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拍手好き [エッセイ]

拍手が好きである。
もちろん節度を持った拍手のことである。

オペラでは、拍手をして良い部分と悪い部分があるので注意はする。幕が完全に閉まり、音楽の最後の余韻が消えるまで拍手はするべきではないと思う。フライングの拍手やブラボーは絶対に駄目。

バレエでは主役が登場したら期待をこめた拍手はしたい。踊り終わってポーズをしたら拍手をしたい。パ・ド・ドゥならば、なるべく拍手を続けてダンサーを休ませなければと思う。ただし、フェッテや大きな跳躍を見せながら舞台上を一周するグラン・ジュテ・アン・トゥールナンで拍手をするのは習慣化していて好きではない。

ときどきいるフェッテで手拍子は論外。弁慶の飛び六方に手拍子と同じくらい異常な出来事である。かつての歌舞伎座には、最前列に陣取って、のべつまくなしに拍手をし続けるお爺さんがいた。本当は声をかけたいのだけれど、さすがに最前列ではできないので声をかけるタイミングで拍手をするのである。もう芝居に集中できなくて困りものだった。新しい歌舞伎座になってからは、その姿を見ていない。

「能」の拍手には違和感が確かにある儀礼的な拍手は無用だし、能楽師も拍手が欲しいなんて少しも思っていないだろう。「文楽」では、人気の人形遣いが出てきたら拍手が起きる。盛大ではないが、これから展開するであろう物語への期待の拍手だと思う。国立劇場の気取った雰囲気を和らげてくれるので悪くないと思う。

一方、全く拍手をしない人もいるし、音を立てずに拍手する人いる。拍手するしないは観客の自由。カーテンコールだって、嫌ならば途中退場する自由はあるのだから出て行けばいいだけのこと。劇団四季のミュージカルのスタンディングオベーションは気持悪いので、とっとと退場することにしている。どこの国にカラオケでミュージカルを上演する団体があるというのか。それを当然のことと思い、何も不満を感じない観客のほうがどうかしている。そのうち、カラオケ&口パクでミュージカルを上演しかねないので恐い。

歌舞伎や文楽に拍手は無用という人は江戸時代にでもタイムスリップでもするしかない。儀礼的な拍手ならともかく、感動した気持、役者へのねぎらいと感謝を舞台の上の役者に伝えるには拍手しかないではないか。誰もが「今月の芝居」を書けるわけではないのである。

拍手をする理由はここにある。


身体は幻

身体は幻

  • 作者: 渡辺保
  • 出版社/メーカー: 幻戯書房
  • 発売日: 2014/12/15
  • メディア: 単行本



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ムスカ大佐(言葉を慎みたまえ)

大同少尉殿、私はムスカ大佐だ。君のレポートはどれもこれもガラクタに過ぎん。神や天使ばかり登場させてて、私と戦うつもりか。特殊鋼の結晶の秘密の解明は進んだのか。スペースXをも爆破させ、全世界の支配する制空権のメカニズム。男だったら、知りたいとは思わんのかね。庄原の比婆山ではなく、安来十神山の王家にある臣下の礼をわすれずに。それではさらばだ。
by ムスカ大佐(言葉を慎みたまえ) (2021-03-06 23:14) 

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