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再現・その1 NHKラジオ深夜便「輝いて生きる」 畑中良輔・更予米寿&卒寿記念コンサート  [エッセイ]

収録(インタビュアー:水野節彦)
2010年3月2日(火)自宅にて

放送(アンカー:石澤典夫)
2010年3月10日(水) 午前1時12分より

(敬称略)

水野 この前の2月12日、88歳の誕生日のコンサート、あの時の先生の声をですねえ、私、今でも忘れないんですけれど。すっごい色気があった。こんな言い方よくないですか?

良輔 色気っていっても、普通女性に言うもんだけれどねえ。老人に色気があるの?

水野 まろやかな声でね。どうしてこんな声がでるんだろう?

良輔 そりゃあ、やっぱり、初めから発声ちゃんとやっていたから身体が覚えていますから。

水野 あのコンサートのために、相当練習もされたんですか?

良輔 まったく、家で練習するってことは、この何十年ありません。そのまんまステージへ行って、そのまんま歌 ってますから。

更予 それ本当なんです。あのねえ、もう何にも稽古する暇もないでしょう。それでねえ、ステージでね、どんなになるか、とにかく心配ばっかりしている。平気で普通のまんまです。だから特別なことしていないんです。ああゆう人なんです。

良輔 あのねえ、80を過ぎてくるとねえ、失敗しても何しても「ごめんなさい」って言えるんですよ。これはねえ、まだ、60、70の頃は生徒教えたり、こんな発声したりダメだとかそういう事を教えるでしょう。それ悪いことをこっちがすることもあるわけ、Easy gooingを、そうしたら居直ていうと言葉悪いんですけれど、もう無碍自在、このある自分を聴いてください。やっぱ80すぎるとね、なんでも自然になっちゃう。ですね、まあ、僕の場合は構えるってこと全くない。構えないでどんな人にも会えるし、だいたい僕、その人と仲良くなれる性質で、本当自分ながらね、いい性質に産んでくれたな。親には今頃感謝しています。どんな人とも、そのまんまスッと入っちゃえるから。

水野 奥様、そうですか?

更予 私、わからないけれど、だけど、もうとにかく、普通の人と違うことだけは確かです。なんていうのか…。

良輔 違わないって、普通だって。

更予 私、わからない。へへっ、そういうこと?

水野 今さっき、私、色気があるって申し上げたんですけれど、奥様はどうですか?

更予 色気ってなんだかわかんない人なの。

良輔 彼女は可愛いですよ。ステージでね、90なんて思えないじゃないですか。で、この声が第一もう90の声じゃないでしょう。

更予 そんなこと言ったって。

良輔 若いっていうこと。だから声の色気はこっちの方があるんですよ。

更予 何言っているのよ。もう、声なんてねえ、あの今、あのピアノと同じ音が一音もでないんです。もう歌は「ハトポッポ」も歌えないんです。本当に。

良輔 ちょっと喘息やったもんでね。

更予 喘息でね、三回も死ぬ目にあって、声帯破いて、今、こうやって、しゃべることしかできないんですね。しゃべる声が歌の場所でしゃべっているから、お元気ですねって言われるから、ちょうど弱っている声出したいけれど、そこ出ないの声が。だから、お元気ですねって、こっちが弱っているのに言われちゃうんです。

水野 先日の2月12日の舞台でもね。

更予 もう3時間半前に、あのミサをしていただいて、そのとき神父様がねえ、凄い大きな声を出していただいて、私もミサ台で凄い大きな声が出たから、じゃあ大丈夫だなあと思って。それまで全然もう、あのこの人と反対に、どうなるかわかんないままで人前にでるっていうのは、怖いんですよ。

水野 本当はあそこは、朗読をしてくれって言われていた所なんですか?

更予 いあやだから、朗読なんかしませんでした、だって、変な声で朗読するよりか、生徒たちに歌ってもらったほうがいいから、問題は私の初めてのリサイタルに、この人が書いてくれた詩と、それから中田喜直君が、それに作ってくれた曲ですね。それが「四季の歌」で、それを「青の会」の主催だから、「青の会」の人たちに歌ってもらうって、それを良輔に秘密にして、それで当日に秘密にしてやったんです。そのために、すごい疲れたんです、もうねえ。

良輔 なんかサプライズって言って、何やるのって聞いても「ヒ、ミ、ツ」なんて絶対教えてくんないから、私もプログラム書きようがない。

更予 そうして、自分たちが出ないのに、切符を売ってくれて、その人たちお気の毒だったんですけれど皆さんが協力して、良輔に秘密が面白い面白いって言って、それで当日は、あの紀尾井ホールのスタッフ方も皆さんが協力して、「今、先生いらっしゃいましたよ」なんて言って

良輔 なんでも秘密にしていた。

更予 それで、お化粧したりしているのを、良輔に見つかると、出演者じゃないのに、なんでイブニング着ていると、大変って、みんなでパアッ逃げていって、「あっ、良輔先生大丈夫です」急いでエレベーターのところにいって、上の方に逃げていったりして。

良輔 子供みたい、子供っぽいんですよ。

水野 でも、知らぬは亭主ばかりなり、

良輔 ううう~ん。

更予 私のできることって、そういうことしかできないんです。

水野 でも、羨ましいですね。

良輔 まあねえ、お互い子供っぽいところがあるから。

水野 それは大切なんじゃないですか。

良輔 まあ、無邪気さがありますから。

水野 そうですね。ところで、その色気のある声って、私申し上げてしまったんですが、やっぱり良い声ってありますでしょう。いくつになっても、これはやっぱり持続するっていうのは、先生は何もやってないとおっしゃいましたけれど。

良輔 でも、自然に話しているときに、ええ、こっち響かせるように、普通の会話でも、やっぱり声楽やっていれば、響きがついてくるんじゃないですか、地声で「アッ~」って言う声は使えないじゃないですか。

水野 おしゃべりの時と司会している時と何やっているときも。

良輔 全部同じです。同じポジションでやっているから、そのまんま司会しながら、すぐ歌っちゃうし。

更予 そうです。だから私も、ひとつの音からひとつの音に移るでしょ、音楽ってね。それがひとつの所におしゃべりするようにポンポンポンていうのはできる。でも、のど声っていうでしょう。いい喉っていいますね、それ日本語にだけにあるのね。だからノドで歌うじゃなくて身体で声を出す。それが声楽。だから、政治家やなんかのもう汚い声聴くとね、もう死にそうになっちゃう。

良輔 ひどすぎますよね。

更予 だけど外国人の外国語聞いていると、とっても良くわかるのね。喉開いて、歌うところとおんなじところでしゃべってる人の方が多くて、たまに汚い声の人がいる、それが日本人のノド声とおんなじところでしゃべる人、たまにいますけれど、少ないです。

良輔 よく議員さんなんかね、僕、随筆に書くんだけれど、ちゃんと水曜日の午前中は発声の時間というのを議員さんに課して、ちゃんと声をトレーニングして欲しいなあと思うんです。聴くに耐えない声出すと、やっぱり、いくら良いこと言っても、切っちゃいます。

水野 なんかインタビューしにくくなりましたねえ。

良輔 でもねえ、全然発声やらっていうのは、音楽始めた頃は、やっぱり基本的な発声はしっかり、私はヴーハーペーニヒ先生っていうドイツ人の先生、本当にもううるさいうほど、発声、やかましく言って、そこから無碍自在の歳とともに、肩に力抜けてくるっていう、まるきし、基礎がないわけじゃないと思う。

更予 でも、私は教えていただいたことがないで、赤ん坊の時に、 オギャーって泣いたままのそのままです。だから、ノド声なんてノドが通り道でねえ、ノド開くなっていうのは、わかんないの。このまんまなんです。だから本当にねえ、あの先生に教わったっていう経験がないの。

水野 でも、奥様がソプラノでいらっいますよね。

更予 そう、教わらない先生に、教えない先生についたんです。それが幸せだったんです。だから本当にねえ、わがままの自分勝手のだから音楽の教養もないから、辞めたいなんて思っているんです。

水野 何をおっしゃいますか。

更予 ナチュラルでねえ。自然に思うまんまに生きているし、ずっと私ってわがままでね、勝手なんです。本当に。

水野 ただ、この前のリサイタルの時に、練習風景をちょっと拝見したんですけれど、あの合唱団を教える時の先生の態度ね、椅子席で見ていましてねえ、へえ、そこまで言うのかってねえ、凄い怒っていらっしゃるんですね。

更予 だから、この人、教育者なのね。だから芸術家っていうよりか、やっぱり教育者としては凄く優れていると思うのね。私は、教育者なんて全然関係ないんです。全然出来ないの。あの、わがまま勝手に生きてきましたから。

良輔 教えることが好きなんですね、僕はきっと。うちの母が…、

水野 あそこまで言うかって、

良輔 あそこまでって、本当に言ったら、あれほんの100分の1ぐらいですよ。稽古のとき、僕は狂いまわっているのは。

更予 それがこの人の元気の源だと思う。

水野 そうですねえ。

更予 そうです。

良輔 で、僕の母が琴、三弦の師匠もやって、もうちっちゃい頃から、母が稽古つけているの横で見てました。やっぱり教えるってことが、身にしみてたのかもしれないですね。子供の頃から。

水野 でも、今の若い人はですね、あんまり教えてギャーギャー言うとですね、皆やめてっちゃう。

良輔 そうなんですね、忍耐心がないし。

水野 そこは先生はあえて、ドンといかれる。

更予 でも、良輔が言うとね、他の先生が言ったんじゃダメなのね。良輔が言うと、やっぱり聞くということがあるんですね。だから、そのうるさく言う言い方にもあるんですよね。この人、やっぱり結婚したばかりの時もね、教えることが好きだって言って、今日はレッスン日だっていうとね、この人嬉しいの。私、ああ今日は生徒が来るやだなあって、教えるっていうのが大嫌いなんです。

水野 奥様は教わったってことがないですか?

更予 だから先生は、教えない先生についたの。

水野 良輔先生から。

更予 良輔より、私の方が上級生でいばってたんですのよ。

水野 米寿と卒寿で

良輔 そうですよ、姉さん女房、頭いいからねえ。僕は低能児だから。

更予 頭いいなんてとんでもない。頭悪いから、今こんなになっているんじゃない。

水野 俺がほれたんだって。おっしゃってましたね。

良輔 彼女の歌聞いたらね、本当に世界最高の歌うたってた。女房にそんなことは言わない。今言うけれども。


(つづく)
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Tsukuda Yasuhiko

RE:ラジオ深夜便 2010-3-10 畑中良輔・更予 「輝いて生きる」
・貴重な記録を拝見させていただき、心からお礼申し上げます。
・2005-8の「私の音楽人生」は音源で持っていました。
・畑中先生には、慶應ワグネルで4年間、その後OB合唱団でもお亡くなりに
なるまで教わりました。
・大学のどの先生よりも、真の教育をして戴いたと感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
by Tsukuda Yasuhiko (2014-06-14 08:17) 

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