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通し狂言・旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ) 国立劇場・初春歌舞伎公演 [歌舞伎]2010-01-19 [歌舞伎アーカイブス]

尾張名古屋は菊五郎でもつ


 普段は殺風景な国立劇場も初春公演だけは、柱に紅白の布?がまかれ、玄関に酒樽が積み上げられ正月気分が横溢する。名古屋城開府400年の記念事業もかねて並木五瓶作の「けいせい黄金鱐」より国立劇場文芸課の補綴、尾上菊五郎=監修による「通し狂言 旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)」四幕八場
~尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候~と題された復活狂言というよりも、ほぼ新作のような作品が上演された。最近は4時間以内で上演という制約があるのか、その短い時間で筋を通さなければならないので、さまざまな取捨選択が行われたようである。

場割は以下の通りである。

序 幕 (京)   宇治茶園茶摘みの場
           宇治街道の場

二幕目(尾張)  那古野城内大書院の場
           同 天守閣屋根上の場

三幕目(美濃)  笠縫里柿木金助隠家の場

大 詰(伊勢)  御師大黒戎太夫内の場
    (尾張)  木曽川の場
          鳴海潟の場

 大凧に乗って名古屋城の黄金の鯱を盗んだという伝説があるという一般には忘れ去られてしまった盗賊柿木金助が主人公である。誰も知らないので自由な発想で物語が展開できるので、国立劇場らしからぬ当代の音羽屋らしい肩の凝らない芝居に仕上がっていたのはなによりだった。

 発端は、お定まりのお家騒動で、遊蕩に身を持ち崩す尾張の国主小田家の次男・春勝(松也)が、悪人に騙されそうになりながらも茶摘み女に身をやつしていた許嫁・国姫(梅枝)と結ばれ、お家の重宝「神武の旗」を巡る物語の始まりを面白くみせる。お茶畑で始まるというのが原作の趣向なのだそうで、遊女が茶摘み娘に扮して踊るのが確かに珍しい。若い二人の色模様、それをのぞき見する従者というのも定石通りの展開である。筋書にあった、悪人どもが「不義」を言い立てる部分は削除されていて、多少物語の展開に無理もあったように感じたが、大きな破綻をもなく進んでいった。これは若い松也と梅枝の役柄が様になっていたためで、二人とも悪くない出来だった。

 つづく「宇治街道の場」では、巡礼に身をやつした盗賊・向坂甚内(松緑)が登場し、悪者に追われた国姫は村治(時蔵)という老女に助けられ、(実はこの老女は柿木金助の母親で三幕目につづくのだが)美濃に身を寄せることになる。辻堂には菊五郎が扮する行者姿の柿木金助が登場。二人の盗賊が時代な扮装で対峙し幕となる。金助が落とした密書を手にした甚内は、金助の手下をあしらい花道を行きつ戻りつしながら大車輪の飛び六方をみせて幕となる。ここでは、座頭の菊五郎の大きさ、松緑の飛び六方が見物で、特に松緑が花道を横に下がりながら、また登場し、勇壮に花道を入る部分は、この頃の歌舞伎では見かけない、ドロ臭いというか、洗練とは対極にあるようなもので、作品が本来持つ味には似合っていたように思う。これで小屋が国立劇場のような近代的なものでなければ、もっと効果をあげていたに違いない。

 ここで10分の短い休憩の後、舞台は尾張の那古野城に移る。襖には竹に虎が描かれているのが寅歳ならではである。こうした心遣いがこの芝居には随所にある。当主・春長(菊之助)の元に、勅使が訪れるのだが、同じ名を名乗る菊五郎と松緑、二人の偽勅使が到着するのが趣向。当然のことながら、二人とも偽物で、甲賀流の忍びの秘伝書「遠霞の一巻」をねらっているのである。

 ここからが少々筋が入り込んでいて、甚内の抜いた剣の威力で金助は姿を消す。春長=菊之助は切腹とみせかけて悪者・道閑を殺す。なぜなら、春長=菊之助は実は道閑の子で、国を横領しようとした取り替え子の計略だったのだ。それが甚内=松緑の持っていた剣の威力によって、甚内=松緑こそが小田家の総領だったというのが判る。春長は鳴海春吉と名を変え、甚内→春長=松緑の家臣として仕えることになって幕となる。まあ、驚くべき展開のなのだが、菊五郎、松緑、菊之助らの好演で、なんとなく納得させられてしまった。原作から離れ、適時な補綴がなされているのと、芝居の運びが早いからで、こうしたところに菊五郎劇団らしいチームワークの良さが現れたに違いない。

 つづいて漆黒の闇の中で幕が開くと、前半の見せ場である「尾上菊五郎大凧宙乗りにて黄金の鯱盗り相勤め申し候」の部分である。下手側3階席の鳥屋から、舞台上手の舞台端の先にせり出した(最前列の観客は、斜めに張り出した天守閣の庇の下に隠れてしまった)部分に着地する大凧での宙乗りは、最近では染五郎も乱歩歌舞伎で試みているし、客席から舞台への逆宙乗りは、かつて猿之助も試みているので珍しくはないのだが、遠隔操作によって、凧が回転して、あらゆる方向の観客へ姿をみせることができたのが、新しい技術のようだった。

 天守閣に到着すると、舞台端に伸びていた庇が元に戻り、回り舞台の回転と連動して、正面を向いて天守閣屋根の上の場になる。黄金の鯱へ菊五郎が手を掛けたところで、追っ手の松緑と菊之助らが本火の松明を持って登場。鯱の口にあった「遠霞の一巻」を手に入れた菊五郎には、剣の威徳も通用しなくなり、黄金の鯱へ菊五郎がまたがると再び宙乗りになり、屋根がささやかに迫り下がって幕となる。本来なら大スペクタルなのだが、菊五郎は観客をあおるようなこともなく、涼しい顔して淡々と粋に演じるので、あまり盛り上がらない。ここでは、少々下品な猿之助のアザトイやり方の宙乗りだったら、もっと客席が沸いたかもしれない。音羽屋らしいといえばいえるのだが…。ここで長めの食事休憩?のための幕間となる。松竹の劇場で11時開演ならば、ちょうど良い頃合いなのだが、昼を我慢していた観客には遅すぎる時間となってしまったようだ。

 幕間をはさんで、前半の宙乗りと見せ場の連続になる大詰の間にある三幕目(美濃)「笠縫里柿木金助隠家の場」は、通し狂言ではお約束の世話の愁嘆場である。これも原作をいじって新作同様の部分なので、あまり面白くなく、盛り上がらないまま終わってしまった。物語の主軸は、金助の隠れ家に松緑の春長が鷹狩りの途中に訪れる。実は金助の母親・村路(時蔵)は、松緑の乳母で金助とは乳兄弟だということが判明する。そこで村路は自害をして、敵同士になった二人の顔をそれぞれ立てようとする。歌舞伎にはよくあるパターンといえばいえるのだが、宙乗り同様に淡々としてしまい、突っ込んだ芝居をしてくれないので盛り上がらないし、現代の感覚では物語の展開に無理があるようにも思える。他の部分が類型的ではないだけに、余計にその単調さが際立ってしまったようである。

 菊五郎、時蔵、松緑、菊之助と顔揃いなのだが、この場の主役である母親・村路が中堅の時蔵では気の毒でもある。足が不自由でなければ、この一座では田之助あたりに演じてもらえれば、違った展開もあったように思えるが、こうした芝居のコクを出すためには駒不足だったと言わざるを得ない。愁嘆場といいながら、泣いた観客よりも寝ていた観客のほうが多かったように思う。

 大詰は原作を大きく離れて、「初笑い」「本水」「手拭まき」という三大噺になってしまったようである。「御師大黒戎太夫内の場」では、菊五郎のアイディアらしいが、前々回の俳優祭で演じて大好評だった「千手観音」なるぬ「千住観音」。それをさらにバージョンアップした「金鯱観音」のパフォーマンス。とっても馬鹿馬鹿しいのだが、国立劇場の生真面目?な歌舞伎公演では考えられないような赤や青の照明も駆使して大いに笑わせる。その他、海老蔵の婚約をネタにした楽屋落ちめいた台詞などもあり、その後の芝居は「法界坊」の趣向を入れて、恋文を証拠に若い二人を窮地に陥れようとして、自分の恋文とすり替えられて逆にやりこめられるという他愛のないお馴染みの展開がある。そのきっかけを作るのが男寅が演じる下女?なのだが、台詞、動きともに素人以下で唖然とさせられた。いくらなんでも変声期?とはいえ下手すぎる。

 つづいて、これまた国立劇場では珍しい本水使用の「鯉つかみ」ならぬ「金鯱つかみ」を赤い下帯ひとつの菊之助が演じる。「木曽川の場」ということだが、前面にプールがあり、後方に滝という具合で舞台全面が岩場の態である。客席には2列目までビニールが配られ、濡れないようにという配慮があったのも国立劇場では珍しい光景だった。原作にはない場面らしく、菊之助一人だと絵的に寂しい感じがして、従者なり捕手なり、登場する人数を増やして、もっともっと派手に演じたほうが効果的だったように思う。少々長すぎたので単調になってしまった。

 最後を飾るのは、国崩し風の扮装で菊五郎が花道かた登場し、花四天との短いからみがあって、これまたお定まりの主な登場人物が登場し、渡り台詞のにちに、お家の重宝も収まるべきところへ収まり、最後は三段の上に座頭の菊五郎が乗って見得をきり幕となる展開である。その途中に、恒例の手拭いまきなどがあり、桜が満開の背景といい、華やかな打ち出しとなった。ここでは、菊五郎に座頭の風格があり立派で安定感は抜群だった。チャリ場から大団円の座頭まで幅広い役柄を手がけることのできる菊五郎の俳優としての円熟を味わうことと、着実に若手世代が実力を発揮しつつあるということを実感できた正月公演であった。

2010-01-19 00:09
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