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盟三五大切 渋谷・コクーン歌舞伎第十二弾 6月シアターコクーン [歌舞伎]

そろそろマンネリ曲がり角
夢を見ていたのか、 それとも他人の、 百年も、二百年も先の誰かが空想した 物語の中をさ彷徨っていたのか、川面の光はゆらゆら揺れて、すべてはおぼろだ。

パンフレット冒頭には、串田和美のわかったようなわからないような文章が…。その混沌とした曖昧模糊とした内容のままの芝居になったようである。橋之助の源五兵衛が主役なのだが、最後は回り舞台を使って、特別出演の?の勘三郎の声による由良之助の台詞がかぶって、彼の回想が次々にあらわれるという場面で終わる。歌舞伎はイヤホンガイドで説明されながら観るものと決めているような怠惰な観客は、この場面の意味は何?と説明が欲しいところだろう。幸いなことにコクーン歌舞伎にはイヤホンガイドはないが、もちろん、それがコクーン歌舞伎が歌舞伎ではない証拠などというつもりはさらさらないのだが。

源五兵衛の心象風景に光を当てるのが、新しい視点と発想ということなら、その貧困さと古臭さに呆れるばかりである。新しいもの好きの勘三郎も出演しないことだし、才能豊かな若手演出家に演出を委ね、若手花形が中心になれば、もっと面白い世界が広がったのではないかとも思った。もっともっと滅茶苦茶な世界を提示してくれるような演出家は出てこないものだろうか。

下座よりもクラシック音楽の多用、平場の客席をかき分けての役者の登場、台詞が聞こえなくなるばかりか、最前列では床上浸水までおこしての本水の雨を降らすなど、使い古された手や無駄としか思えない試みばかりが目立っていた。本当に雨は降らしすぎ、いったいいつ止むのかと最前列の客同士で話し合うような始末である。いくらなんでも限度を超えていた。

クラシック音楽は、現代音楽風のチェロの独奏が源五兵衛の精神状態を表現しているのか、神経を逆なでするような演奏で早速家に帰って自分のチェロで真似てみた。安易だけれど確かに狂気を表現するのはありかもしれない。三五郎は弦楽四重奏、小万との愛の場面ではスケールの大きなオーケストラ曲と、ワーグナーのライトモチーフよろしく使い分けられていたがあまり効果的とも思えず、邦楽のお囃子の引き立て役で終ってしまったようである。椎名林檎やらラップやら、新しいものが実は新しくなく、古いものの方が実は新鮮だったりするのは歌舞伎の音楽でも同じなのだと思った。

花道を主要な登場人物が出入りするたびに、芝居とは無関係な賑やかなお囃子が流れるなっていうのは、とっても面白い歌舞伎の約束事であるのに、それをスッパリとやめているのはもったいないと思う。けっしてセンスのよい選曲とも思えないクラシック音楽の使用は、芝居の底の浅さを自ら告白しているようなもので恥かしいから止めて欲しいかった。

そして歌舞伎役者ではない笹野高史や井之上隆志の起用もそろそろ終わりにしてもよいのではないだろうか。ますます坊主の軽薄で破調な感じは歌舞伎に馴染まないし、面白がっているのは演出家と本人だけではないだろうか。了心にいたっては歌舞伎の空気とリズムを破壊していて下手すぎる。あの程度なら、他にいくらもできる歌舞伎役者がいるだろうにと思った。かつて勘三郎は、笹野高史の起用を批判した劇評に激怒して物議を醸し出したことがあったが、今こそ、その誤りを認めるべきではないだろうか。

今回注入された新しい血の成功例は菊之助の小万である。すでに本来の歌舞伎で小万も演じているだけに、奇妙な舞台美術の中でも、しっかりと自己主張があってビクともしなかったのは立派である。他の役者が単なる演出家の操り人形と化しているなか、わが道を行く姿勢が大いに評価できる。言葉にこそ出さないけれど、演出家のことなど腹の中で小馬鹿にしているのだろうなあと想像した。何よりも野暮ったさが売り物?かと思うようなコクーン歌舞伎レギュラー陣のなかにあって、ただ一人、文句なく美しく、粋で、色気があって、すっきりとした味わいがあって、圧倒的に良い芝居をする。他流試合のような舞台の中にあって音羽屋の心意気をみせた感じである。でも、彼の歌舞伎人生にはあまりプラスに働かない舞台なので、出演はこれきりにして、七之助あたりに任せたほうがよいだろう。

三五郎の勘太郎は、そんな菊之助という最良の相手役を得て、だいぶ役者ぶりを上げたように思う。けっして二枚目の顔ではないのが気の毒な勘太郎だが、菊之助と並ぶと意外にいなせな感じがあって悪くない。これでもっと大人の色気を出せれば、もっとよくなるのだろうが、サラッとしていてコクがないのは父親譲りだろうか。

橋之助の源五兵衛は、あまり効果的とも思えない雨にずぶ濡れになりながらの熱演。長男の国生が大人の役で初出演を果たしたが、さすがに芝居はまだまだだが、正統的な舞台で経験を積んで大成して欲しい。体型からいって女形は無理だし、正統的な二枚目も苦しいが時代物あたりで真価を発揮できるような役者になって欲しい。

この芝居でよかったと思った点は、何よりも登場人物たちが敵討ちを巡る金の不条理な展開に振り回され、殺人を犯し、殺されていくのが、よく理解できて、これは本家の歌舞伎ではなかなか解らないことを手際よくみせたところである。それ故に、源五兵衛が歌舞伎の中の登場人物ではなくなってしまったようにも思われて一長一短である。人を殺そうと何しようと、疑問を抱かず現代人のように悩まず、敵討ちに参加してくれないと南北の歌舞伎ではなくなってしまうような気もした。

コクーン歌舞伎の舞台からは定式幕が消え、串田和美の安っぽい美術が定着したようである。あまり自己主張のないのが取り柄で、別に黒一色の何もない空間でも歌舞伎役者が歌舞伎衣裳をつけて芝居をしてくれてもよいくらい。おかしな色調の衣裳が登場しないだけでも、野田秀樹あたりよりも歌舞伎のことがわかっている演出家ではある。


渋谷・コクーン 歌舞伎第十二弾
盟三五大切

平成23年6月6日(月)~27日(月)
串田和美 演出・美術


薩摩源五兵衛実ハ不破数右衛門  中村 橋之助

芸者妲妃の小万実ハ神谷召使お六  尾上 菊之助

船頭笹野屋三五郎実ハ徳右衛門倅千太郎  中村 勘太郎

芸者菊野  坂東 新 悟

若党六七八右衛門  中村 国 生

徳右衛門同心了心  笹野 高 史

船頭お先の伊之助  片岡 亀 蔵

富森助右衛門/家主くり廻しの弥助実ハ神谷下部土手平  坂東 彌十郎

昼の部(1時30分開演)
上演時間

序幕 1:30〜2:40

幕間   20分

大詰  3:00-4:40
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