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ひらがな盛衰記 五月文楽公演・第2部 [文楽]2009-05-27 [文楽アーカイブス]

梅が枝の手水鉢

假名垣魯文
  梅が枝の手水鉢
  叩いてお金が出るならば
  若しも御金が出た時は
  その時や身請をそれたのむ

Cypressさんは、ご存じなかったがようだが有名な戯れ歌である。作者は假名垣魯文というこで「ひらがな盛衰記」は明治時代には、もっと一般的だったのだろう。その戯れ歌の場面が観られる公演ということで、興味を持ったのを覚えているが、あれから21年経ってしまったらしい。大夫、三味線、人形遣いもすっかり代替わりしてしまって、中堅が中心の公演となったが、嶋大夫を中心として見応えのある場面が続いた。

 世襲制でもなく年功序列でもない実力主義というのが文楽人形浄瑠璃の世界である。特に第2部は、将来の文楽を背負って立つ中堅大夫が次から次へ登場しての競演となった。「梶原館の段」が松香大夫と清志郎、「先陣問答の段」が呂勢大夫に宗助、「源太勘当の段」が千歳大夫と清介という具合。千秋楽ということもあってか、いずれも気合の入った義大夫を披露していたが、一生懸命なのは当たり前なのであって、それを突き抜けたところに藝があり、観客を感動させるのだとしたら、まだまだ物足りないと思った。全体に硬さがあって力が入りすぎて、聞いていて疲れてしまうのである。

 休憩後の「辻法印の場」は、チャリ場でなんとも馬鹿馬鹿しい場面なのだが、ここを受け持った英大夫が傑作である。彼が登場すると「待ってました!」と女性から声が何度も掛かったが、なるほど通して聞いてみると、確かに「待ってました!」と掛かっても可笑しくない出来であった。よく見れば二枚目なのだが、なんとなく風采の上がらない風貌で、あまり注目したことのなかった英大夫だったのだが、実は女性の母性愛をくすぐるタイプであったらしい。見れば見るほど、聞けば聞くほど愛しくなってきて、すっかりファンになってしまった。

 頼りない辻法印を弁慶に仕立てて兵糧米をまきあげようとする喜劇的な場面を語って余裕があるし、生真面目に語られば語られるほど、なんとも言われぬ可笑しさがこみあげてくる。きっと英大夫はいい人に違いない。人柄が藝に出たといったところだろうか。

 「神崎揚屋の段」は、「切場語り」としては、最高の藝の持ち主だと思っている嶋大夫と富助である。最初の「世なりけり」からグイっと観客の心を掴んで最後まで離さない。文楽で泣かされることなど、最近はほとんどないのだが、恋しい源太を助けるため、三百両を工面するあてもなく、涙に暮れるしかない梅が枝のいじらしさが伝わってきて泣かされた。嶋大夫が好ましく思われるのは、他の大夫のように芸術至上主義といった気取った感じではなく、観客とともにある大衆芸能の香気がするのがなんとも素晴らしい。

 右手で調子をとりながら、全身全霊で語り、観客を現代社会から最も遠いところへ連れて行ってくれる嶋大夫からは、しばらく目が離せないと思う。間違いなく円熟の藝を披露しているからである。嶋大夫の好演に刺激されたか続く「奥座敷の段」の咲甫大夫と清友も予想以上の出来で、見事にこの物語を締めくくってくれたと思う。

 千鳥・梅ヶ枝を遣った勘十郎を中心に、これまた和生、清十郎など中堅が中心になっての演目で、人間国宝級が出演していなくても高水準の舞台を実現できることを見事に証明していたと思う。清十郎のお筆は、「逆櫓の世界」と「源太と梅ヶ枝」を結びつける存在で、小劇場のロビーには「大津の宿」の幕切れの有名な笹引きの絵画が飾られていた。山吹御前の亡骸を笹に乗せて引いていく哀切きわまりない場面だが、大きいだけが取り柄のあまり上出来な絵とはいえなくて、何も伝わってこない絵だが、上演中の演目に因んだ絵画が飾られているのも悪くないと思った。

 さて9月の公演は三部制になるようだ。第一部が「鬼一法眼三略巻」、第二部が「沼津」に「酒屋」、第三部がテンペストを脚色した「天変斯止嵐后晴」(てんぺすとあらしのちはれ)というバラエティに富んだもの。たぶん第2部が大人気になるのは間違いなく、どうしてチケットを手に入れるべきか悩みそうである。

2009-05-27 00:30
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