SSブログ

12月歌舞伎座・初日雑感 [歌舞伎]2009-12-03 [歌舞伎アーカイブス]

今日は仕事を休んで歌舞伎座の昼と夜を通して見物にでかけた。お目当ては宮藤官九郎の新作「大江戸りびんぐでっど」と野田秀樹の「鼠小僧」の再演である。歌舞伎座の正面玄関に置かれた電光掲示板が「あと150日」となっていた。だが今日一番感動したのは、芝居ではなかった。

歌舞伎座の正面の右側にある歌舞伎茶屋の隣家が重機を使って取り壊されていた。銀座のど真中に、奇蹟のように残っていた木造2階建ての家屋である。幕間ごとに見に行っていたのだが、どんどん取り壊されていって、あと数日もすると更地になってしまうだろう。表通りに面した部屋にあったであろう神棚の跡が見えた。毎日手を合わせていた人がいたのかと思うと切なくなる。

夜の部の『雪傾城』後の幕間に見にいくと、昼間は残っていた神棚は壁ごとなくなっていた。昂ぶった気持ちを抑えるため、晴海通りを渡って歌舞伎座のライトアップされた建物を見る事にした。信号を渡り、宝くじ売り場のボックスを過ぎると天使は一歩も動けなくなった。歌舞伎座の屋根越し満月(今日は旧暦10月16日 月齢は15.3である)が見えたからである。歌舞伎座の背景にはビルもなく夜空だけが広がる。芝居を見にいってばかりだと気がつかなかったけれど、「月は歌舞伎座の屋根を越えて昇るのか…」あまりの美しさに息をのみ感動していた。歌舞伎座の屋根瓦はネオンサインを反射して青白く輝いていたのだが、なんだか月明かりに映えているように思えてならなかった。

しばらく月と歌舞伎座の美しさに見とれていた。あまり歌舞伎座の建物を美しいと感じたことはなかったのだが、月との相性は、周囲のビルとは比較にならないものだ。もし、一両日中に歌舞伎座にでかけ天気が良かったら、歌舞伎座の月をご覧になることをおすすめしたい。新しい歌舞伎座になってしまったら、たとえ正面のファサードを残しても、今宵のような美しい月は二度と眺められない。あと150日のうちに、こんな瞬間が何度あるのだろう。京都の南座は残せたのに、東京の歌舞伎座は何故残せないのか?銀座のド真ん中にある瓦の大屋根の運命を思い泣けてきた。次の満月は1月1日。1月の初日には観ることが出来るのかもしれない。

さて初日の歌舞伎座で感心したことをいくつか。開演前にはなかった花鉢が、一回目の幕間に2階のロビーに並べられていたこと。土屋アンナ、田中麗奈、ドリカム、優香、妻夫木聡などから贈られたらしい。そして同じ階に小さなクリスマスツリーが飾られていたこと。クリスマスオーナメントが「鼠小僧」に因んで紙でできた小判だったこと。誰が考えたのか洒落ている。

感想は後日にして、寸評を少々。『操り三番叟』は勘太郎の三番叟で、顔の化粧は変だったが踊りの技術は高く楽しめた。獅童の翁は軽すぎて舞台を歩くことから歌舞伎の修行のやり直しが必要。

『野崎村』は、歌舞伎座さよなら公演だというのに両花道がない!なんという手抜き。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室でもあるまいに。幕切れは船は上手へ引かれ、籠は本花道を入るやり方。まあ、福助のお光に、両花道はまだ早いともいえるが、歌舞伎座の『野崎村』としては、配役から何からして物足りない。福助は前半の演技で飛ばしすぎ、あわや暴走か?というところで危うく踏みとどまった感じ。最後は無難に演じていたが、破壊的な演技を期待したい面もあって、いささか欲求不満が残ったかも。

『身替座禅』は、大向こうの受けや安直な笑いを引き出そうとすればできないこともないはずなのに、勘三郎には珍しく、気品があって上出来。なによりも三津五郎の奥方が傑作で、この下支えがあってこそ、舞台に品格が生まれたことと思う。

『大江戸りびんぐでっど』は、筋書で作者が「ど-うもすいません」とあやまっている通りなので、「ごらっ~」ともいえない感じ。前半は天使の笑いのツボにはまって大笑いしていたのだが、なぜか周囲の高齢の観客はついてこれないようだった。勘太郎のマイケル・ジャクソンの踊りはファンキーな感じがあってよかったのに…。確かに「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を観にいってないお客には受けるはずがない。27日の最終日に日本中の映画館で深夜まで盛り上がっていたことなど知らない人たちなのだ。クドカンらしい、小ネタ、ゆるさ、下品さ、飛躍が満載なのだが、多くの観客は置いていかれてしまった感じ。

 世話物ならぬゾンビ物とはいうものの、ゾンビ映画を観たことがない観客が大半では辛い。マイケル・ジャクソンのスリラー風の群舞?も振付・音楽ともにゆるすぎて…。前半は飛ばして、後半失速はクドカンの芸風なのかぁ?「ゾンビ=はけん」という危険なメタファーで地雷を踏みそうになったのに、巧みによける弱腰ぶり。ストーリーはあってもドラマはないという典型的な芝居になっていたというか、公開舞台稽古だったというか完成度は超低空飛行だった。終演が16時17分予定だったが、16時30分頃になってしまってカーテンコールはなし。アレでは当然だが…。今夜も徹夜で稽古かも。千秋楽には全く別の芝居になっていたりして…。

17時近くの開演になってしまった夜の部。昼は補助席まで出るような人気だったが、総合点では夜の部が文句なく勝利。まず『引窓』の三津五郎が小粒ながら情のある演技をみせて上手い。扇雀のお早、橋之助の濡髪、右之助のお幸とバランスもよかった。現代作家の大作?や問題作に比べれば地味だが、こうした演目をきちんと上演できなければ歌舞伎役者ではない。冒険や挑戦はそれからにして欲しいものだ。

『雪傾城』は芝翫の爺馬鹿演目?といった感じで、自分の孫全員と歌舞伎座で一緒に舞台に立ちたかったという発想しかなかった演目で短いのだけが取り柄だった。

『鼠小僧』はクリスマスシーズンの再演となる。宮藤官九郎に比べれば、よほど芝居らしい芝居だったのがわかる。最後の勘三郎の独白はよかったのだが、宜生のさん太の台詞が何を言っているのか、よく判らなくて面白さ半減。初演の清水大希(現・中村鶴松)とは雲泥の差。こちらは21時06分頃に終演でほぼ時間通り。カーテンコールには、野田秀樹も登場したが盛り上がらずに終了。

『大江戸りびんぐでっど』も『鼠小僧』も筋書には作者のことば、作品の短い解説、場割ごとの全配役が書かれているのみであらすじはなし。町娘で『大江戸りびんぐでっどに』登場の小山三に拍手。

2009-12-03 00:44
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。