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レ・ミゼラブル 2013年5月2日 13:00開演 プレビュー公演 [ミュージカル]

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当初予定されていたジャン・バルジャン役の山口祐一郎が降板。元劇団四季の福井晶一がアキレス腱を負傷したため長期休演。そして初日のジャン・バルジャンに予定されていた同じく元劇団四季で韓国人のキム・ジュンヒョンも怪我で急遽休演となって、3人いたはずのジャン・バルジャンが、同じく元劇団四季の吉原光夫ひとりになってしまい、開幕直後の5月4日と5日の夜公演は公演中止に追い込まれる騒ぎである。しかも、相次ぐキャスト変更が続いて、発表キャストが当日変更になったりと混乱が続いているらしい。2日の昼の部もマリウス役が原田優一から田村良太に変更になっていた。

天使はとりあえず時間が出来たのでと軽いノリで当日券を求めるため開幕25分前に劇場窓口に到着。A席とB席は売り切れでS席と補助席があるらしかった。前売券を買う人も同じ窓口のためなかなか列が前に進まない。やっと窓口にたどり着いて、昼の部1枚と言った途端に係りの女性は奥の事務所へ入っていってしまってなかなか戻ってこない。チケットに関しては気長に待つのを信条にしているので待つこと2分ほど。キャンセルが1枚出ましたけれど、と示されたのが1階5列目28番というほぼ真ん中の席で迷わずに購入。関係者の席らしく、通路側には渡辺保先生が座っておられた。東宝にいた当時、上演権を獲得するために交渉を重ねたということらしので、日本での産みの親でもあるのだ。

プレビュー公演とはいえ、高校生の団体も入っていてほぼ満席の大盛況。映画もヒットしたので観客動員が簡単にみえて、前途多難な出発である。初演当時は、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュのロンドン発(大元はパリでの上演が先だけれど)の大仕掛けを売り物にするメガ・ミュージカルが全盛で、その双璧が『レ・ミゼラブル』と『オペラ座の怪人』だった。東宝と劇団四季にそれぞれ代表作の日本上演を託すことになった。さすがにどちらも大仕掛けの作品のゆえ、東京、名古屋、大阪、福岡、札幌、仙台(オペラ座の怪人は広島、静岡)といった設備の整った劇場での最低3ヶ月のロングラン公演が必要とされていた。

何しろ回り舞台と、その床面に仕込まれたレール?を左右から移動して中央で合体して巨大なバリケードを舞台中央で作るというスペクタクル場面がある。これは『オペラの怪人』のシャンデリア落下にも匹敵する見せ場なのだが、今回は演出と舞台装置を一新しての上演となった。

25年目の新演出は、これまでの年代や場所の字幕を入れて時間と場所の飛躍を観客に説明するという手法を止めている。映画のように初めて観る観客には必要だったと思うが、舞台や映画を何度も観ているファンにとっては、唐突には感じないためであろうか。そのため、音楽とドラマがスムーズに流れていたのは確かである。花道とてしも使われる脇舞台には、舞台から続くパリの町並みのセットが組まれていて、2階のバルコニーやドアも演出に巧みに使われていた。

帝国劇場の18メートルある舞台間口は、パリの町並みを模したポータルタワーがあるので、中規模の劇場並の大きさに変身。これまでの演出が閉ざされた空間でありながら空間の広がりを感じさせたのと対象的である。もっとも帝国劇場の扇状に広がる客席を意識してか、脇舞台も積極的に使っていたのだが、それでも物語が小さな空間に収斂されていく印象があって、感動も広がりを欠いたように思う。

舞台はポータルブリッジの奥に前後左右に移動するブラインド?の壁と、様々な舞台装置が上下左右から移動してくる形式で舞台転換はスムーズで音楽や芝居の流れを滞らせることがないが、二次元的な装置で少々薄っぺらい印象がある。特に前回までのバリケードの存在感がなくて、このミュージカルのシンボル的な意味合いを失ってしまった。

今回の演出で最も変化したのは、舞台奥に映像が映し出されるようになったことである。それも近頃流行のLEDを使用したスクリーンの鮮明な画像ではなく、少々粗さを意識した映像になっていた。そこへ投影されるのは、ユーゴーの原作にある挿絵をモチーフにしたもので、全体的に暗い色調である。そのスクリーンサイズの問題があったようで、狭い演技スペースが設計されたものと思われた。奥行を感じさせようとしたのか、舞台上部のポータルブリッジは斜めなっているようで、奥にいくにしたがって舞台装置が小さく作られているようで、遠近感を出す工夫が凝らされていた。

バックの映像は具体的なものではなく、海、森、街並みといった物を暗い色調で描いているので、物語の時代背景を想像させるものだった。最も効果的だったのは、地下水道をジャン・バルジャンをさまよう場面で照明の効果も加わり、観客自身も地下水道を移動していある様な効果があった。

主演を演じた吉原光夫は、映画版のように囚人の間は傷跡?のある坊主頭で、変わり目が鮮やか。老けメイクも巧みで、時間の経過を上手く表現していたと思う。彼の歌唱力も高らかに歌い上げるのではなく、言葉の意味を大事に伝えていくという方向で悪くない。自分の歌唱力を誇示する様な上から目線の歌唱?ではないところが良かった。これは他の出演者にも言えることで、意図された方向性なのかもしれない。

明日に新演出の初日を控え、主役を二人までも欠く緊急事態で、全ての出演者に覚悟が感じられて、一部の隙もなかったのが心地よい。例によって、一人で何役も受け持つ形式なのだが、自分の役割に徹していたのも舞台に全てを捧げているという事で悪くない。逆に云えば目を引く様な個性に出会わなかったという事ではある。そんな中にあって、圧倒的な存在感を示したのは、テナルディエ夫人を演じた谷口ゆうなで、確かな歌唱力と演技、見事な体格で、これまでの同役の中でも最も迫力のあるキャストだったと思う。

歌唱も演奏される音楽も電気的に増幅された不自然さを感じさせなかったのは、テクノロジーの進歩なのか立体感のある音響設計とともに、今回の公演でも特筆されて良い変化である。生演奏なのは当たり前だが、
伝わってくるものが全く違うのである。ソロバンばかりで、そこの所に目を向けようとしない、劇団四季のミュージカルの諸作品には、大く欠けてしまっているものがあるというのに気がつかないのは残念である。

さて、回り舞台がない事で、バリケードは回転する演出ができない。ガブローシュがバリケードを乗り越えて、死んだ兵士から弾薬を取る場面は全く見せないで、他の役者の演技と台詞だけで表現していく。最後に彼の姿を見せるのだが、この作品を何度も見ている観客は具体的な場面を想像できるので、あまり不満は感じさせなかった。

バリケード自体の大きさは、映画同様に巨大な物想起させる様には作られていない。その映画版にも使われていたアンジョルラスの逆さになっての死体の場面は、荷車に二人の死体が乗せられるという形式で継承されていた。

舞台が大きく動き始める後半に向かって、残念ながらドラマが舞台から広がってこないもどかしさを感じた。ジャベールには、最も冷徹さが必要に思えたし、法と神への信仰に全てを捧げた人生が見えてこないのである。コゼット、マリウス、エポニーヌの愛の行方も不鮮明なまま終わってしまった。ジャン・バルジャンの死が唐突に思えるのもいつも通りである。そして最も感動させてくれるはずの最終場面も盛り上げられずに終わってしまった。どうもこの演出は、表面的に物語をなぞった程度に終わっていて、観客には不親切な様で、音楽だけでは表現し切れないものを助けるというという意味合いが薄かった様である。

カーてコールは、音楽のテンポがゆっくりなので、手拍子が起こりにくい演出だったのが良かった。カーテンコールで足りない感動を補完という感じではないのが良かった。最も最後はスタンディングオベーションになった。天使は、そうした感動の大安売りが嫌いなので立たなかったし、立つほどのレベルに達していないと思ったので座ったまま。後で聞けば、最前列の観客に立つこと劇場関係者が依頼しているだとか。ジャン・バルジャンのカバーキャストを用意していなかった事といい、その感覚のズレっぷり、観客軽視の姿勢に呆れた。第二幕の始まる前に、そんな依頼をされたら平常心を保つ事ができないということに思いが至らないらしい。

第1幕 1:00~2:30

休憩  25分

第2幕 2:55~4:10

【キャスト】
ジャン・バルジャン:吉原光夫
ジャベール:川口竜也
エポニーヌ:昆 夏美
ファンテーヌ:和音美桜
コゼット:磯貝レイナ
マリウス:田村良太
テナルディエ:KENTARO
マダム・テナルディエ:谷口ゆうな
アンジョルラス:野島直人

ガブローシュ:鈴木知憲
リトル・コゼット:黒田くるみ
リトル・エポニーヌ:北川真衣

指揮:若林裕治
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