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九月文楽公演 第2部 菅原伝授手習鑑 [文楽]2007-09-27 [文楽アーカイブス]

 千秋楽の9月24日は吉田玉男の命日である。ロビーには花が手向けられた遺影が飾られ、遺品の数々が展示されていた。また2階の無料休憩所では写真展も行われていて、何度も涙が溢れそうになって困った。生前楽屋に向かって歩く玉男を見たことがあるが、普通のお爺さんといった感じで舞台の上の玉男とは別人のようで驚いた記憶がある。芸の頂点を極めたといってよい玉男を見られたことは一生の宝だと今も思う。初めて文楽に連れて行ってくれた人は豊竹山城少掾や綱大夫の素晴らしさを繰り返し語ったものだが、いつか吉田玉男のことを誰かに語る日が来るかもしれない。

 「加茂堤の段」「筆法伝授の段」「築地の段」「杖折檻の段」「東天紅の段」「丞相名残の段」と菅丞相を中心とした物語が展開。吉田玉男を偲ぶにはこれ以上の演目はないように思った。菅丞相を遣った玉女の素晴らしかったことは「吉田玉男の命日」に書いた通りである。周囲の役も文雀の覚寿、蓑助の宅内、文吾の輝国らと充実して「道明寺」のような大曲も最後までまったく気をゆるめることなく舞台と対峙できたのは、出演者全員の並々ならぬ真心の入った舞台となった。

 そうした若手にも活躍の場が与えられた中では玉輝の武部源藏に注目した。他のイケメン人形遣いと比べれば損なキャラクターなのだが丁寧で実直な性格がよくでていたように思う。大夫では「筆法伝授の段」の切を語った嶋大夫がやはり抜きんでいたが、「丞相名残の段」を語った十九大夫の充実も特筆したい。

 「菅原伝授手習鑑」は三つの別れを描いているとはよく言われる。白太夫と桜丸親子。松王丸と小太郎親子。そして菅丞相と苅屋姫との別れである。観客はどうしてもそこに玉男との別れを重ねて観てしまう。所縁の演目で、師匠の当たり役を無事千秋楽まで務めおおせた玉女の胸中を思うとこみあげてくるものがあった。そして終演後も心の底から湧いてくる感動を押さえることができなかった。玉男は亡くなった。でも文楽は続いていく。玉男の芸は滅んでしまっても、その精神は立派に受け継がれていたように思う。


2007-09-27 00:14
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