えた三津五郎が猿曳きを踊る。この人のきっかりとした折り目正しい所作は少しも衰えを見せない。としか書いていない。巳之助の成長ぶりなどふれても良いと思うのだが。
その一方で、幸四郎の「髪結新三」には紙面の半分をさいている。この朝日の天野道映なる評論家氏の詩人の魂が刺激されるのか、毎回文学的な表現?に唖然とさせられるのだが、「弥十郎の海千山千の家主が、日陰者の鋭く繊細な美学をたたきつぶすのが痛快で、またいっそ新三がいたましい」ときた。一体この人は何を観れば、このような世迷言が書けるのか不思議である。
新しい歌舞伎座になって「髪結新三」が上演されるのは2度目である。初回は昨年8月の納涼歌舞伎で三津五郎が松緑直伝の「髪結新三」を演じた。その公演中、実は膵臓がんだと診断されていたにもかかわらず、亡くなった親友の勘三郎との「約束の舞台」に立ったということが、現在発売中の文藝春秋に手記として語られている。三津五郎が膵臓がんで休演と聞いたとき、多くの歌舞伎ファンは勘三郎のことを思い出し、今また三津五郎が病に倒れてしまったのかと驚きと落胆が重くのしかかったきたものである。
そうした裏側の事情を手記の中で語っていて、幸いにも早期発見により命拾いしたということのようだ。勘三郎とともに年齢を重ねることによって、ようやくたどり着いた踊りの境地を共有する機会を永遠に失ってしまったことなどが語られ心を大いに揺さぶられる。
そして三津五郎になって始めた俳句のおかげで「髪結新三」の中に黙阿弥が江戸の梅雨の風情を実に見事に取り込んでいるのに気がつくエピソードは興味深い。「日陰者の鋭く繊細な美学」だの「新三がいたましい」といった表現がいかに薄っぺらいものかわかる。天気によって心映えが変わってくる。そこに新三の二面性が出せる。というのは実際に演じた役者だから書けることである。松緑没後25年の年に、教えを受けた新三で賞をもらって、少しはご恩返しができたかなと思う部分には泣かされた。
弟子の三津之助の死や息子の巳之助の成長が語られ、最後にこう結ばれる。
そういう意味では、一つ一つの役との向き合い方が変わってくるでしょうね。いつものようにやってきたことが、もしかしたらこれが最後かもしれないとなると、今まで以上に大切に演じなければならない。
決意表明はさらに続くのだが、歌舞伎ファンは是非全文を読まれることをおすすめしたい。以前はバレエも高い跳躍や超絶技巧にばかり目がいっていたが、実はバレエが本当に面白いのはふわっとした雰囲気のようなものだということに最近気がついた。三津五郎の踊りも同じで、「獅子奮迅の働きをして拍手喝采を得るというものではなく、きちっと古格を守って、楷書の芸をやりながら、そこのおのずとにじみ出る興趣、あるいは味わいを尊ぶという行き方です」と語る。今月の歌舞伎座の演目が典型らしい。必見である。
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