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ドン・ジョヴァンニ 中国の不思議な役人 火の鳥 東京バレエ団〈ベジャール・ガラ〉 東京文化会館 [バレエ]

モーリス・ベジャール没後5年記念シリーズと名付けらた公演。東京ではベジャール作品だけだが、東京バレエ団全国縦断公演2013ということで、三つのプログラムが用意されているようだった。Aプロは、「中国のの不思議な役人」、「火の鳥」/「ギリシャの踊り」、「ドン・ジョヴァンニ」。Bプロは、「テーマとヴァリエーション」、「スプリング・アンド・フォール」、「ボレロ」。Cプロは、「テーマとヴァリエーション」、「ギリシャの踊り」、「ボレロ」である。

福岡と横須賀がBプロで、佐世保、岸和田、宮城、帯広はCプロを上演する。上野水香、高岸直樹、後藤春雄が主演する「ボレロ」がメインの演目になるのだろうが、モーリス・ベジャール・バレエ団が3月に上演するとあっては別の演目を用意する他はなかったのだろう。いつもは、外国人の著名ダンサーを招いて公演をすることの多い東京バレエ団だが、今回は小林十市を除いて自前のダンサーだけでの公演である。観客動員の面では芳しくない結果だったようだが、舞台成果は小林十市の1回だけの出演、木村和夫の最後の「火の鳥」ということもあって、一期一会の名舞台となったように思う。

「ドン・ジョヴァンニ」は、モーツァルトのオペラ曲をモチーフにしたショパンの音楽によって踊られる女性だけのバレエ。ピンクの稽古着のダンサー達が稽古場またはステージで、目に見えないドン・ジョヴァンニに憧れるという詩的な作品。シルフィードに扮したダンサーが現れるかと思うと、ハシゴを持った裏方が登場したりと、なかなか観客を楽しませる仕掛けもあって面白いはず。

上野水香をはじめとするダンサーは、なかなか個性を発揮して作品の面白さを伝えるといった域まで達していなくて、単調な上演になってしまった。観客に向かって何を伝えたいのかが、なかなか伝わってこないのが、もどかしかった。

それと対照的だったのは「中国の不思議な役人」に、一日だけ特別出演した小林十市である。たった一回の出演だけに、その集中力と何かを伝えたいという気持ちの入り方は尋常ではなかった。幕開きから緊張感をはらみ、最後まで観客にの目を釘付けにした力量は並大抵な事ではない。

まず舞台を引っ張ったのは、無頼漢の首領を演じた後藤春雄と第二の無頼漢ー娘を演じた小笠原亮。鋭角的な切れ味の良いダンスと演技で、摩訶不思議な世界にアッという間に観客を連れ去ってくれた。オーケストラ・ピットを舞台面まで上げて演技スペースを大幅に客席へ近づけた事も効果を上げていて、迫力が増していた。

そして小林十市の中国の役人が登場すると、さらに場の空気が一変してしまう。全身から発散される、なみ並ならない緊迫感、観客の心を締め付けずにおかない哀しみ。ベジャールの初演時に創作の現場にいた人だけに、ベジャールの深い世界を見事に表現していた。それに触発されたのか他の出演者の演技も素晴らしいものだった。

確かに小林十市のダンスには、全盛期の切れ味はないかもしれないが、それを上回る深さがあった。その存在感に圧倒されたからか、バレエの結末は記憶から飛んでしまって、さてどんなバレエだったかというと語る自信がないのが、小林十市に集中してしまっただけに唯一の欠点という事だろうか。

最後に賭けるという意味では、「火の鳥」の出演に終止符をうった木村和夫も見事な名演を観客の記憶に残した。火の鳥として復活し、出演者が全員つながって感動的な幕切れまで集中力を切らさずに踊りきる姿は感動的である。その一方で踊り納めにしてしまうのも仕方がないかと思わせる場面もあって、ダンサーの命というものの儚さを作品に重ね合わせて観た。

若い世代へのバトンタッチともなったこの公演。「中国の不思議な役人」でジークフリートを演じた柄本弾はフェニックスも踊って、今後に期待を抱かせる逸材であることを証明してみせた。さらに目を引いたのは宮本祐宣で、しなやかで個性的なダンスで1番目立っいたように思う。

作品全体の出来では「中国の不思議な役人」を上回っていたように感じたが、ダンサーの存在感では一歩譲った格好である。ベジャールの作品を上演する理想としては「火の鳥」が正しいが、感動は「中国の不思議な役人」の方が優っていたように思う。
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