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ブル先生の日々是好日~荻窪ラプソディー~13 を読んで [音楽]


音楽の友 2010年 05月号 [雑誌]

音楽の友 2010年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 2010/04/17
  • メディア: 雑誌


 畑中良輔先生の「音楽の友」の連載である「ブル先生の日々是好日~荻窪ラプソディー~」の5月号を読む。前半は入院の模様、後半は「米寿と卒寿のコンサート」の出来事だった。当日は最前列で詳細に見たことなので感慨深いものがあった。多少、順番が事実と違う部分もあるのだが、以下のような事情では仕方がないことだったろう。

入院中にステロイドを処方され、筋力が低下し歩行が困難になっていた先生が、倒れたときの模様を以下のように書かれている。

 「富士山」が無事に終了。網川立彦が釈超空の詩による歌曲を歌い終えたあと、私は次の大川隆子が歌う和泉式部の和歌の解説に舞台へ出た。解説を終えて下手へと向きを変えた拍子に、私の両足が身体を支えきれなくなってバランスを崩し、マイクを握ったままフラフラと尻餅をついて、ゴロンと後ろへ転倒。「ゴツンッ!」という音がホールへ響き渡った。 驚いて駆け寄ってスタッフに抱えられて席に戻ったが、瞬間、脳震盪を起こして失神していたらしい。気がついたものの、自分が今どこにいるのか、何をしているのかサッパリ分からない。「今何やっているの?」と隣席の息子からプログラムを貰って見ると、自分の名前が書いてある。 「えっ?誰が歌うの?僕が歌うの?これが今日のプログラム?」と、まだ正気ではない。蒼白になった息子が「歌うのは止めた方がいい」と盛んに止めに入る。暫く考え込んだ。 「歌えるところまで歌う。大丈夫だから」と、立ち上がり、徐々に正気が戻って来る。 「ビロードのような声にならなくても、木綿の声で歌いま-す」と我ながら大きな声で場内へ叫んだようだった。(中略) 数日後、NHKのラジオ深夜便に、更予と二人で「米寿・卒寿コンサート」のインタビューを受け、全国に二人の声は流れた。

その1ヶ月後に奥様の更予さんは亡くなられた。転倒事故にも負けずに、畑中先生が命がけで歌曲を歌ったのも理由がないことではなかったのではなかったろうか・・・。音楽の友に掲載されている米島定宏氏のイラストが、演奏家当日の更予さんの表情・衣裳そのままで、あまりにも悲しい。
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