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頼朝の死 一休禅師 修禅寺物語 12月歌舞伎公演 国立劇場 [歌舞伎]2009-12-13 [歌舞伎アーカイブス]

親子は三者三様


12月の国立劇場は「新歌舞伎」の上演がテーマである。珍しく真山青果の『頼朝の死』、坪内逍遥の『一休禅師』の舞踊、岡本綺堂の『修禅寺物語』の三本立てとなった。 普段は殺風景な国立劇場の客席も、芝居としては彩りに乏しい新歌舞伎には、むしろふさわしい雰囲気であることを実感した。定式幕を使わず、緞帳を使うというのも共通で、近頃のような現代の劇作家が好んで定式幕を使いたがる傾向とは好対照だった。

 いわゆる新歌舞伎は、別の演目、たとえば舞踊作品や黙阿弥に代表されるな世話物など娯楽性に飛んだ演目との組み合わせであるならば、その存在価値を大いに発揮する。しかし、こうして新歌舞伎が並んでしまうと華やかさに欠けるうらみがある。それでも三作品を通じて「さまざまな親子関係」といったテーマが通奏低音のようなに浮かび上がってきたのは幸いだった。

 歌舞伎座では上演が繰り返されている真山青果の『頼朝の死』であるが、国立劇場では初上演のようである。どうしても国立劇場では、新歌舞伎が取り上げられる機会が少なく、真山作品では『元禄忠臣蔵』が主に取り上げられてきた。主な登場人物が少ないとはいえ、頼家、政子、重保、小周防に台詞術が巧みな人を得ないと上演が困難だからともいえるだろうし、さらに真山美保の演出が上演するための前提条件になると、岡本綺堂の『修禅寺物語』が稚魚の会を中心に何度も国立劇場で取り上げられているのとは違うようである。

 時代物狂言の第一人者として揺ぎない地位にある吉右衛門の頼家だけに大いに期待された。今回も台詞回しは相変わらず上手いのだが、何かというと高音を織り交ぜて盛り上げようとする台詞術はいささか食傷気味だったし、最初の登場部分で、12日の公演では台詞に詰まってしまい、しばらく芝居が止まってしまった。さすがに異常を察知してか、小声で「何っ?」とプロンプターに聞き返しているなど、完全主義者だとばかり思っていた吉右衛門としては珍しい事故だった。このところ急速に老いが目立つのだが、円熟期にある人だけに残念な出来事だった。

 吉右衛門に対峙する尼御台は富十郎で申し分がない。足が不自由で正座することはできないのだが、高齢の母親役であるならば、椅子?に腰掛けるのも不自然ではないし、目線の高さに差が劇の展開ともあっていて圧倒的な存在感を放つ。最後に「家は末代、人は一世じゃ」と言い放つ貫禄には、吉右衛門の頼家といえども従わざるを得ないだろうと思った。この二人は、なかなか複雑な親子関係を描いていて、吉右衛門の頼家の優れていたのは、母親への思いも当然だが、不可解な父親の死を通じて、父親からの愛情の薄さも台詞のあちらこちらに浮かび上がらせ描き出していたことである。

 周囲の役では、重保は歌昇、小周防は芝雀と吉右衛門の次世代にあたる中堅の役者が手堅く見せた。また吉之丞が侍女音羽で元気なところをみせ、歌六の大江が手堅く演じてみせて揺ぎない。もっとも歌舞伎座でこの座組で上演できるかというと微妙な感じで、国立劇場だからこそ実現したといってもいいかもしれない。

 中幕は上演時間25分ほどの小品舞踊『一休禅師』である。一休禅師が地獄大夫との問答が中心の舞踊劇だが、最も感銘を受けたのは禿を演じた渡邊愛子すなわち富十郎の長女である。まだ幼く、5月の矢車会では、今月の歌舞伎座で上演している『雪傾城』を芝翫と踊ったが、ただ舞台の上に立っていたという状態だった。それが、わずか半年のうちに急速な進歩をみせて驚かされた。

 国立劇場の大舞台の中央で独り踊るのだが、幼いながらも、ちゃんと観客の存在を意識していることが判るのである。しかもその目の色っぽいこと…。祖母にあたる吾妻徳穂も顔負けの艶やかさで驚異的だった。富十郎の意向では、将来は舞踊家にしたいらしいが、名手・富十郎に薫陶を受け、幼児の頃より舞台に立つ環境に恵まれるという優れた環境にあるだけに、21世紀後半を代表する舞踊家に成長して欲しいものである。その可能性が十分あるのを確認できたようである。

 髑髏の衣裳をつけた地獄大夫の魁春と一休禅師の富十郎が踊る部分は、はっきり言って面白くない。作品の設定を超えた、富十郎と愛子の踊りに見るべきものがあった。愛子の教えられたとおりの素直な踊りはもちろん、富十郎の慈愛に満ちた瞳に秘められた想いに泣かされた。

 富十郎は結婚しない独身主義だった。長い間のホテル住まいで、その間に総支配人が何人も変わったとか。だから、富十郎の芸は一代限り、血筋は絶えるのだと思っていた。それが思いがけずに結婚、しかも70歳を過ぎてから、文字通りに二人の子宝に恵まれた。こうして芸が伝えられていくのかと思うと涙が止まらなくなった。花道を去っていく愛子を見守る富十郎の姿を、いつまでも忘れないと思う。

 富十郎と違い、早くに結婚し子宝にも恵まれたが男の子を授からなかった吉右衛門の方が、その血筋と芸を伝えられないというも皮肉な現象である。染五郎、松緑、海老蔵から勘太郎、七之助らの世代に、吉右衛門の血を引く役者がいてくれたならと思わないこともないが、これも人生というものなのだろう。

 その吉右衛門の初役である夜叉王の『修禅寺物語』である。舞台面、演出を見ると藤十郎が演出した新国立劇場の清水脩作曲歌劇『修禅寺物語』とほぼ同じである。もっとも歌劇の演出が歌舞伎同様にというのが、故若杉弘芸術監督の意向だったので当然である。この舞台は、天桜こと富十郎の監修という新歌舞伎の正統的な演出となった。

 同じような舞台装置、衣裳であっても、芝居と歌劇は違う。台詞を音楽に乗せての歌唱である歌劇は、歌舞伎のように台詞と台詞の間に特別な想いをこめることができない。音楽が最優先される。それに引き換え歌舞伎は客席の反応をふまえ、生きているかのごとく台詞が語られるという、当然といえば当然のことが起きてくる。今回も歌劇では淡々と歌われていた部分にも、少なからず客席から笑いがもれて大変新鮮に感じた。果たして歌舞伎を歌劇にすることに意義があったかどうか大いに疑問に思った。

 それを強く感じたのは、吉右衛門の最後の台詞である。座頭の役者によって朗誦されるのを前提に書かれているだけあって、圧倒的な存在感と台詞の妙味に酔いしれることができた。それに比べれば、歌劇では何も残していないに等しいものだった。しかしながら、前半はう~とか、あ~とか言った音が混じらなければ台詞が言えないようで、非常にもどかしい想いをさせられた。

 その一方で、脇役ながら印象的だったのは段四郎の春彦である。普段は台詞が入っていないこともあるのだが、今回は全く危なげない。若さも申し分なく、高麗蔵の楓とのバランスも悪くない。いささか足元が危うげな部分がなくもなかったが、歌劇では全く記憶にないような役も、長く記憶に残るような役に格上げすることができる歌舞伎の不思議を思った。

 芝雀のかつらは上昇志向の強い女であるばかりでなく、父親の手によって芸術として永遠の命を手に入れるのことに、自分の使命を感じているような意思の強さをみせて上手い。なかなか普通ではありえない親子関係なのだが、強い説得力を持った幕切れになったのも、芝雀の好演が大きな力になっていたようである。『頼朝の死』では、主役だった頼家を錦之助が演じて、寂しげな影のある貴公子然とした感じがあって悪くない。その家来を演じた下田五郎の種太郎が、経験がないとはいいながら、立派に立ち回りを披露して将来に期待を抱かせる上出来だった。

 岡本綺堂の日記を読むと実に多くの作品を発表しているのがわかる。しかしながら、現在まで上演の機会があって残っている作品は思いのほか少ない。それも劇場の数が多く、発表の場が用意されているわけではない現代にあっては、歌舞伎を書く作者の出現など不可能なことに思える。かといって現代劇の作家に安易に歌舞伎を書かせても、歌舞伎とは乖離しすぎた芝居でしかなく満足できるものが少ない。あの三島由紀夫にしても、あまりに成功作は少ない。今月の歌舞伎座の新作群と国立劇場の新歌舞伎の距離の大きさに、あたらめて嘆息するばかりである。

2009-12-13 22:08
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