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2010年2月12日の劇場の天使 文楽と畑中良輔・更予米寿&卒寿記念コンサート [エッセイ]

 昨夜は雪を警戒して国立劇場のお隣のホテルへ泊まったのだが積雪はなくてひと安心。10時にチェックアウトして平河天満宮まで散歩。マクドナルドに併設された本屋で渡辺保の「私の「歌舞伎座」ものがたり」と吉田秀和の「僕のオペラ」を買い求める。

私の「歌舞伎座」ものがたり (朝日新書 222)

私の「歌舞伎座」ものがたり (朝日新書 222)

  • 作者: 渡辺 保
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2010/02/12
  • メディア: 新書



僕のオペラ

僕のオペラ

  • 作者: 吉田 秀和
  • 出版社/メーカー: 海竜社
  • 発売日: 2010/01/26
  • メディア: 単行本


新書サイズの「私の「歌舞伎座」ものがたり」を読み始めたが、いくつか共感する部分があった。

少なくとも今日のように幕が開くとまだ誰も出て来ないのに拍手をするいやな習慣(一体だれをほめているのかわからないではないか)はついこの間まで歌舞伎にはなかった。
本当にそう思う。今月の「俊寛」でいえば浅黄幕に向けて?拍手がおこる。それともあれは竹本に対してなのか?理解に苦しむ。

まったく相容れない部分もあった。特に野田秀樹の「愛陀姫」に関した部分。

そこでオペラファンからはこんなものはつまらぬという批判がおこったが、私は面白かった。
(中略)
逆にオペラを見れば「アイーダ」がそんなに論理的な構成をもっているとは思えない。少なくとも「アイーダ」を見て私は一度もそう思ったことがなかった。ところが野田秀樹によって歌舞伎に移された「アイーダ」は実に緊密であり、それが新鮮だった。

知らないということは恐ろしいことである。昔は野村喬のようにオペラ批評もした演劇評論家が存在していたが、自分の不勉強を棚にあげてオペラに対する不見識を公にするとは…。

濃姫の引っ込みで花道を使用しない演出が、平面的になる歌舞伎の舞台面への批評であった。と堂々と自説を展開しているのには呆れ果てた。さらに、歌舞伎に傍白がないなどと自慢気に今回も書いている。あれはオペラの重唱部分を台詞劇として表現しようとしていただけで、劇的効果としては失敗していたと思うのだが…。今度劇場で見かけたら渡辺保に何か言ってやらなければと本気で思った。

 さて文楽の第1部から第2部まで通しで観て、あまりに住大夫が素晴らしくて、その感動を大事にしたかったので若手の掛け合いの部分は観ないことにして劇場を出た。同じくタクシー乗り場に向かう後ろ姿は渡辺保だった。きっと同じ思いだったに違いない。さっきまで彼の著書を読んでカッカしていたのに、さすがに本人を見かけるとボッ~としてしまって…。何故なら、天使が抱かれたい演劇評論家の第一位は渡辺保だからである。この頃は老いが隠せないのだが、実はそこがまたたまらなかったりする。友人のCypressさんは、まったく理解できないと呆れているようだが…。

 国立劇場の裏手の半蔵門駅の上にある交差点を、そのまま赤坂方面へまっすぐ行くとニューオータニの前にでる。今日の目的地である紀尾井ホールはその隣である。自由席のためか1時間前から開場になっていて下手側の最前列に座った。ここだと登場する歌手と舞台脇に座っている先生が同時に観られて良い席だった。

 プログラムに書かれていた畑中先生の言葉を読んでびっくり仰天した。

 ただこの“ごあいさつ”を書いているのは、杏林大学の付属病院。昨年の暮から南紀、熊野を中心に歩いた時、すごい寒波と強風に巻き込まれ、どうやら肺炎との診断のもと、生まれて初めての入院生活。今夕の演奏が不十分なものになるのを怖れ、目下おとなしい毎日です。ヘンな歌になったら、ゴメンナサイ。

肺炎で入院していたとは…。知らなかった。120名以上の男声合唱団を指揮しての多田武彦「富士山」は譜面台につかまって指揮するのだけれど、指揮台にたどり着くまでの足元が怪しかったので心配になった。曲の途中で譜面がめくれなくなってしまって、指揮がストップしてしまう場面もあったが、さすがに年齢層の高い団員だけあって、何事もなかったように指揮なしで演奏を続けて、先生も追いついて最後まで演奏できた。

 特に最終曲の感動は生涯忘れないようなものだった。 あの男声合唱で最も有名なフレーズを大声で歌いあげるわけでもないのに、実に瑞々しく迫力を持って歌いあげて全曲を歌い終えた。身体が熱くなり、頬は涙で濡れた。畑中先生の合唱指揮の真骨頂であった。

 降りそそぐそそぐ  翠藍ガラスの  大驟雨

 合唱団が退場して次の歌の準備をしているときに、その事故はおこった。
 マイク片手に曲目を説明し始めたのだが、どうも足元がおぼつかない。3週間の入院のうちに脚力が衰えたのは明白だった。よろよろとよろけたかと思うと、そのまま後ろへ倒れてしまった。まるで鉛筆が倒れるように、舞台床に後頭部を打ちつけてゴンという鈍い音がホール内に響き渡って場内が、一瞬静まり返った。

 すぐにスタッフが駆けつけて何事もなかったかのように演奏会は続いたが、その後は支えられながらのMCが続いた。入院でみんながやめろやめろというけれど「やめない!」と言ったとか場内を笑わせてホッとさせたが、先生のプロ根性に驚くばかりだった。演奏内容の詳細は後日に改めるが、先生自身の歌は、88歳の病み上がりにしては素晴らしい声で、特に中音域の甘い歌声は信じられないほどの美しさで迫ってきた。

 今年90歳になる奥様の30歳のときの初リサイタルで先生が詩を書いて中田喜直先生が曲をつけた「四季の歌」を、今は歌えない更予先生にかわり、酒井美津子、瀬山詠子、玉川美榮、大島洋子が歌い継いだ。奥様の素敵なスピーチ(喘息、がんなど様々な病気で声を失ったが90歳まで長生きできたことなど)と畑中先生の「愛しているよ」の言葉で救われた思いがした。

最後は八木重吉の詩に先生が曲をつけたものが歌われた。芸大を卒業する学生には八木重吉の詩集を贈っていたのだとか。特に最後の2曲は、先生から観客へのメッセージが込められていたのは疑いもない。そう思うと泣けて泣けて仕方なかった。



雨のおとがきこえる
雨がふっているのだ

あのおとのように
そっと世のためにはたらいてゐやう
雨があがるようにしづかに死んでゆこう

夕焼

夕焼をあび
手をふり
手をふり
胸にはちいさい夢をとばし
手をにぎりあはせてふりながら
この夕焼をあびていたいよ

最後は出演者全員が舞台に上がり、観客と共に「ハッピー・バースデー」を歌って3時間にわたる演奏会はお開きになった。

終演後のロビーでは、関係者から贈られた花が新聞紙でくるまれて配られていた。天使は玉三郎から贈られた深紅の薔薇が含まれていると思われる花をいただいた。幸福な夜になった。
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