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銀のかんざし 殿様茶店の恋日和 年忘れ喜劇特別公演 新橋演舞場 [演劇]

今年も師走の新橋演舞場は、藤山直美の喜劇公演である。昔ながらの商業演劇がなかなか上演されない時代の中にあって、一人で奮闘している彼女なのだが初日とはいえ、空席の目立った客席、しかも高齢者の観客が大半とあっては、松竹新喜劇の名作上演も演劇界の絶滅危惧種となる運命なのだろうか。

演目は二つのみで昼と夜は同一である。昼と夜で六演目、しかもリクエスト上演などという破天荒な試みを体験している観客としては寂しい限りである。もっとも、この公演は松竹新喜劇の劇団による公演ではないので、お目当ての藤山直美の芝居が観らられれば良いという観客にとっては、1時間20分の芝居が二つで、40分の幕間を含めて3時間20分で終了する方が好都合なのかもしれない。

『銀のかんざし』は、藤山寛美と酒井光子で上演されてきた館直志の名作中の名作である。残念なことに実際の舞台を観る機会がなくてナマの舞台で観るのは初めてである。良い腕の大工でありながら、年上の髪結のヒモ同然の暮らしを続けている男を薪車、嫉妬深くて男が自分から離れて行ってしまうのを極端に恐れる女主人公を直美が演じる。すでに関西では演じている演目なので安心して観ることができた。

圧巻なのは、第三場で昆布巻屋から男が自分を裏切っているかもしれないと知らされて、丼で酒をあおり、やがて剃刀を持ち出して直談判にでかけ、結局は正体なく寝てしまうまでの直美の芝居である。ほとんど台詞もない場面ながら、彼女の気持ちが痛いほどに伝わってきて泣かされる。
なるほど、こんな女なら男が放っておくはずがないというほどの快演である。この芸を観るだけでも劇場に足を運ぶ価値があるというものだ。勘三郎あたりと悪ふざけのような芝居をしている彼女とは別人のようである。

対する薪車は、甘いマスクと歌舞伎仕込みの確かな演技で直美を支えた。直美との共演は東京では初めて。歌舞伎での立ち位置も竹三郎の部屋子と微妙なので、今後はどうなるのか未知数だが、なかなかいないタイプだけに大きな人気を得るかもしれない。

脇役では小島英哉が手堅く演じ、レッツゴー長作、いま寛太など個性的な顔ぶれが揃ってはいるのだが、序幕の井戸替えの場面など、主役が登場するまでに劇場内を温め芝居をしやすくするという風にはならないで、夏の場面なのに隙間風が吹いているようだったのは、寄せ集めの集団だからなのか残念な結果となった。その時代の空気といったものを伝えられないと芝居が成り立ってくれないからである。

新派と同様に定式幕、下座音楽、ツケ打ちなど歌舞伎の要素がふんだんに入ったのが『殿様茶屋の恋日和』である。お忍びで城下に現れる殿様と盗賊が瓜二つ。殿様とも知らずに義兄弟の盃を交わした駕籠かきが、賞金欲しさに訴人するしないの葛藤。盗賊と捕手の大立ち回り、それにからむ奥方、茶屋娘、女盗賊の三役を直美が演じるという内容。

直美にあわせて脚色されたようだが、結局は殿様と奥方が元の鞘に収まってという結末なのだが、いろいろ盛り込みすぎたのか芝居の焦点がボケてしまって盛り上がりに欠けたようである。見せ場であるはずの大立ち回りも、基本的には歌舞伎の立ち回りをベースにしているのだが、なにしろ捕手が歌舞伎の人々ではないので、音楽に乗って動くという部分が徹底されていないので味気ない。様々な手が盛り込まれている割には冗漫になってしまって、せっかくの薪車の大車輪の活躍も生かされなかったように思う。

特に残念だったのは、藤山寛美の殿様とも共演した小島秀哉と小島慶四郎と、薪車の芝居がうまくかみ合わなくて兄弟の盃をかわすあたりが盛り上がらなかったことである。きっと藤山寛美となら大いに客席をわかせたことだろうと想像する他はなかった。直美の出番も少なくて大爆笑を期待していた観客も不完全燃焼だったのではなかろうか。

何故か定式幕が薄い緑、ワインカラー、薄紫という不思議な色合いだったこと。薪車の台詞回しが何故か二枚目を演じる猿之助に似ていたことなどが印象に残った。二演目とも良い芝居なのだが、演じる方も観て受け入れる方も難しい時代になったようである。そうした中にあって、藤山直美の髪結いのおかつの名演技だけが一段と輝いていて大満足させてくれた。




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