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歌舞伎座で出会った人々 [歌舞伎]

 きっと今頃は…。と歌舞伎座の千秋楽の舞台を思い浮かべながら過ごした一日だった。発売当日にWEBで第3部の2階席最前列のチケットにまでたどり着きながら、PCの動作が止まってしまって結局買い求めることができなかった。それでも歌舞伎座の閉場式のチケットは購入できたのだから幸運な方ではある。

 天使はチケットWEB松竹でチケットが買えるようになるまで、もっぱら当日券で歌舞伎を観ていた。首都圏に住んでいるとはいえ、前売りの日に行列して買うことができなかったし、休みも不規則な仕事だったので、いつ休めるのか直前にならないと分からない状態が続いたからである。また、前売券が売り切れでも、当日売りの補助席があったし、「戻り」といわれる席が買えるので、驚くほど良い席が手にはいることも多かった。しかし、そうした良い席を手に入れるためには、当日売りの必ず先頭に並ぶ必要があった。悪くても2番目。3番目以降では、そうした幸運を手にする確率が減った。

 天使が歌舞伎を見始めた昭和54年頃は、観客が少なく、平日の3階席には前2列にお客がまばらにいるだけで、後方の席はすべて空席などということが珍しくなかった。ゼネストで電車が動かなくなったときなど、歌右衛門の「京鹿子娘道成寺」だというのに、3分の1程度しか客席にお客がいないこともあった。

 当時は今のチケット売り場が前売り専用で、上手側の入り口脇(現在の切符預かり所)が1等・2等売り場、下手側の入り口脇のチケット発券機が2台並んでいる場所が、3等席の売り場だった。当日売りは、チケットの束を係員の女性が一枚一枚繰りながら選んでくれるシステムだったので、発券時間の短縮のために、2箇所に別れていたのだと思う。やがて上手側にチケット売り場が集約され、コンピューター発券になると同時に、現在のチケット売り場に当日券も移動した。

 昭和54年頃は、平日ならば10時の発売時間の15分前に行っても誰も並んでいないことは珍しくなかったが、売り場が統合される度に、先頭になるためには、発売前30分、60分、90分と長時間並ぶことになり、最終的には朝の8時から並ぶことが習慣になった。それは歌舞伎の人気上昇と比例していたようである。2時間前なら休日であっても、先頭になることができたが、新之助の「源氏物語」の上演の際には、朝5時に行っても徹夜組のために、10番目などということもあった。興行内容により行列の長さがまったく違ったのも面白い現象だった。

 チケットWEB松竹が稼働してからは、もっぱらPCでチケットを取ることになって便利になった反面、暑さ寒さにひたすら我慢しながら並び続けてチケットを手に入れるような喜びはなくなっていったように思う。それは、最愛の彼が亡くなったのと同時期で、愛する人と劇場へ行くことの楽しみが奪われたのと同じ頃であった。

 さて、そうした憂いの時期を救ってくれたのが、Cypressさんとの出会いだった。元々筋金入りのクラシックファンで、Concertgoerだったのだが、現在は天使以上の歌舞伎のTheatergoerである。大阪、京都、名古屋、東京と歌舞伎の舞台を見逃さない人になっている。そんなCypressさんを初めて歌舞伎座に連れて行ったのが天使だということは、大いに誇らしく思う。

 歌舞伎座でみかけた有名人を上げておこう。1986年5月、歌舞伎座・團菊祭・夜の部を来日中の英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃がご覧になった。天使も客席からダイアナ妃を拝むことができたのだが、ピンクの帽子と洋服がとってもチャーミングだった、中幕だった「勧進帳」が最初に上演されたものの、お二人は冒頭の30分ほど観ただけで、次の訪問地へ慌ただしくでかけて行った。驚くような警備の多さ、そして追っ掛けのファン、お二人が立ち去った瞬間に、上演中にもかかわらず客席を覆ったざわめきが思い出される。

 多くの有名人をみかけたが、劇場の天使らしく、オペラ歌手とバレエダンサーをあげておこう。オペラ歌手は、ヘルマン・プライ。幕間に2階のロビーを歩いていたら、客席のほうから一人でヘルマン・プライがひょっこり現れた。こちらが目を丸くして驚いているとニッコリ微笑んでくれた。歌曲「冬の旅」を最後に歌いに来日した時だったと思う。バイエルン国立歌劇場の「ニュルンベルクのマイスター・ジンガー」のベックメッサーを観てから、すっかりファンになってしまっていた天使は、「何故ここにプライ?」とすっかり舞い上がってしまって、下手な英語で話しかけてしまった。そんな馬鹿な天使にも親切に対応してくれたプライは、本当に心の温かい人だったのだと思う。

 ダンサーはミハイル・バリシニコフ。NBSの広渡さんに連れられて、最後の世話物だけを1階席の西側の桟敷席の前に並べられた補助席で観ていた。観客のほとんどは気がつかなかったらしく、気もそぞろになって舞台にまったく集中できなくなってしまったのは天使だけだったようである。ミーハー丸出しで握手してもらった手のひらが、意外にゴツゴツしていたのが印象的だった。

 2010年4月28日で歌舞伎座の本興行は千秋楽を迎える。ただいま20時55分。最後の「助六由縁江戸桜」も佳境に入ったことだろう。3年後に完成する新しい歌舞伎座に思いをはせるたびに、かつて当日券売り場に並んでいたときにお話しした老婦人の言葉を思い出す。

 團十郎襲名が発表された後のことだった。
「私は海老蔵のファンなの。もちろん、お父さんの團十郎のファンだったよ。いま82歳だけれど、来年の團十郎の襲名を見届けるまでは死ねないわ。だから毎日、毎日元気でいられるように体操しているの」
と少女のように微笑んだ。

 その時は、別にそんなに気負わなくてもと思ったが、自分自身が歳を重ねると違った風にとらえている。新しい歌舞伎座で何としても芝居を観たいと思う。そのためには、健康で、事故や天変地異にもあわず、丈夫に平穏に生きていたいと心より願っているのである。もう自分に残されている時間を意識しないわけにはいかない。

神様、もっともっと歌舞伎をみせてください。いつまでも、いつまでも。
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